人間中村哲をつくったもの7

 年末になってテレビは民放が娯楽特番ばかりになり、NHKは紅白がどうなるという話になってきたところに、政府は駆け込みで中東への自衛隊派遣を閣議決定した。

 「安倍政権は27日、中東への自衛隊派兵を決定しました。1991年のペルシャ湾への掃海艇派遣、93年のカンボジアPKO(国連平和維持活動)以来、積み重ねられてきた海外派兵の歴史に、新たなページが加えられることになります。

 とりわけ、自衛隊の海外での武力行使に道を開く安保法制成立後、初めての新たな派兵です。事態の推移によっては、憲法との深刻な矛盾を抱える危険があります。

 今回の派兵は、閣議決定自体に「日本関係船舶の防護の実施を直ちに要する状況にはない」と明記しており、その必要性そのものに疑義があります。国会審議も経ないまま、年末の閣議で駆け込み的に決定したのは、来年1月に米主導の有志連合「海洋安全保障イニシアティブ」が活動を本格化するのに間に合わせようとしたものであることは明らかです。」(しんぶん赤旗

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 27日朝、首相官邸前(東京都千代田区)では派遣に反対する市民団体が抗議集会を開いた。主催者発表で約300人が集まり、「国会での議論もなしに、閣議決定だけで決めるのはおかしい」と声を上げた。(東京新聞

 「桜を見る会」に関する数々の疑惑を残したまま自公は会期延長を拒否して国会を閉会。秋元司衆院議員が逮捕された、カジノを含む統合型リゾート施設(IR)事業を巡る汚職事件に関しても年内の国会閉会中審査は拒否したうえで、上述の重要案件を閣議で決めた。

 安倍内閣は国会などいらないというわけだ。これでは、まともな民主国家とはいえない。

 国会は要らん知らんと行く中東 (大阪府 石田貴澄、今朝の朝日川柳より)

 年の瀬に、怒りがつのる。
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 中村哲先生の話のつづき。

 中村さんは6歳までの幼いころ、母方の若松の玉井家で過ごした。以下、週刊文春記事より。

 《若松の家にいたのは、ほんの数年のことでした。私が6歳のとき、福岡市の近くの古賀町(現・古賀市)に引っ越したからです。後に聞いた話では、中村組の従業員が沈没船引き上げの際に亡くなる事故があったそうです。父は保証人倒れも重なり事業に失敗し、空き家になっていた昔の家に戻った。私はそこで大学を卒業するまで過ごしました。

 古賀町の家は瓦屋根の平屋で、中庭に鯉の泳ぐ池がありました。津屋崎(つやざき)の海岸から運ばせたという庭石が置かれ、事業に失敗して極貧に落ちた、という感じが全くないのは不思議でしたね。とはいえ、借金取りはしょっちゅう来て、強面(こわもて)の男たちが、家具に白墨で差し押さえの金額を書いていく。勉強机にも金額が書かれ、子供心に不安になったのを覚えています。

 ところが、酒豪の両親は心配するより酒でも飲もうと言うばかり。結局、親がクヨクヨしていなければ、子供もクヨクヨしないもので、どこにも悲壮感はありませんでした。》

 いやはや・・・、借金取りが家に上がりこんで、子どもの机までが借金のカタにとられても、親の中村勉夫妻は気落ちせずに酒盛りしていたというのだから、なんとも度胸が据わっている。

 アフガンでの中村さんをよく知る人から、命を狙われていると警告されても平然としていたと聞いたが、この親にしてこの子あり。祖母夫妻をはじめ、この一族は、こうと決めたら腹の坐り方が尋常ではない。

 《しばらくして、父は家を二階建てに増築し、借金を返すために旅館業を始めました。「ひかり荘」という旅館の名前は、伯父が付けてくれたものです。部屋は15ほどあり、建設業関係の客が多かったです。土木工事が近くであると、何か月も部屋を借りて出勤するわけです。考えてみれば、私はアフガンで用水路づくりの土木工事をしているので、いまもそうした人たちに囲まれて働いている。何とも不思議な気がします。》

 いわゆる土方(どかた、今はテレビ界では禁句)たちと接しながら子ども時代を過ごした中村さんだから、土木に対する偏見がまったくない。

 中村さんはアフガンで、医師の白衣を脱いで農業用水路を作るという土木に邁進することになるが、この転身を見る上で見逃せないのは内村鑑三からの影響だった。
(つづく)