中村哲医師とアフガン

takase222009-08-26

アフガンの選挙はまだ集計作業が続いている。
《これまでに集計した約52万4000票(開票率約10%)のうち、カルザイ候補が41%、アブドラ候補が39%を獲得した。選管は結果について毎日最新情報を発表すると確約したが、最終結果が判明するのは9月3日となる見込み。
 投票数は約500万票と投票率の低さを示唆する数字となった。同国の人口は3000万人前後で、有権者数は推計1500万人となっている。反政府武装勢力タリバンが選挙妨害を目的に攻撃などを行ったことで特に南部で投票率が低下した。》(ロイター)
「選挙が正常化への一歩になる」といった楽観的な見方は消えうせ、今アフガンを報じるほとんどの記事が、選挙後の情勢には非常に悲観的になっている。投票率が非常に低く、またカルザイの圧勝はなさそうとなると、政権の権威はさらに落ちよう。選挙結果に正当性を認めないとの声も大きくなるに違いない。今後、軍閥同士や支配層の内紛が拡大しそうだ。
きのうの朝日新聞天声人語」で《ペシャワール会》が取上げられていた。中村哲医師が立ち上げたアフガン支援組織で、ちょうど一年前のきょう、スタッフの伊藤和也さんが亡くなっている。
実は中村さんにちょうど注目していたときだったので感慨深かった。
中村さんは、26年にわたって主にアフガン民衆支援の活動を続けてきた、素晴らしい人である。活動は診療援助から始まったのだが、00年、400万人が飢餓にさらされる事態に直面する。農業用水も飲み水もない中、栄養失調、下痢でばたばたと子どもが死んでいく。水の確保が一番と井戸掘りに活動の重点を転換。さらに03年には「百の診療所より一本の用水路」を合言葉に本格的な灌漑用水路の建設を開始し、ついに今月3日、全長24kmの用水路が完成したという。
私はこの奮闘ぶりを、中村さんの著書『医者、用水路を拓く』(石風社)とペシャワール会のDVD『アフガンに命の水を』(制作:日本電波ニュース社)で知って感動した。中村さん自身が土木技術を学び、ショベルカーを運転した。のべ60万人(DVDによる)の労働者を指揮しながら数え切れない困難を乗り越えての快挙である。途中でエンジニアはみな逃げていなくなってしまい、土地の伝統工法を使った農民たちの手作業で進めた話、中村さんの故郷の福岡県筑後川に江戸時代に造られた「山田堰」という取水口をモデルにし、何度も通って日本古来の技術を取り入れた話など、面白いエピソードがたくさんある。医師が、診療所より用水路と言い切って方向転換するとは。よほど本質を見極める力と決断力、実行力にすぐれた人に違いない。
いま私が中村さんに遅ればせながら注目しているのは、今のアフガン情勢を見るうえで、彼のような見方が必要ではないかと思ったからだ。
中村さんはアメリカの空爆に強く抗議し、日本の「協力」にも反対していた。9.11の一ヵ月後、01年10月13日、中村さんはテロ特措法の審議にかかわって国会の特別委員会の民主党参考人として呼ばれた。
《「不確かな情報に基づいて、軍隊が日本から送られるとなれば、住民は軍服を着た集団を見て異様に感ずるでありましょう」「よって自衛隊派遣は有害無益、飢餓状態の解消こそが最大の問題であります」
この発言で議場騒然となった。私の真向かいに座っていた鈴木宗男氏らの議員が、野次を飛ばし、嘲笑や罵声をあびせた。司会役をしていた自民党の亀井(善)代議士が、発言の取り消しを要求した。》
(中村前掲書)
参考人に「発言の取り消し」を求めるとは筋違いもいいところだが、9.11直後、テロとの闘いに協力するのは当然という雰囲気に包まれていた日本で中村さんがこんな発言をすることは非常に勇気のいることだったと思う。
そしてタリバン政権が倒された後、米軍侵攻を批判するだけではなく、「米軍よりタリバンの方がはるかにましだった」、「タリバンが支配していた時代が一番仕事がしやすかった」という発言まで行っていた。
私は、中村さんの仕事には心から尊敬の念を抱いていたけれども、タリバンに好意的とさえ聞こえる中村さんのアフガン情勢評価については納得できないものを感じていた。
しかし、気になっていた中村さんの発言をもう一度振り返ってみると、なるほど!と感じ入ることがいろいろある。
(つづく)