クルド避難民に援助を決めた緒方貞子さん

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 近所の柿がいい色になってきた。子どものころから柿は大好きで、固いのも熟してグズグズになったのもうまい。東北では山形や福島で産出量が多い。柿は東アジアの固有種だけあって、日本には多くの品種がある。ヨーロッパにもあるが、これは江戸期に日本から渡っていったものだという。食べたことのない外国人も多いから、勧めてみたら喜ばれるのでは。
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 昨夜のTBS「ニュース23」で小川彩佳キャスターが、緒方貞子さんについて、学生時代緒方さんの本を何冊も読んで影響を受けたと語っていた。小川さんは真面目な学生だったんだな。私は小川さんがテレ朝「サンデープロジェクト」のMCになった最初の日、2007年10月7日の放送を覚えている。ジン・ネットが「緊急特集 南北首脳会談の裏で-北朝鮮の隠された狙い-」を制作したので、放送スタジオにいたのだ。
 新しいMCとして小川さんが紹介されると、田原総一郎氏が「目力あるね」と言ったのが印象的だった。そのとき小川さんは22歳。2007年4月にテレ朝に入社したばかりだったから、半年で看板報道番組のMCとは異例の抜擢だった。若いのに物おじしない率直なもの言いをするのには感心させられた。
 テレ朝「報道ステーション」からライバルTBSの裏番組に移った小川さんだが、その名を冠した「ニュース23」の視聴率が2%~4%台と振るわないという。小川さんがもっと要人や政治家へのインタビューや直撃で取材に出たり、権力批判のコメントを自由に発するようにすれば、報ステがやや甘くなっているなか、リベラル派を惹きつけられるのではないか。

 さて、緒方貞子さんの功績について触れてみたい。
 緒方さんが日本人初の国連難民高等弁務官をつとめた1991年から2000 年までの約10年間というのは、世界中で大変動が起きた大変な時代だった。
 ユーゴスラビア連邦崩壊に伴うバルカン紛争、ルワンダの大量虐殺から周辺国を巻き込んでコンゴ戦争へと発展する「大湖危機」、ソ連邦崩壊後はアルメニアアゼルバイジャン、タジキスン、チェチェンと各地で次々に紛争が起き、それらの紛争はそれぞれ大量の避難民・難民を生み出した。

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「(身長)5フィート(150cm)の巨人」と言われた緒方さん

 緒方さんが国連難民高等弁務官に就任した91年は湾岸戦争が起きている。イラク内で迫害を受けたクルド人勢力がイラクとトルコの国境地帯に滞留した。これが緒方さんの最初に対処しなければならない事態だった。
 そこで緒方さんは画期的な方針を打ち出す。
 故郷の家に住めなくなった人々には、国内を流浪する国内避難民(IDP Internally Displaced Persons)と国境を越えて近隣国に逃げ出したいわゆる難民(refugees)とがいる。国境を越えられたかどうかの違いなのだが、国連難民高等弁務官事務所UNHCRは国際条約上、難民しか保護できない。しかし、緒方さんは、保護任務の対象でない「国内避難民」にも、人道的視点から救援に乗り出すという大きな方針転換を行った。
あるインタビューで緒方さんはこう語っている。


