拉致事件30周年雑感

30年前のきょう、鹿児島から市川修一さんと増元るみ子さんのカップルと、佐渡から曽我ひとみさんとお母さんのミヨシさんが北朝鮮に拉致された。
曽我さんは、02年の9月の日朝会談で北朝鮮側からはじめて名前が出て、驚かされたものだ。家出と見られていて、警察も全くマークしていなかった。
曽我さんは市川さんたちと同じ8月12日に拉致されていた。その夕方、おそらくほとんど同じ時間帯に鹿児島と佐渡、遠く離れた海岸から4人もの日本人が拉致されていたのだ。当時、いかに多くの拉致が行なわれていたかを考えるとゾッとさせられる。
曽我さんは「日本海コース」で清津(チョンジン)港へ、市川さんたちは「東シナ海コース」で南浦(ナンポ)港へと運ばれた。
曽我ひとみさんは、北朝鮮に着いて間もなく、その前の年の11月に拉致された横田めぐみさんと一緒に暮らしている。5年前にひとみさんがこう言った。
横田めぐみさんと初めて会った時には、また妹が出来たように思えました。めぐみさんも私を「お姉さん」と呼んでくれました。》
めぐみさんは拉致当時13歳のまだ子どもである。ひとみさんと暮した時期は、お互いに慰めあったり笑ったりしあっただろうと思うと、少しなぐさめられる。
30年も経つのに、めぐみさんのケースをはじめ、多くの事件の解決にはまだ先が見えない。アメリカのテロ支援国家解除はいま足踏み状態だが、いつなんどき解除になるか分からない。日本も制裁解除に動いている。
そんななか、家族会と支援者が汗だくで署名活動を続けている。この状況をひっくり返せなくとも、こうした活動には意味があるし、とにかく何かしなくてはいられないだろう。署名もブルーリボン運動もよいと思うし賛同する。そのうえであえて言いたいのは、もっと「効果的」で「参加しやすい」運動はないだろうかということだ。
私はよく、はじめて会った人から、「拉致問題の解決のために自分も何かしたいのですが、何をしたらいいか教えてください」と言われる。報道が少なくなった今でも、拉致被害者と家族への強い共感は生きている。これらの人々の「何とか手助けしたい」という気持ちを具体的な活動につなげられれば、ものすごいエネルギーになるはずだ。
普通、大衆運動は、広く賛同できる要求だけを掲げる方が大きな運動になり、政治目標を入れていくと人が離れていくものだ。「消費税反対」なら盛り上がっても、これに「自民党政権打倒」を入れると運動は縮小する。
ところが、北朝鮮を相手に、拉致問題だけを個別に解決することは不可能だ。そこで、拉致問題は思い切って逆にしたほうがいいのではないか。
拉致問題解決には「金正日体制を打倒する」ことが必要だとはっきりさせる、そして金正日体制打倒のための活動メニューを拉致問題解決に位置づける。例えば「拉致問題の解決のために何かしたい」と言ってきた人が、《脱北者の救援》や《強制収容所の廃絶》や《日本人妻の帰国要求》などの活動に参加していくというふうに・・・。
拉致問題解決のための運動が、いまひとつ大きな国民運動になっていないことにいつも歯がゆい思いをしている。