「皆殺しになっても発砲厳禁」(中村哲)

 一昨日、北九州市の若松を歩いた。

 中村哲医師は小学校1年生までの幼少期を母の実家のあるこの地で暮らした。若松は筑豊炭田から運ばれてくる石炭を国内外に搬出する港として大いに栄えたが、母方の祖父母、玉井金五郎とマンは、船への石炭の積み込みを請け負う「玉井組」を興し、多くの沖仲仕を抱えていた。

弁財天通り(海岸通り)。左手の石炭会館の裏に「玉井組」事務所があった。

 若松は、「川筋もん」の遊侠の気風でも知られる。祖父、玉井金五郎は、「ごんぞう」と呼ばれた沖仲仕から身を立て、日本有数の「暴力地帯」でもあったこの地で、組同士の命がけの拮抗のなか、北九州一円で名を知られる「親分」にのし上がっていった。

「ごんそう」と呼ばれた石炭を積み込む仲仕。

 金五郎と妻マンの長男として生まれたのが、勝則、のちの芥川賞作家、火野葦平である。中村さんにとって、火野葦平は母親の兄、叔父にあたる。

火野葦平資料館

玉井家。中央が金五郎。左端が早大時代の火野葦平、右から2番目が中村哲さんの母親になる二女、秀子と思われる。

 若松市民会館の中にある火野葦平資料館では、「金五郎と若松の歴史」展をやっていて、「玉井組」関連の写真や資料、映画を観ることができた。

 聞けば、去年の年間企画は「中村哲の源流(ルーツ)」展だったそうだ。

火野葦平中村哲さん。左端が(たぶん)祖母の玉井マン。

 中村さんが亡くなったとき、火野葦平資料館の坂口博館長はこうコメントしている。

「中村さんは貧しき人や困っている人のために手を差し伸べる『川筋気質』を世界で体現する人だった。『義侠心(ぎきょうしん)』のようなものがあった」。
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/565744/

 中村さん自身、親族、特に祖父母、父そして火野葦平から生き方に強い影響を受けたと語っており、今回若松に行ったのは中村さんのルーツに触れてみたかったからだ。

takase.hatenablog.jp

 

 93年10月、アフガニスタンで、中村哲医師は、村人に診療所を襲撃されるという事件に遭遇している。その時の中村さんの対応は驚くべきものだった。

 アフガニスタンの田舎は兵農一体であり、農民は「銃と自由を愛する」(中村)兵士でもある。
 あるとき、診療を受ける順番をめぐるいさかいがこじれ、診療所襲撃へと発展した。夜、診療所が包囲され銃撃が始まった。診療所スタッフの中にも銃の扱いや戦闘に慣れた猛者がいて反撃の態勢を取ろうとした。中村さんはその時「反撃を厳禁する」と言ってスタッフの前に立ちはだかった。

 それじゃ、皆殺しにされてもか、と不服を述べるスタッフに、「そうだ。皆殺しになってもだ!」と中村さんは強く言った。

「よく聞きなさい。私たちは人殺しに来たのではない。人の命を助ける仕事でここにいる。鉄砲で脅す奴は卑怯者だ。それに脅えて鉄砲を撃つものは臆病者だ。君らの臆病で迷惑をするのは明日の診療を待っている患者だ。」
 全く反撃しない、こちらの落ち着きぶりを不気味に感じたのか、銃声は収まり、襲撃者たちは引き上げた。

 翌朝、中村さんは付近の長老や族長20人を前に「診療所が無用ならば、私たちは直ちにここを引き上げます」と告げた。しばしの沈黙の後、長老が立ち上がり、非礼を詫び、すべてが解決した。長老の決定は絶対である。

 中村さんは事件をこう振り返る。
「武器を携行しないことは、携行するより勇気のいることだが、事実は人々の信頼を背景にすれば案外可能なのです。無用な過剰防衛は敵の過剰防衛を生み、果てしなく敵意、対立がエスカレートしていく」。(『ほんとうのアフガニスタン』より)

 私はこの事件に、玉井金五郎の姿を重ね合わせてしまう。

 若松に金五郎が玉井組事務所を開いて間もないころ、市民に無理難題を吹っかけて迷惑がられている「江崎組」の若い衆を金五郎がたしなめたところ、江崎組から深夜零時に「なぐりこみ」をかけるとの果し状がとどく。

「花と龍」は何度も映画化されているが、私が観たのは石原裕次郎浅丘ルリ子が玉井夫妻を演じる作品だった。このころの浅丘ルリ子は可愛かったな。

 「玉井組」は、のちには直属の子分だけで数百人、系列の「組」多数を擁するまでになり、金五郎自身、働く者の代表にと押されて市議を6期も務める名士になっていくが、このころはまだ頭角を現わしたばかり。初めて迎える組同士の「決闘」である。組の存続がかかっている。

 迎え撃とうとはやる子分たちを前に、金五郎は、自分一人にまかせろ、「おれが斬られても手出しするな」ときつく言いつけるのだった。

 火野葦平が玉井組を描いた実録小説『花と龍』前半のクライマックス。このあとが最もハラハラさせるシーンである。金五郎はたった一人で、どうやって数十人の武装したならず者どもに立ち向かったのか。

(つづく)