山形置賜の遺産「草木塔」

takase222014-08-17

15日、お盆の墓参りで1泊で山形に行ってきた。
いま、「山形デスティネーションキャンペーン」というのをやっていて、都内のJRの駅にはそのパンフレットがいくつも置いてある。ぱらぱらめくってみると行ってみたいところがたくさんある。意外に故郷のことを知らないものだなと思う。
おや、と目が止まったのが、草木塔(そうもくとう)。置賜地方文化遺産だそうだが、初めて知った。木材の伐採地に多いという。
《草木塔とは、「草木塔」、「草木供養塔」、「草木供養経」、「山川草木悉皆成仏」などという碑文が刻まれている塔です。素材は石で、部分的に研磨するなどの手を加えたものもありますが、ほとんどが採石された状態のままの自然石です。国内に160基以上の存在が確認されていますが、建立されている地域は本州の一部に限局しております。さらに草木塔の約9割は山形県内に分布し、4つの地方に分かれる山形県内でも、特に、置賜地方と呼ばれる地域に集中して存在する独特な石造物文化遺産です。
  最も古い草木塔は、江戸時代中期の安永九年(1780)に山形県米沢市大字入田沢字塩地平に建立されたものです。現在のところ、江戸時代に建立された草木塔としては、34基が確認されておりますが、そのうち32基が山形県内に立てられています。》
http://somokuto.com/
塔が建てられた目的はよくわかっていないらしい。山仕事の安全祈願や自然万物への祈りなどがあったのではと言われている。また、上杉鷹山が建てさせたとか、出羽三山の山伏の勧めだとかの説もあるようだ。
こんど、古い草木塔を歩きながら回ってみたいと思う。
いま、地方から伝統や歴史の掘り起こしが進んでいるのはうれしいことだ。滞在型の観光客を増やすことにもつながる。

南陽市では、先月1000戸を超す浸水被害があった。
市の中心部(赤湯)は商店街のメインの通りが吉野川の氾濫で水浸しになって、石灰の白い粉がいたるところにまかれている。私の在はもう一つの川、織機川(おりはたがわ)の氾濫でやられ、今は留守にしている家は実害はないものの、敷地にまでひたひたと水が来たようだ。
うちだけでなく空き家になっている家は多い。商店が並んでいた通りも更地が目立つ。こういうところに災害があると大変だ。住むのは年寄りだけで、浸水した畳を乾かすのもままならない家も多いらしい。ボランティアだ3000人が来て、重宝がられたようだ。その最後のグループが先週まで復旧作業にあたっていたという。
高齢過疎化を何とかしなければという思いを帰省のたびにする。近年、若い人が地方に移り住む動きがあると聞くので、こんど調べてみよう。

私の在は、鶴の恩返しの伝説のあるところで、氾濫した織機川の名もそれにちなんでいる。お墓は、鶴の羽の織物があったと言い伝えられる名刹、珍蔵寺にある。
http://nansupo.ddo.jp/nanyo-cl/yuduru/temple.html
ここに行くと、子どものころの思い出がこみ上げてきて異次元の心境になる。
お墓のそばを大きなクロアゲハが舞っていた。
前回、お盆で来た時もクロアゲハを見た。お墓は特別な空間である。

いまさっき、イスラム国に日本人が拘束されたとのニュース。
ゆかわはるな氏で、民間軍事会社の社長だという。シリア最前線に行ったという映像をサイトで出している。http://profile.ameba.jp/private-military/
イスラム国が彼をどう扱うか、心配だ。