 「ちょうどソビエト連邦ユーゴスラビア連邦などが崩壊して、世界地図が大きく変わった時代でした。
 普通、人々は国家の保護のもとで生活しているものです。ところが国が崩壊してしまうと、拠(よ)り所がなくなってしまいます。そういう方たちの支援をUNHCRがずいぶん手がけました。国境がずたずたにされて、UNHCRが大変忙しい時期になってしまいました。
 私の仕事は、クルド人への支援から始まりました。就任間もない頃でした。国境を越えたら支援する、国境を越えないなら支援しない、ということでは目の前のクルド問題は解決できません。
 UNHCR内で議論を重ねた結果、国内避難民(Internally Displaced Persons )を支援することを決断しました。生命と安全と生活を保障するのは国家ですが、国家がそれを保障してくれない状況になったとき、国家に代わって誰がどのようにその方たちの面倒をみるかを決めたり工夫したりするのがUNHCR の任務でした。UNHCRは「人」を相手にしているわけですから、人々の生命を守るためにはとにかく速く動くことが先決でした。(略)
 命を助けることが最優先です。現代においては情報が動くと、人も動きます。そうなると国境だけで全てを決められなくなり、国内避難民をUNHCRが支援するかどうかという問題が大きくなりました。自分の故郷に住んでいることができず、家族もばらばらになった時、どこか安定したところにせめて自分の子どもや孫だけは連れていきたいという想いは、人間の本能として大切なものです。そうした想いで命がけで避難してきた先で窮している人たちを、国境を越えたら支援する、国境を越えていないなら支援できないという状況は問題でした。クルド問題に直面したとき、このような国内避難民にUNHCRが本格的に対応せざるを得なくなったのです。国連の他機関と協力して国内避難民のコミュニティを政治的・経済的により良くする、ひいては難民の発生を防止するという、本来はUNHCRの仕事ではなかった領域にも踏み込むことになりました。  
 UNHCRの国内避難民対策は私が高等弁務官の時代に進展しました。時代の流れに対応した、ということです。やらなければいけませんでした。」https://www.japanforunhcr.org/archives/3833/
 緒方さんの活動の原動力は何かと聞かれた緒方さん、「怒り」と答えたそうだ。その怒りはもちろん慈悲に裏付けられた激しい義憤だったろう。
 そして信念にもとづく粘り強い努力である。
 「今解決しないと思われていることでも、永遠に解決しないわけではありません。時間はかかるけれど、努力を続けることで解決することもあるのです」(緒方貞子さん)
 緒方さんの後に続く日本人に期待したい。

日本に裸婦像が乱立したわけ2

 ファンだった方の訃報。
 八千草薫(享年88)。若いころ、こんなにきれいな人がこの世にいるのかと思った。山田洋次監督(88)がきのう、東京国際映画祭の舞台あいさつで「僕たちの世代の日本人にとって、若い時からあこがれの人でした」語ったが、「あこがれ」は私の感覚にもぴったりする表現だ。脚本家、倉本聰は「あの美しさは、ただ表面的な顔の美しさではありません。心の美しさが顔に表れていた」と言う。同感。
 5月、同じく大女優、京マチ子(享年95)が亡くなったのもショックだったし感慨深かった。どちらも「男はつらいよ」に出ている。こちら、京マチ子は歳をとっても色っぽいドキドキさせる女優だった。八千草薫が「お嫁さんにしたい女優」ナンバーワンだとすれば、京マチ子は恋人にしたい女優かな。二人とも他に類を見ない屹立した存在で、まさに一つの時代が終わった感がある。

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若き日の京マチ子

 きょう緒方貞子さんが92歳で亡くなったとのニュースが流れた。
 《緒方さんが生涯でもっとも力を発揮し、また輝いたのは、やはり国連難民高等弁務官時代(91~2000年)だと思う。米ソ冷戦の終焉(しゅうえん)は民族紛争の激化を招き、就任前の1980年代に500万人の難民は退任までには2200万人に膨らんだ。まさに難民の時代の始まりだった。
 緒方さんはジュネーブ事務所を飛び出し、一貫して現場主義を貫いた。迅速な決断と行動力、明快なリーダーシップ。防弾チョッキにヘルメット姿で紛争現場に臆することなく入る緒方さんを、欧米メディアは「小さな巨人」と感嘆したものだ。》(産経新聞
 この記事を書いた産経の千野境子論説委員はマニラで私と同時期に特派員だった。私も緒方さんを現場で見てみたかった。千野さんの記事続き。
 (2012年に)《緒方さんは「日本は人道的な役割で大きな役割を果たしてもらいたい。他に(日本の)生きようがあるでしょうか。もっと大きなところで世界的取り組みをしてもらいたい」と述べている。
 しかし日本には歯がゆさやいらだちもあったはずだ。「(日本人は)ひどく萎縮している。国会の答弁なんか聞くとちょっと絶望的」と嘆いた。それでも生涯日本の国際協力に期待し、次世代に夢を託した。》https://www.sankei.com/world/news/191029/wor1910290020-n1.html
 3人のすごい女性たちのご冥福を祈ります。
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 もう1ヶ月も前に「日本に裸婦像が乱立したわけ1」を書いて「つづく」で終っていたが、その続きをほっぽっていた。すみません。

