李明博の親日派疑惑

takase222008-04-22

 「李明博の母親が日本人かどうか、調べる方法はありますか」
 東京在住の韓国人の知り合いが、声をひそめて私に聞いた。去年春のことである。
 李明博が有力な大統領候補として名が挙がると、彼の母親は日本人ではないかという噂が政界に出回った。両親は韓国人なのだが、彼だけが「腹違い」ではないかというのだ。母親が日本人となると韓国では政治的なダメージになる。生地大阪で敵も味方も血眼になって、彼の出生の真相を探っていたようだ。
 今回、彼の出生の事情を取材するなかで「腹違い」説はありえないことが分かったが、なぜこんな噂が流れたのか。その一つの理由は、彼の名前にある。彼の名前の付け方が普通ではないのだ。
 韓国には「行列字」といい「名が漢字2文字の場合、同族で同世代の男子が世代間の序列を表すために名に同じ文字を共有する習慣」がある。つまり、兄弟は同じ字を名前に持つ。きのうの日記で触れた李明博のいとこの例では、金鴻植、金滎植で「植」が共通だ。ちなみに、行列字は陰陽五行説に基づき「木・火・土・金・水」の入った字を世代順に付けていく。よくあるのは、「植」(木)、「煥」(火)、「圭」(土)など。李明博の兄たちは、長男が相殷(サンウン)、次男が相得(サンドゥク)と「相」という行列字がつくのに、なぜ彼の名前だけ違うのか。
 李明博自身が「腹違い」疑惑に対して釈明したところによれば、名前の由来は、母親が、明るい月の光が差し込んできて妊娠する「胎夢」を見たことで、そこから明るい(明)、広い(博)名前にしたのだという。
 私の推測はこうだ。
 1920年代から日本に渡った、李明博の父親、李忠雨さんはすっかり日本の暮らしになじんでいた。島田牧場では信頼されて責任ある立場をまかされていた。滞在十数年、日本は対米戦争へと突き進んでいった。李明博の生年月日は真珠湾攻撃の直後、41年12月19日とされている。当時の雰囲気の中では、将来朝鮮が独立するなど考えられなくて当然だ。月山明博(つきやま・あきひろ)という日本人らしい名前をつけ、日本人として育てようとしたと私は想像する。
 だが、それを認めると「親日派」ということになるから、母の「胎夢」という苦しい理由をつけたのではないか。
 いまや日韓の一年間の交流は計500万人。韓国から日本への旅行者は去年260万人で、日本から韓国への旅行者数をついに抜いた。将来は1日1万人のペースで韓国人が日本に入国する時代が来るとの予測もある。
 名前一つで親日派疑惑をかけられるのは、この世代が最後になるだろう。
 写真は、かつて島田牧場があったところで思い出を語る金滎植さん。