「皆殺しになっても発砲厳禁」その2

 「日本による防衛費の歴史的な増額や新たな国家安保戦略に基づき、我々は軍事同盟を現代化している」とバイデン大統領。

 岸田文雄首相は去年5月のバイデン氏への約束(防衛力の抜本的な強化と防衛費の相当な増額)を守っておほめにあずかったわけだ。この人、アメリカには「聞く耳」を持っているらしい。

フジTVより

朝日川柳では―
 デレデレと日本を下げるわが首相兵庫県 石原昭義)

 リスニングテストほめられ帰国する(東京都 尾根沢利男)

 このたびの朝貢特に高くつき(東京都 吉永光宏)

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 前回のつづき。中村哲医師の祖父、玉井金五郎は、江崎満吉一家のなぐりこみにどう対処したのか。

石炭の積み込み港として栄えた若松港

ごんぞう小屋。奥に見えるのが「若戸大橋」。


 江崎組は深夜零時のなぐりこみに備え、四斗樽を抜いて気勢を上げる。

 一方、金五郎はなぐりこみのことは住み込みの子分8人にも知らせないまま夜を迎えた。11時になって金五郎はマンに、水をいっぱいに張った大だらいを玄関に置くようにいい、若い衆にはあるだけの提灯に火をいれさせた。家紋の「丸に橘」と「玉井組」の字の入った50個以上の弓張提灯が玄関にずらりと並んで煌々とあたりを照らす。そこではじめて金五郎が言う。

「みんな、今夜、十二時をすぎたら、江崎満吉がなぐりこんで来る。相手は、おれが一人でする。玉井組は喧嘩商売じゃないけ、お前たちに、喧嘩の巻き添えを食わせとうない。二階にあがって、絶対に、降りて来ることはならん。おれが斬られても、手出しするな。さあ、早く、あがれ」

 色をなす子分連中を二階に追い立て、金五郎は二階に通じる梯子を外してしまう。マンにも「出て来んな」と台所に引っ込め、金五郎は一人、たらいの前に、入口の真正面を向いてあぐらをかいた。ここからは『花と龍』を引用。

《手拭で鉢巻をして、着物の両肌を脱いだ。満艦飾の提灯の照明の中に、たくましい金五郎の白い肌と、青々とした龍の彫青(いれずみ)とが照らし出された。
 金五郎は、新之助から借りて来た二本の日本刀を抜き身にして、盥(たらい)の水に浸けた。チャポ、チャポと、洗った。そして、ときどき、表の夜の暗黒を、ぎょろりとした眼玉をむいて、のぞくように、睨む》

 結局、朝まで誰も玉井組に姿を見せなかった。この異様な光景に、竹槍、日本刀、鎌などで武装したなぐりこみ隊は気味が悪くなり、そのうち恐ろしくなって引き上げていったのだった。

 どうだろう。このシーン、アフガニスタン中村哲医師の診療所が襲撃を受けたときに相通じるものがあるのではないだろうか。

 小説のタイトル『花と龍』は、金五郎のトレードマークの左肩の入れ墨が、菊の花を持つ昇り龍だったことに由来する。もともと暴力は大嫌いな性分で、若気の至りで彫った入れ墨をのちに悔やんでいたという。

 この『花と龍』、映画では任侠ものとして描かれるが、「玉井組」というときの「組」はヤクザ組織ではなく、「ごんぞう」と呼ばれた仲仕を束ねる請け負い業者のことで、組を仕切るのは小頭といわれる。これに三菱、三井、古河、麻生(あの自民党麻生副総裁の「実家」)などの炭鉱資本や鮒会社などとのからみで、さまざまな「組」が存在した。

若松駅には大きな「石炭」が展示してあり、そこに三菱、麻生など炭鉱資本のマークも。

 玉井金五郎は、大資本を相手に安くこき使われがちな「ごんぞう」の賃金を上げる交渉をしたり、怪我人への見舞金を出させたりと、玉井組を、労働者互助会、あるいは労働組合のような性格ももつ組として運営した。一方、大資本や地域ボスの手先になって玉井組を妨害するもろに暴力団のような「組」もあり、仕事の取り合いもあって、抗争が絶えなかったようだ。金五郎は敵対する組からめった切りにされ瀕死の重傷を負うなど、体中に数えきれない刀傷があった。しかし、自らは暴力を封じ、乱暴されても仕返しをしないめずらしい「親分さん」だったという。

左は主演中村錦之助(1965年)、右は高倉健(69年)。どちらの映画も任侠ものになっている。ほんとは喧嘩が大嫌いな金五郎だったのだが。

 金五郎は、小頭を束ねて「若松港汽船積小頭組合」を作り、その長男の勝則(火野葦平)は「ごんぞう」(仲仕)の労組「若松石炭沖仲仕労働組合」を組織する。勝則は組合の書記長になり、事務所を玉井組詰所の2階に置いた。小頭組合と労働組合は、「ごんぞう」の大量失職をまねく港湾の合理化・機械化に抗して、歴史的な大罷業(ゼネスト)をうつ。この過程で暴力をもっての嫌がらせも起きるが、金五郎たち家族は、「数千人の働く人たちの大きな問題のために、小さい争いを避け」て、我慢に我慢を重ねる様子が描かれている。 

 自分のことは顧みず、自分を頼ってくる弱い立場の人びとを優先して考えるという点で、また、暴力では何も解決しないとしてきびしく忌避する点で、金五郎一家と中村哲さんがダブって見えてくる。

 中村哲さんの思想のルーツをさらに辿ってみよう。

(つづく)

今は静かな洞海湾