https://takase.hatenablog.jp/entry/20190930
 おさらいをすると、日本全国のとくに公共施設に裸婦像が置いてある始まりをたどっていくと皇居の堀端、国立国会図書館にもほど近い三宅坂小公園にそれはあった。そこにかつての《寺内元帥騎馬像》の代りに《平和の群像》と題して3人の裸婦が設置された。その転換は、GHOが日本から軍事色を一掃し「平和国家」に衣替えさせる文脈のなかで起きていた。https://takase.hatenablog.jp/entry/20190930

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 この3体の裸婦像は、東京藝術大学彫刻学科教授・菊池一雄が「愛情」「理性」「意欲」をテーマとして制作したという。
 私が三宅坂小公園で《平和の群像》を眺めながらぐるりと台座を回ると、まず目に入ったのが、「渡辺崋山誕生地」の碑。そして台座のすぐ裏には「株式会社 日本電報通信社」の大きなプレートがあった。日本電報通信社とは電通である。
 「広告がわが国の平和産業と産業文化の発展に貢献した事績は極めて大きい。わが社は昭和25年(1950)7月1日その創立50年を自祝し過去半世紀を回顧してこれを記念するに当り、平和を象徴する広告記念像を建設して東京都民に贈り、広告先覚者の芳名を記録してその功労を永久に偲ぶこととした」とある。
 マスコミ界を牛耳る電通が、自社の記念行事の一環としてこの裸体像を建設し、それが日本の公共空間に初めて誕生した女性裸体像になったというのである。
 電通はさらに創立 55 周年記念事業として、東京・千鳥ヶ淵公園に顕彰記念像「自由の群像」を、そして創立 70 周年記念事業として、東京・代々木公園に「しあわせの像」を建てている。

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「自由の群像」は男性の裸像

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「しあわせの像」は男女のカップルと子ども

 「平和」から「自由」へ、さらに「しあわせ」へ。なにかこの国の大きな「空気」の変遷を象徴するかのようである。

 これから街でいろんな像を見かけたら、もっと注意して観察してみよう。
参考:http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000187987
https://artscape.jp/focus/10144852_1635.html
http://www.dentsu.co.jp/news/release/pdf-cms/2017118-1030.pdf

「民主主義のために」そろって抗議する豪のメディア

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 都会でも紅葉を楽しませてくれるのがハナミズキ。街のあちこちで秋らしく色づいた葉と真っ赤な実を見かける。
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 1週間前の19日(土)、国立市の桜守、大谷和彦さんからSOSが入った。国立(くにたち)高校の1年生320人に桜守の授業をするのに人手が足りない!というので、おっとり刀で駆けつけた。
 大谷さんは市内の小中高校で自然観察や市の名物の桜並木の手入れの授業をボランティアで続けている。この日は、8クラスを何組かに分けて、桜を保護する生垣を植えたり落ちた枝や葉の片づけをしたりしたのだが、もっとも盛り上がったのが病んだ老木を伐り倒す作業。チェンソーを使えば簡単なのだが、あえて小さいノコギリで生徒に伐らせた。幹に大きな空洞があってすぐにも倒れそうなのに、意外にしぶとい。たっぷり2時間かけて、みんなで「せーの!」で引き倒したときには大きな歓声が上がった。

