「胃ろう」しますか1―最新は最善ではない

いま、胃ろう(胃瘻)が関心を呼んでいる。というか社会問題になっている。
食べられなくなった高齢者がチューブで栄養を直接胃に入れる胃ろうをつけることが普通に行われている。いま日本では60万人近くが胃ろうをつけており、ほとんどが認知症の高齢者だという。
食べられなくなったら胃ろう、呼吸できなくなったら気管切開して人工呼吸器、というふうに延命措置をほどこすことの是非をいまあらためて考えようという機運が出ている。
まず、医学界が大きく路線転換した。簡単に胃ろうをつける傾向に待ったをかけたのだ。
《高齢者の終末期医療とケアについて、日本老年医学会は28日、胃に管で栄養を送る胃ろうなどの人工栄養や人工呼吸器の装着は慎重に検討し、差し控えや中止も選択肢として考慮するとの「立場表明」をまとめた。最新、高度な医療をすべて注ぎこむことは必ずしも最善の選択ではないと判断した。表明の改定は11年ぶり。
 終末期医療の手続きなどを定めた法的ルールはない。この立場表明にも拘束力はないが、高齢者医療に携わる医師が治療方針を考える際の基本原則とするもの。具体的な手順などを定めたガイドライン(指針)を作る際のもとになる。
 まず、高齢者の終末期における「最善の医療およびケア」を「必ずしも最新もしくは高度の医療やケアの技術すべてを注ぎこむことを意味するものではない」と明記。高齢者の心身の特性に配慮し「残された期間の生活の質(QOL)を大切にするものだ」との考えを示した。
 その上で、高齢者が最善の医療およびケアを受ける権利の一環として「(おなかに穴を開け、管を通して水分や栄養剤を胃に送る)胃ろう造設を含む経管栄養や気管切開、人工呼吸器装着などの適用は慎重に検討されるべきだ」と指摘した。具体的には「本人の尊厳を損ねたり、苦痛が増えたりする可能性があるときは、差し控えや撤退を考慮する必要がある」と記した
》(1月29日朝日新聞
「最新」「高度」が「最善」ではない。終末期のQOL(クオリティ・オブ・ライフ)を重視する―これは重要な提起である。
この問題は、死をどう迎えるか、終末医療はいかにあるべきかをはじめ多くの大事なテーマにかかわってくるのだが、私にとっては、身近な話につながっている。
胃ろうをつけるかどうか、そろそろ決める時期になっていた親族がいるからだ。父である。スプーンで食べ物を口に持っていっても、首を横に振って食べない。げっそり痩せて体力がなくなり、とりあえず点滴でしのいでいた。そこで先日、胃ろうをつけるかどうかを家族で話し合うことになったのだ。
話し合うといっても、何をもって判断材料にすべきなのか。
「本人の意思を聞く」?そんなの呆けてるから無理だろう。
そう思う人が多いだろう。私もそうだった。
しかし、大井玄先生の「認知症高齢者と胃ろう―その意向は尊重するべきである」という論考を読んで、私はこれまでの考え方を根本的に改めた。
小さい子どもが「注射はいや」というのと、認知症高齢者が「胃ろうはいや」というのは、全く次元が違うというのだ。
(つづく)