45年4月12日、穴澤利夫少尉機を見送る「なでしこ隊」の写真。
米軍の沖縄侵攻阻止を目的に、陸軍は「航空総攻撃」という特攻作戦を立て、45年4月6日から開始された。「なでしこ隊」が陸軍特攻隊を見送ったのがこの時期である。これに呼応して海軍は「菊水作戦」という特攻作戦を発動した。特攻は海でも行なわれたのだ。
航空機による特攻と合わせ、戦艦「大和」が海上特攻を行なった。片道分の燃料をもって米軍の真っ只中に突っ込み、あわよくば沖縄に乗り上げて陸戦までやるという、常識はずれというか、やけくその作戦だった。
『戦艦大和ノ最期』という名著がある。
著者の吉田満氏は、当時少尉、副電測士として大和に乗り組み、沖縄特攻作戦に赴き、生き残った少数の一人だ。この本は、大和の出撃から終焉までの体験を克明に描いている。
特攻隊の死は「無駄死に」だったのか。
私たちのように後世の第三者が評論するのではなく、特攻出撃直前の兵士たちは、この問いを自らに何度も問い質さなくてはならなかった。その苦悩の記録は、今も私たちの胸を打つ。
大和特攻が第2艦隊に打診されたとき、連合艦隊最後の一戦が自殺行になることは耐え難いと、ほとんどの士官が強く反対した。しかし、命令は下った。(以下、この本は旧カタカナで書かれているが、読みやすいよう書き換えた)
《一次室(ガンルーム、中尉少尉の居室)にて、戦艦対航空機の優劣を激論す。
戦艦優位を主張するものなし。
「『プリンスオブウエールズ』をやっつけて、航空機の威力を天下に示したものは誰だ。」皮肉る声あり。》
真珠湾攻撃の二日目の12月10日、英海軍の不沈戦艦と言われた「プリンスオブウエールズ」を、日本海軍は航空機による攻撃でマレー沖で沈没させている。飛行機だけで戦艦を沈めたこの出来事は、世界の海軍関係者に衝撃を与え、大鑑巨砲主義から航空戦力重視への転換をもたらした。それなのに今、日本軍は大和を米航空隊の餌食に差し出そうとしている。憤懣やるかたない士官たちの姿がここにある。
出撃前、無礼講の酒宴となる。
《五十名の中尉、少尉、人垣のうちに囲んで放歌乱舞、とどまるところを知らず。
見事なる艦長の禿頭を撫でさすり、果ては叩く者あり》
乗組員は、大和が沈み自分が死ぬことはもちろん、日本の敗戦もすでに確実なことと思っている。
出撃直前の大和の艦内では、みな自問自答をはじめ、議論も起きる。
《何の故の敗戦ぞ》《何の故の死か。何をあがない 如何に報いらるべき死か》と。
《兵学校出身の中尉、少尉、口を揃えて言う。「国のため、君のために死ぬ。それでいいじゃないか。それ以上に何が必要なのだ。もって瞑すべきじゃないか」。
学徒出身士官、色をなして反論す。「君国のために散る。それは分る。だが一体それは、どういうこととつながっているのだ。俺の死、俺の生命、また日本全体の敗北、それを更に一般的な、普遍的な、何か価値というようなものに結び付けたいのだ。これら一切のことは、一体何のためにあるのだ」。
「それは理屈だ。無用な、むしろ有害な屁理屈だ。貴様は特攻隊の菊水の『マーク』を胸に付けて、天皇陛下万歳と死ねて、それで嬉しくはないのか」。
「それだけじゃ嫌だ。もっと、何かが必要なのだ」。
遂には鉄拳の雨、乱闘の修羅場となる。》
大和の艦内で、死ぬ意味をめぐって議論になり、殴り合いの喧嘩まで起きていたというのだ。この情景は、黙々と命令に従って静かに死んでいく、私がかつて持っていた日本軍のイメージを打ち壊した。
そして、この論戦を収拾したのは、ある大尉の発言だった。
(つづく)