「できない」のではなく「したくない」

takase222014-08-12

先週は台風で荒れた天気だった。
先日の「朝日歌壇」で上田結香さんがコミカルに詠んでいる。

絶え間ないフラッシュライトの中歩くスーパーモデルの気分だ雷雨は
常連が夏をそれぞれに切り取る。

今日からは夏服風が吹くたびにゆれて楽しいプリーツスカート
                (富山市)松田わこ

酷暑日の独立祭の夕食の年に一度の西瓜のうまい 
                (アメリカ)郷 隼人

ホームレス歌人、宇堂さんが今週も入選。
よりどなく電車の床を転がれる空き缶も拾ふ生きる糧のため
                (ホームレス)宇堂健吉
どんなに大変でも、自分の境遇を客観的に眺めて、短歌に詠める心の持ちようがいい。
・・・・・
ロビン・ウィリアムズ死亡のニュースが流れた。
自殺らしい。彼のイメージにそぐわないので、ちょっと驚いた。

私はあまりたくさん映画を観ていないが、『パッチ・アダムス』はとても印象深かった。病院には笑いが必要だと信じる医者が、道化師の格好で病室の患者さんに笑いを振りまく実話を映画化したもの。とくに重病の子どもたちをケアするシーンは感動的だった。
アダムス医師の活動から、ホスピタルクラウンという、病院を訪問する専門の道化師が要請されるようになったという。
パッチ・アダムスの信条には、次のようなものがあるという。
ひとをケアする理由はただひとつ。人間を愛しているからです。
ケアは愛を動詞化する。ケアは概念ではなく、行動です。
ひとを思いやるという人生を送ることによって、あなたは自分のなかで一番深い平和と安らぎを得る。
すばらしい。

で、アドラー心理学の話。
子どもが学校に行きたくなくて腹痛を起こす、思春期の少女が、男の人と付き合うのに失敗するのを避けようと赤面症になるなどの例を出してきた。
大人も少し「手が込んでいる」が基本は同じだという。例えば、「したくない」ということが先にあって、理由は後から考え出される。
何か原因があって「できない」のではなく、「したくない」からしないことを正当化できる理由を見つける。
飲み屋で、職場の同僚同士で「やってらんねえよ」といいながら盛り上がっているのをよく見る。
上司(または部下)が無能だから、取引先の担当がアホだから、この業種はそもそも不況業種だから、はては世の中が悪いから・・・こうしてみなが納得しあっている。今だったら「暑さで寝られない」なんていう理由付けもあるかも。

感情も理由に使われる。
「怒りにかられるから大声を出すのではなく、大声を出して「相手役」を自分の意に従わせるために怒りという感情を創り出す。」
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20140725
母親が子どもをどなりつけている。そこに電話がなる。受話器を取ると学校の担任からだ。母親は一転猫なで声で対応。電話が終わるとまた子どもに向かって大声で叱りはじめる。
これもよくありそうな光景だが、ある目的のために感情を利用していることがよくわかる。
こういう心の動きを私たちは無自覚に(または無自覚を装って)やっているわけだが、考えてみるとたしかにそうだなと同意せざるをえない。
(つづく)