芭蕉もブドウを食べていた

 きのうの夜、東京国立博物館に縄文展(縄文―1万年の美の鼓動)を観に行った。金曜と土曜は夜9時までやっているのでありがたい。行って良かった。縄文のすごさに圧倒された。同時に「美の競演」というコーナーで、黄土高原(中国)、インダス川周辺、西アジアと東地中海、ヨーロッパと世界各地の先史土器を展示していたが、みな弥生式土器に通じる機能的な美しさ(functional beautyと記してあった)を持つもので、縄文の造形美がいかに突出したものかがよくわかる。明日、2日(日)が最終日なので、関心のある方はぜひ。展示の感想は次回に。
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 きのう、山形県の北部の最上町と舟形町を流れる最上小国川が氾濫して、最上町、戸沢村鮭川村には避難指示が発令されたとのニュースが流れた。大事にならぬよう祈ります。ここは8月初旬にも豪雨で被害が出ており8月に2回も災難に見舞われたわけだ。
 一方、私の田舎の置賜地方では、同じ山形県なのに、雨が降らないで困っているという。先週末、父の7回忌の法事で帰省したさい、日本海を台風が北上していて雨だったが、地元では雨は久しぶりで、「もっと、もっと降ってもらわないと困る」とのこと。春からずっと雨が降らず農作物にも影響が出ていると聞いて驚いた。出荷がはじまったブドウが「身がちぢこまって干しブドウみたいに」なるほどだという。西日本はじめ各地での豪雨報道で、日本中で雨量が増えているのかと勘違いしていた。
 地球温暖化に伴う影響と想定される局地的集中豪雨」という表現を国土交通省もしているくらい、温暖化によって、世界の気候は「別のステージ」に入ったらしい。

(置賜盆地を囲む山の斜面にブドウ畑が広がっている―trainfrontviewより)
 ところで、山形県置賜地方は、東北地方で最も歴史のある明治時代創業のワイナリー(南陽市赤湯の「酒井ワイナリー」)もあるくらい、昔からブドウが名産なのだが、これを書いているうちに、ブドウはいつごろから栽培されているのかという疑問がわいた。ブドウには西洋の果物というイメージがある。
 明治11年に東北地方を旅した英国人旅行家、イザベラ・バードは、このブログで何度も紹介したが、置賜地方の風物、人情に感動してこんな文章を書いている。
 《米沢平野(置賜盆地のこと)は、南に繁栄する米沢の町があり、北には湯治客の多い温泉場の赤湯があり、まったくエデンの園である。「鋤で耕したというより鉛筆で描いたように」美しい。米、綿、とうもろこし、煙草、麻、藍、大豆、茄子、くるみ、水瓜、きゅうり、柿、杏、ざくろを豊富に栽培している。実り豊かに微笑する大地であり、アジアのアルカデヤ(桃源郷)である。自力で栄えるこの豊沃な大地は、すべて、それを耕作している人々の所有するところのものである。彼らは、葡萄、いちじく、ざくろの木の下に住み、圧迫のない自由な暮らしをしている。これは圧政に苦しむアジアでは珍しい現象である。》
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20080122
 ほら、すでにブドウを栽培している。おそらく、バードの前に西洋人がこの地方に来ることはなかったから、維新後西洋の文物が日本に入ってくるはるか前から、ブドウは置賜で栽培されていたはずだ。
 
 お手軽で恐縮だがWikipediaによると、「紀元前3000年ごろには原産地であるコーカサス地方カスピ海沿岸ですでにヨーロッパブドウの栽培が開始されていた」そうで、ワインとともに世界中にひろがっていったらしい。
 「日本で古くから栽培されている甲州種は、中国から輸入された東アジア系ヨーロッパブドウが自生化したものが、鎌倉時代初期に甲斐国勝沼(現在の山梨県甲州市)で栽培が始めら」れたとある。松尾芭蕉が「勝沼や 馬子も葡萄を食ひながら」との句を詠んだとも。芭蕉がブドウを食べていたとは知らなかった。
 「関西や山形でも栽培がおこなわれるようになり、江戸時代末期には全国で約300haにまで栽培面積は拡大していた」とあるから、山形は江戸時代から主要産地の一つだったようだが、ブドウ栽培のきっかけは、実は、上杉家の殖産政策だったという。
 上杉家は、会津120万石から30万石の米沢藩に移封されたにもかかわらず、6000人の家臣団をリストラせずに連れて来たため、財務が極度のひっ迫状態におかれた。質素倹約と殖産政策の二本柱で窮地を乗り越えようとしたのが「愛の武将」で知られる直江兼続で、その偉業を伝える「米澤直江會」の会長さんはこう語っている。
 「米沢の隣の南陽市は山形屈指のぶどう産地ですが、これも兼続が関係しています。米沢入りした兼続は財源確保のため各地で鉱山開発をするんですが、赤湯というところに甲斐から招いた鉱山師を入れているんです。その際彼らはぶどうの苗を一緒に持ってきた。それが南陽市におけるぶどう栽培の始まりです。」https://n-story.jp/topic/17/page5.php
 葡萄も上杉家と関係していたのか・・・というわけで、田舎の歴史をちょっと勉強させてもらいました。