年末の野暮用をぬって畑へ。
間引きした白菜と赤ねぎを採ってきた。赤ねぎは山形の庄内にもあるらしいが、これは茨城県のもの。
伝統野菜は見た目もうまそうだ。
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27日(日)、「中村哲の声が聞こえる」(NHK総合、午前10時5分~10時55分)を観た。
《昨年12月アフガニスタンで銃撃され亡くなった医師中村哲さん。戦乱と干ばつの大地に平和と恵みを取り戻そうとする活動の傍らには「ワーカー」と呼ばれる日本人の若者たちがいた。日本で挫折を経験した者、国際貢献を志した者…その数は100人にものぼる。中村と共に過ごした歳月は、若者たちをどう変えたのか。帰国後、さまざまな道を歩む彼らは今、どうしているのか。人生の意味を探し求めた現代の若者たちの青春群像を追う。》(番宣より)
かつて現地に飛び込んだ4人の若者が登場する。いきなり土木作業の大事なパートの責任者を中村さんに任された人、国際公務員になる上で有利な経歴づくりのためにアフガンに行った大学院生など、経歴も動機もさまざまだ。彼らがあの地で何を得たのかを見るうちに、中村さんの偉大さがじわじわと迫ってくる。
制作は私がかつて籍を置いていた「日本電波ニュース社」。
この当時の撮影をほぼ独占的に担っており、その中心が谷津賢二さんだった。彼と会うといつも中村さんの話になり、私も自然に中村さんとその事業に詳しくなった。
私が中村哲先生とはじめてお会いしたのは2012年。私の会社「ジン・ネット」が、山田堰土地改良区を紹介するビデオを受注し、山田堰をはじめ三連水車など、朝倉市の農業遺産を撮影していた。中村さんが帰国して山田堰を訪れると聞き、ぜひ堰のそばでインタビューをしたいと申し入れたのだった。
さて、その番組だが、そこで引用された若者に対する中村さんの言葉がとてもよかったので、ここに紹介したい。若い人を教育したり指導する立場にある人の示唆にも富むのではないかと思う。
《現地に赴いたワーカーたちは、様々な動機でやってきました。
日本で満たされず「青い鳥」を求めて来る者、日本の社会になじめない者、半ば興味本位としか思えない者、「国際援助」の美名に惹かれる者、本当に様々でした。
でも、私は動機を問わないことにしていました。
また、いわゆる「使える、使えない」という能力そのものだけを評価することもありませんでした。
その人が、いかに誠実に任務と関わり、自分の先入観を克服していかに虚心になりうるか、日本人としてのまごころと心意気、素朴な人情を買ったのです。》①
《若い方に一言。
君たちは、悪事でもしない限り、だいたいやり替えがきく。
恐れずに歩き回って、正しいと思うことを利害にとらわれずに貫くことです。》②
《当方としては、大怪我にならぬ程度の失敗には目をつぶります。
最近の日本は、「若気の至り」を許さぬ気風で、若者たちが萎縮しているように感ぜられるからです。》
《こうして任務を終えて帰国しても、現地で学んだ「技術」は日本で役立ちません。
しかし、「人にとって何か大切なもの」を心のどこかにとどめる、そのことが何よりもかけがえのない収穫だと思います。》③
中村さんの座右の銘に「一隅を照らす」がある
《一隅を照らすというのは、一つの片隅を照らすということですが、それで良いわけでありまして、世界がどうだとか、国際貢献がどうだとかという問題に煩わされてはいけない。
それよりも自分の身の回り、出会った人、出会った出来事の中で人としての最善を尽くすことではないかというふうに思っております。
今振り返ってつくづく思うことは、確かにあそこで困っている人がいて、なんとかしてあげたいなあということで始めたことが、次々と大きくなっていったわけですけれど、それを続けてきたことで人間が無くしても良いことは何なのか人間として最後まで大事にしなくちゃいけないものは何なのか、ということについてヒントを得たような気がするわけです。》②
①中村哲『丸腰のボランティア』より
②中村哲『医者よ、信念はいらない まず命を救え!』より
③中村哲『丸腰のボランティア』より
能力主義ではなく、若者を信頼して温かく見守る目を感じる。
若者の一人に送った言葉の「柳緑花紅」(りゅうりょくかこう)が紹介されていた。「ありのままでいいんだよ」と送られた元若者は解釈していた。
偉大な人の言葉に、いろいろ考えさせられる。
私にとっての「一隅」とはどこなのか。人はどうありのままでいられるのだろう。