いま直接に関わっている番組が五つある。
どの番組でも何かとやっかいなことが起きるものだ。そういうトラブルはたいてい私に回ってくる。で、せわしい日々が続いている。
それでも何とか時間をひねり出して、17日の日曜日に駆けつけたのはホテル・オークラ。
「ダライ・ラマ法王と科学者との対話〜宇宙・生命・教育」(写真)を聞きに行ったのだ。
プレゼンテーションに招かれたのは5人で、その一人が、私の師である岡野守也さんだ。岡野さんが最初のプレゼンを行ない、「コスモス・セラピーは現代の〈方便〉たりうるか」というタイトルで話をした。さわやかに生きることができるコスモロジーが、とてもコンパクトに濃縮された講演だった。
みなさんに薦めたい世界観・人生観なので、岡野さんのブログ「伝えたい!いのちの意味―岡野守也の公開授業+α」を紹介したい。http://blog.goo.ne.jp/smgrh1992
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きょう、ある民放の報道局のプロデューサーHさんと仕事で会っていた。
会うなり彼は「特定秘密保護法案が通りそうですね」と心外な顔でいう。
「何かトントン拍子という感じですね」と私。
Hさんは、2003年のメディア規制三法のときは、主要マスコミ全社が反対の論陣をはったのに、今回は産経と読売が賛成に回っていること、03年は、民放連(日本民間放送連盟)は断固反対だったが、今回は「懸念を表明する」だけであることなどを挙げ、かなり雰囲気が違うという。
(民放連の「意見」はhttp://j-ba.or.jp/files/jba101254/JBA20130917.pdf)
注)メディア規制三法とは、「個人情報保護法」(2003年成立)、「人権擁護法」(廃案)、「青少年有害社会環境対策基本法」(提出断念)。
いまから振り返ると、「特定秘密保護法案」が出てからのメディアの反応が鈍かった。
私もメディアでメシを食っているので、「特定秘密保護法案の廃案を求める要請」への賛同者の一人に名を連ねたが、鳥越俊太郎氏らが、この「要請」を内閣府に提出したのが20日なのだから、遅すぎると言われて当然だ。
私自身、この法案が、こんなに簡単に採決まで進むとは思っていなかった。自分もこういう規制に対して鈍くなっていたことを反省している。
Hさんによれば、メディアに責任があるのは当然だが、メディアへの国民からの冷たい目線を感じるという。メディアやジャーナリストらが法案に反対しても、「困るのは、お前らの商売に関わるからだろ」という空気があると。
「僕らが反対すればするほど、世間は反発するみたいな、変な空気を感じます」。
まったく同感だ。
そして、この背景には、3.11以降のマスコミ不信があるのではないかとも思った。
脱原発のデモなどをテレビが取材していると、デモ参加者から「あんた方、ちゃんと本当のことを報道してんのか」と揶揄されたりする光景をよく見る。以前は右翼がマスコミに悪態をついたものだが、いまは右も左もマスコミには冷笑的だ。
これほどメディアが国民からの信頼を失った時代はなかったのではないか。
メディアの存在意義が感じられなくなるとは、こわい時代である。
今朝の朝日新聞に、元『噂の真相』編集長の岡留安則氏が、法案反対の弁を載せていた。もっともきわどいところでやっていた人だけに、説得力があった。
《政治家や検察のスキャンダルを暴いた「噂(うわさ)の真相」を2004年に休刊した理由の一つは「個人情報保護法」の施行でした。その後報道への目に見える介入はないが、法律ができただけで抑止効果はあった。今回の特定秘密保護法案は報道の自由にさらに網をかける、戦後最悪の悪法です。
例えば、話題を呼んだ当時の現役首相の学生時代のスキャンダル報道なんて萎縮してできなくなります。我々は名誉毀損(きそん)で訴えられましたが、元首相の指紋番号や事件番号という、警察関係者の内部情報を入手し、賠償金なしで和解しました。
もしこうした情報が特定秘密とされるなら、我々は一発で「教唆」や「共謀」で懲役刑だったでしょう。法律はいくらでも拡大解釈可能で、権力が恣意的に判断できてしまうのです。
省庁幹部の情報が特定秘密とされれば、スキャンダルや不正経費流用が暴かれることもなくなります。市民運動や批判的な学者も打撃を受け、世の中は萎縮する。見ざる、言わざる、聞かざるが一番いいという雰囲気になれば、国の活気すらなくなるでしょう。(略)》
明日はどうなるか。