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 今のご時世、木を伐り倒すなど危険だとして許可しない学校が多いだろうが、こういう経験は貴重だ。桜守の授業が今後も続くことを期待している。
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 これは21日のオーストラリアの主要新聞。黒塗りされ「極秘」のスタンプが押された文書を、そろって1面に掲載した。政府が報道規制の動きを示していることへの抗議だった。
 ニューズ・コープ・オーストラリアとナインという二つの巨大メディアグループが足並みをそろえるのは珍しいという。
 この抗議の前日には政府が、6月に警察の家宅捜索の対象になった3人の記者について、訴追される可能性があると強調していたという。
 《6月、警察が公共放送ABCのシドニー本社とニューズ・コープ・オーストラリアの記者宅を家宅捜索し、激しい批判が沸き起こった。
 メディア側は、内部告発者の情報をもとに、オーストラリア軍による戦争犯罪の疑いや、政府当局による市民監視の疑いを報じたことが、捜査の背景にあると主張。安全保障に関する法律が報道の自由を制限し、オーストラリアに「秘密の文化」を生み出していると非難している。
 一方、政府は報道の自由を擁護するとしつつ、「誰も法の上に立つことはできない」との姿勢をとり続けている。スコット・モリソン首相は20日、「法治主義」は維持される必要があると強調。「それは私も、どのジャーナリストも、他の誰もが対象となる」と述べた。(略)
 今回の行動でメディア側は、過去20年間に安全保障関連の法律が複数制定され、調査報道を困難にし、市民の知る権利を侵害していると主張している。
 昨年には、スパイ行為に対抗する新たな法律が成立。メディア側は、際どい情報を扱うジャーナリストと内部告発者は規制対象から除外されるべきだと訴えている。》(BBChttps://www.bbc.com/japanese/50121363

ニューズ・コープ・オーストラリアのライバルグループのナインの傘下にある「シドニーモーニングヘラルド」紙編集長、リサ・デイヴィーズ氏は、「これはジャーナリストのための行動ではない。オーストラリアの民主主義のためだ」とツイートしている。

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こうして見ると、オーストラリアでも報道の自由への規制は強まっているようだが、違うのは同業のライバルでも「民主主義のため」としてメディアがいっせいに立ち上がることだ。日本が見習うべきところである。

香港「銅鑼湾書店事件」の真相3

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 近所の栗の木。イガが割れてクリの実が顔を出しはじめた。栗ご飯、きのこご飯が食べたくなる。
 節気は寒露(かんろ)から霜降(そうこう)に移った。露から霜へ。昔は霜は雪のように天から降ってくると思われていたので霜を「降る」と表現するのだという。異様に暖かい今年の秋だが、さすがに朝晩は冷えてきた。
 初候「霜始降」(しも、はじめてふる)が24日から。次候「霎時施」(こさめ、ときどきふる)が29日から。末候「楓蔦黄」(もみじ、つた、きばむ)が11月3日から。
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 銅鑼湾書店の元店長、林栄基(ラム・ウィンゲイ)氏のインタビュー続き。
Q:具体的にはどんなことを尋問されたのか?
「尋問内容は変っていった。例えば2か月目からは本の内容。うちは2003年から出版しているから全部で400冊くらいあるが、その中の11冊の本の内容を知ってるかと。」


Q:銅鑼湾書店は出版もしていた?
「出版は主に桂民海と呂波がやっていた。この二人は株主。私は本の販売だけ担当するという関係だった。」
「3か月目になったら本の作者のリストを私に見せた。A4サイズの紙1枚に200人くらいの作者の名があって彼らを知ってるかと聞かれた。知っているなら言わないといけない。 なんで知ってるのか、どんな関係なのか、詳しく知っているかとか。あとは本の内容に関する資料はどこから得たとかも聞かれた。」


