「胃ろう」しますか7−と聞いてみたら

takase222012-04-13

今朝7時39分、北朝鮮がミサイル「銀河3号」を発射したが、直後バラバラになって失敗した。驚いたのは、北朝鮮がメディアで失敗を認めたことだ。
地球観測衛星の軌道進入は成功しなかった」「科学者や技術者、専門家らが現在、失敗原因を究明している」と発表したのだ。
98年8月と09年4月にそれぞれ光明星1、2号を打ち上げ後もすべて軌道進入に失敗していたことが知られているが、成功したと発表していた。今回もこうくるだろうと思っていた。
TBS「ひるおび」は、高英起(デイリーNK)、鈴木琢磨毎日新聞)、黒井文太郎(軍事ジャーナリスト)それに将軍様の料理人、藤本健二というすごい顔ぶれをスタジオにそろえた。
当たり障りのないことをしゃべっている大学の先生たちより、はるかに面白いし、ためになりそうだ。
鈴木さんが、北朝鮮が失敗を認めたことは過去に例がなく、本気で分析しなければという意味のことを言っていたのが印象的だった。
では、なぜ認めたのか。待ってましたとばかりに「正恩(ジョンウン)王子だからだ」と思い出を語りだしたのは、藤本さん。バスケットの試合で、藤本さんがレフェリーになり、厳正なジャッジをして「王子たちのチーム」が負けた。兄の正哲(ジョンチョル)は「お前のジャッジのせいだ」と文句を言ったのに対して、弟の正恩はしょうがないと潔く負けを受入れたという。金正恩は失敗を認める人だというのだ。
もしそれが真相なら、金正恩は、北朝鮮ゴルバチョフとして体制をとことん解体してもらいたい。やらないと思うが。
テレビや新聞では、発射前に外国プレスを大挙取材に呼んでおりとても隠せない、恥をかかないために認めた、あるいは認めることで透明性が高いと国際社会に示すため、などと解説しているが、どちらも納得できない。はっきり「これ」と指摘できないが、もっと何か別の要因があると思う。
ここまで異例だと、当然、謀略説も出てくる。
《外国プレスを入れたのは「打ち上げ失敗」を見せるための謀略でなかったか。核や弾道ミサイルに固守する軍強硬派を叩き潰すための謀略か。北朝鮮でそれができるのは張成沢だけ。中国が支援するクーデターのような気がする》(神浦元彰氏)
もしそうなら労働党のただなかから体制がほどけていくだろう。まだ判断材料がないが、謀略説はありそうにないと思う。
今後どうなるかについてTBSスタジオでは、高さんが「ミサイル失敗を挽回するために核実験が早まる」、黒井さんは「核実験は可能性薄くなった」と逆の分析。この事態を、権力闘争のなかに置いてみると、どっちもありうる。
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そんななか、原発の再稼動にむけて事態が進んでいる。
《定期検査で停止中の関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)をめぐり、野田政権は13日夜の関係閣僚会合で安全性を最終確認し、再稼働することが妥当だと判断した。これを受けて、枝野幸男経済産業相は14日に福井県を訪問し、再稼働を要請する》(朝日新聞
ミサイル騒動で隠れてしまっているが、日本のエネルギー政策は、いままさに転換点を迎えている。
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さて、胃ろうは、認知症高齢者であっても、倫理主体としてその意思を尊重されるべきだという論考を紹介してきた。
具体的に聞くときにはどうするのか。
親密な関係が意思患者間につくられていても、聞き方は誘導尋問にならないように心がけるべきだという。例えば大井さんは;
「夜はよく眠れますか」「ご飯はおいしいですか」「お通じはありますか」「特に痛いところはありませんか」
「食事のとき、むせたり、ご飯がつかえるような感じはありませんか」
「年をとると飲み込みが悪くなりがちです。そのため肺炎を起こしたりします。そんなことは今までありませんか」
「そんなときの治療として、おなかに穴をあけて管で栄養を入れるのがよいという人もいます。あなたはそういうようにされますか」
といった、いつも患者さんに聞く内容に加えて質問すると言う。

最近、入院中の父が、食欲を失ってほとんど食べなくなった。
そこで、私が父に、胃ろうをするかどうか、尋ねてみることにした。
耳も遠いので、顔を近づけて「あのね」と大きな声で、胃ろうはどういうものかを説明して「胃ろうしますか?」と聞いた。すると、認知能力が落ちているうえに衰弱したため、さっきまで話しかけてもあまり反応しなかった身内が、はっきりと首を振って「いや」と言った。ほんとに理解しているかどうか確認するために同じ質問を三度繰り返したが、いずれも拒否だった。
そうか、じゃあ、人工的な延命措置はしないで、静かに逝かせてあげようと思った。

そして翌日、親族から電話が・・・。
なぜか急に食事をどんどん食べるようになって、元気を取り戻しているという。胃ろうをするか聞いたことが「刺激」になったらしい。
明日見舞いに行って、どれほど回復しているか見てこよう。