北朝鮮有事のさい、日本にどれくらいの脱北者がやってくるのか。
日本政府はこれを試算したことがある。第一次核危機が起きた94年、政府の一部で北朝鮮有事対策を検討したことがあった。
《日本政府は第一次核危機で揺れた94年6月、当時の内閣安全保障室が「大量避難民対策について(案)」を作成。(略)
日本政府の「対策」を議論するたたき台となった内部メモでは、当時、北朝鮮政府の崩壊や社会混乱の生じる原因として、「想定される事態」7パターンを次のように挙げていた。
(1)金日成の死亡による権力闘争・内乱
(2)金正日グループと反金正日グループとの権力闘争・内乱
(3)反金正日グループによるクーデター・内乱
(4)南への軍事進攻による戦争の勃発
(5)国際的な経済制裁による社会的混乱
(6)経済破綻による社会的混乱
(7)民主化・自由化に伴う社会的混乱(略)
(1)北朝鮮政府の崩壊・内乱等による社会的混乱を逃れてくる避難民
(2)クーデターによる政権交代、または現政権の政策変更で国内の自由化・民主化が進み、従来の管理社会、鎖国状態が緩んだ結果、出国し到来してくる者という2種類の難民があると想定している。(略)
問題は、このうちどのぐらいが日本に来るかだ。
日本政府は独自に「少なくとも10万人」と想定していた。さらに、政府内部では「最大20万人を想定する必要がある」との指摘も出ていた。かつての帰還事業(59〜84年)で北朝鮮に渡った在日コリアンの帰国者や日本人配偶者ら(計約9万3000人)と、その二世、三世らを中心に日本へ来ると想定しているからだ。
これらの難民に対し、仮上陸を認めて収容施設に収容。入管当局が厳格な審査を行い、日本人妻らは帰国確認手続きをし、元在日帰国者は在留を考慮。その他の難民は朝鮮半島情勢が安定した後に帰国させる――というのが、日本政府の対処方針となっている。》(読売ウィークリー06年11月5日号)
先日、私が「脱北帰国者支援機構」の坂中英徳代表に会って聞いたところでは、当時入管にいた坂中氏が中心になって試算したという。
もっとも、94年当時の「最低10万人」の試算は、今では多少修正が必要だろう。
まず、相当数の1世が死亡している。自然死以外に、餓死、収容所での死も多かったようだ。絶望から自殺を選んだという話も脱北者からよく聞く。また、現地の人々とはなじめなかったため、「帰国者」同士が結婚する例がほとんどだったという事情も、「帰国者」コミュニティの範囲を狭くした。
決定的なのは、近年の「市場」の広がりによって、配給がなければ即食べられないという状況が変化してきたことだ。かなりひどい事態になっても、90年代後半のように人民がなすすべもなく死んでいくというわけではないのだ。
従って、10万人にはならないが、万単位になるのはほぼ確実だと思う。
金正日は病気で倒れ、6カ国協議は行き詰まり、近く北朝鮮有事もありうる情勢だ。いま脱北者の受け入れ体制を作っておくことは有事への備えにもなる。
また、それは社会の秩序にも関わってくる。
チャイニーズマフィアの有力組織に「怒羅権(ドラゴン)」があるが、これは日本に永住帰国した中国残留邦人の子どもたちが作った組織だ。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%92%E7%BE%85%E6%A8%A9
彼らは日本社会に適応できなかった。その意味で日本は受け入れに失敗したのである。
脱北者とその家族の受け入れ体制をしっかり作らないと、今後似たような問題を作り出すことになりかねない。
(つづく)