人間中村哲をつくったもの8

 母親が美木良介の『120歳まで生きるロングブレス』という本が欲しいと電話してきた。ベストセラーだという。いま雑誌も団塊の世代しか読まないのか、長寿、薬・医療、老後の金策などの特集ばかり。とくに「120歳」という言葉が目につくようになった。エビデンスがあるのかどうか知らないが、母本人がその健康法をやりたいというのならと本を買い求め、年末年始の食糧と一緒に自転車で届けに行った。

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 自転車をこいでいると、鮮やかな赤が眼に飛び込んできた。何の葉だろう。

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こちらはサザンカ。赤が冬を飾っている

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 今朝の朝日歌壇は、中村哲先生を詠んだ歌が15首も入選していた。中村さんを哀悼する歌は160首以上寄せられたという。

「一隅を照らす一灯でありたい」と記せし中村哲氏は世界を照らす (埼玉県 島村久夫)
訃報までその存在もアフガンでの偉業も知らざりし己れを恥じぬ (岐阜県 箕輪富美子)
 中村さんが亡くなってから、こんなにすごい人がいたのかと驚いている人が多い。中村さんの訃報の衝撃は今後も長く続く予感がする。
 いつもは社会ネタとは距離をおく俳句でも、

冬銀河中村哲に終はり無し (筑紫野市 二宮正博)朝日俳壇入選句

 中村さんが目指したもの、体をはって世界に示したものは終りなくつづいていくという感慨だろうか。
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 25日、「中村哲さん通った教会でクリスマスイブの礼拝 平和を願い祈り」(NHK)というニュースが流れた。
 《中村さんが中学生のころから通っていた福岡市東区の「香住ヶ丘バプテスト教会」では24日夜、クリスマスイブの礼拝が行われました。
礼拝では、堀内明牧師が「中村さんは現地の人の視線に立ち、目の前で困っている人を助けようと活動を続けてきました」と功績をたたえました。
そして、礼拝に参加した人全員で中村さんの死を悼むとともに、平和を願って祈りをささげました。》https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191225/k10012227371000.html
中村さんにとって、キリスト教との出会いは大きな意味をもっていた。それがなければ「ペシャワール赴任も、アフガニスタンでの活動もなかったに違いない」というほどに。
《特にマタイ伝の「山上の垂訓」のくだりを暗記するほど読んだ。人と自然との関係を考えるとき、その鮮やかな印象は今も変わらない。

野の花を見よ。(略)栄華を極めたソロモンも、その一輪の装いに如かざりき。

「汝らの恵みは備えられて在り。暖衣飽食を求めず、ただ道を求めよ。天は汝らと共におわします」。そう読めたのだ。これが日本的な解釈かどうか、神学的議論はどうでもよい。自分は単に、その言葉に沿って普遍的な人の在り方を求めようとしたのだ。
「天、共に在り」をヘブライ語で「インマヌエル」という。これが聖書の語る神髄である。枝葉を落とせば、総てがここに集約し、地下茎のようにあらゆるものと連続する。》(『天、共に在り』P39-40)

 この中村さん独特の聖書の「読み込み」が、彼の行動原理となっていった。
 例えば、中村さんの自然・環境の捉え方について、中村さんを20年以上にわたり取材してきた谷津賢二さん(日本電波ニュース社)がフェイスブックでこう書いている。

 《中村哲医師がこの10年、静かに口にし、繰り返し書き記している言葉についてです。「人と自然の和解」。この言葉を私はアフガニスタンでも日本でも、何度も聞いてきました。しかし、私はこの言葉の真意をなかなか理解でないでいました。「人が自然を保護する」ではなく「人と自然が共生する」でもなく「人と自然が和解する」。私はこの4月、アフガニスタンで中村医師に思い切って問うてみました。「人と自然が和解するとはどういうことなのでしょうか?」と。中村医師の答えはこうでした。「自然を人格と捉えるべきだと思っています。ですから和解という言葉を使っているのです」。》(谷津さんのFBhttps://www.facebook.com/kenji.yatsu.73 9月23日)
 野の花一輪も、一人ひとりの人間も天(神)の恵みであり、つねに天はそこに在るという「読み込み」がこうした思想に繋がっていると私には思える。

 実は、中村さんのキリスト教と出会いは内村鑑三を抜きにしては語れない。自らの倫理形成を中村さんはこう振り返っている。
 《それまで私の倫理観の骨格を作ったのは父・勉や祖母マンの威厳であった。外面的な思想の上着は別として、何れも頑固一徹、「曲がったことは許せん」という儒教的・日本的な道徳観に拘束されていたといってよい。『論語』は、愛読書とまではいわぬまでも、人が当然守るべきルールを説くものとして身についたものがあった。
 その後の詳しい経緯は割愛するが、『後世への最大遺物』(内村鑑三)のインパクトは相当大きく、過去の世代の多感な青年たちと同様、私もまた自分の将来を「日本のために捧げる」という、いくぶん古風な使命感が同居するようになった。》(上掲P37-38)

 「曲がったことは許せん」から「天、共に在り」へ。その進化はどのようにして起きたのだろうか。

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 おことわり

 「人間中村哲をつくったもの」をここまでまとまりなく書いてきたが、いったん「お休み」とさせてください。内村鑑三のどの部分に惹かれたのかなど、書くべきことはあまりに多く、ちょっと整理したいのです。また新しい材料を仕込んで再開します。