今から思えば、アメリカによる露骨な侵略で、ひどい戦争だった。いまロシアに対して投げつけられる非難がそっくり当てはまる。
アメリカは国連安全保障理事会の決議を得ずに、先制攻撃としてイラクへの武力行使に踏み切った。アメリカは先制攻撃をやる国だということは、今問題になっている敵基地攻撃を認めるかどうかの議論のさい、わきまえておく必要がある。しかも、戦争の〝大義“そのものがウソだった。
イラクのフセイン政権は大量破壊兵器を所持しており、国際テロ組織アルカイダが生物・化学兵器に関する訓練を受けたなどのアメリカの主張は、のちに誤りだったことが判明する。03年2月5日、当時のコリン・パウエル国務長官は国連安保理でイラクの大量破壊兵器に関する演説を行い、これが戦争を国際的に認めさせることを後押しした。パウエルは国内外で信用されていたからだ。
21年に亡くなったパウエル氏は生前、国連での演説を「人生の汚点」と悔やんでいたという。パウエル国務長官の首席補佐官だったローレンス・ウィルカーソン氏に私は2回インタビューしたことがあるが、彼は開戦当時を後悔の念とともに振り返っていた。
イラク侵攻に踏み切るにあたって、わざと誤った情報をパウエル氏、ウィルカーソン氏のもとに届けさせた勢力がいたのだ。政権内での騙し合いである。開戦と戦争遂行にあたってウソがふりまかれ国民、さらには世界を騙す―これはベトナム戦争でもアフガニスタン戦争でも見られたことだった。
イラク戦争は、米軍による首都バグダッドへの空爆で始まり、フセイン政権は3週間で崩壊した。しかし、米軍への抵抗と混乱が続き約20万人の民間人が犠牲になった。米軍は11年にいったん撤退するが、シーア派とスンニ派の対立、IS(イスラク国)の台頭などで治安が悪化し14年に再び駐留。現在も2000~2500人の米兵が、イラク軍への訓練や支援で駐留する。
アメリカがイラク侵攻に踏み切った大きな理由の一つは、01年末に行ったアフガニスタンへの侵攻で、瞬く間にタリバン政権を崩壊させた「成功」体験だ。(実際は成功ではなかったのだが)
大義無き戦争であり、米国史上最長の、しかも地球の裏側まで遠征しての軍事行動だったアフガニスタン=イラク戦争によって、アメリカの威信は地に落ちた。7兆ドルの戦費は国力を著しく消耗させ、米国の覇権を揺るがした。国内では分断が急激に進行し、世界「一強」の地位からアメリカは転落した。それを象徴するのが、先日のイランとサウジアラビアとの外交関係正常化を中国が仲介したという出来事だ。
アメリカはもはや「世界の警察官」になるつもりはないと公言し、日本を含む同盟国の〝貢献“を強く要請している。いま問題になっている安保政策の大転換もこの流れで進められていると私は理解している。
それにしても、イラク戦争の傷跡の深さは痛ましい。
この大義無き戦争に、日本も「復興支援」の名の下に自衛隊を03年12月から09年2月まで派遣し、事実上参戦したことを私たちは忘れていないだろうか。亡くなった多くの人々に加え、心身を病んで人生を大きく変えられた人々もいる。彼らの訴えの前には、頭を垂れるしかない。
また復興はまだまだで失業率は16%超。地方はほとんど手つかずで、自衛隊が駐屯したサマワのあるムサンナ県では人口90万人のうち50万人が貧困ライン以下とされる。