Q:彼らは最終的に何が知りたいのか?
「一番大事なのは、その本の中に公開できない資料があるから、その資料をどうやって入手したのかを知りたいのだろう。」


Q:誰が本を買ったかも聞かれたか?
「彼らは顧客リストはすでに持っていた。後で知ったのだが、オーナーの一人、呂波は2015年10月30日に行方不明になったが、彼は銅鑼湾書店と出版部門をある人物に11月中頃に売り渡していた。買った人物の苗字は李で、彼のバックグラウンドはたぶんギャングだ。
私が監禁されたのが10月24日で、3週間後に顧客リストを見せられた。」
「その時は書店が売られたのを知らなかったから、なんで顧客リストがあるのかと驚いた。会社にスパイがいるのか、書店に潜入して盗んだのか。まさか書店を買ったなんて思わなかった。で、そのリストの中に知ってる人はいるかなどと聞かれた。」


Q:中国政府は作者だけでなく、読者まで規制しようというのか?
「顧客の人たちの背景を知りたいのだろう。私に聞いても、お客さんの背景など知らないから意味ないのだが。大事なのは作者のリストだが、出版は桂民海がやっていて私は売るだけだから作者の身分は知らない。作者の名前はペンネームだし。」
「あとは通信販売の大陸の顧客が700人くらいいる。彼らは顧客リストのコピーをもっていた。そして私に香港からパソコンを持ってこいと言った。コピーをすでに持っているのになぜパソコンが欲しいのかと聞いたら、パソコンに入っている顧客を起訴できるという。 コピーだけなら書き直すことができるからなら証拠にならない。パソコンならシステムに記録があるので有力な証拠になる。」

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林栄基氏 9月5日台北にて

Q:毎日何を考えていたか?
「いつまで監禁されるのか、終わりが見えないから、頭がおかしくなる。孤独ななか、自分の将来を心配する以外のことは考えられない。例えば一生監禁するぞと脅されると、そのことをずっと考える。自殺してこの状態を終わらせたくなる。最後は自殺しか考えられなくなった。」
「しかし、もっとつらいのは、自殺さえできなかったことだ。やつらは徹底して自殺を防ぐ工夫をしていた。これまで多くの人が自ら命を断とうとしたのだろう。」


Q:自殺の自由もない?
「例えば夜寝るとき、手は見えるように布団の上に出していなければならない。手が布団の中にあると自殺する可能性があるから。眼鏡はガラスがあるから取り上げられた。」
「食事にはスプーンだけで箸は出てこない。危ないから。歯ブラシや爪切りにはヒモがついていて私が使うとき監視員がヒモの端を持っている。飲み込んだりしないように。」
「壁や机の角に頭を打ちつけて死ぬこともできない。壁も家具もみな音遮断壁のような柔らかいクッションで覆われていた。床には絨毯が敷いてあった。天井は高くて紐で首をくくることもできない。」


Q:信じがたい体験だがいま振り返ってどう思うか?
「こんなことは中国大陸でしか起こらない事だ。正常な国ではこんな事が起こるはずがない。」

 

 インタビューの最後に、私は林氏に、いま香港で闘っている若者たちをどう見ているか尋ねてみた。
 「逃亡犯条例改正を撤回しても、我々が求めている問題は解決されていない。中国は香港の声を聞かないだろう。私は若者たちが傷つき死んでいくのを見たくない。もし闘うなら、まずは自分と周りの人を守りなさい。そして香港から自由が奪われ、安全でなくなったら香港を離れることだ」。
 権力の恐ろしさを身をもって知った林氏の答えは、驚くほど悲観的なものだった。

 ちょうどインタビューの日、林氏が台湾で書店を再開したいとクラウドファンディングを開始した。多くの賛同が寄せられているという。

 《(台北 6日 中央社中国共産党政権に批判的な「禁書」を扱い、閉店に追い込まれた香港の「銅鑼湾書店」の台湾での営業再開を目指して資金を募るクラウドファンディング(CF)が5日夜、始動し、6日午後3時半までに開業資金に充てる目標額の280万台湾元(約960万円)を達成した。CFサイトのプロジェクト説明文によれば、順調に進めば、来年半ばまでに店をオープンさせたいとしている。

 資金を募っているのは、同書店の元店長、林栄基氏。林氏を含む同書店関係者は2015年10月以降、中国当局に逮捕され、身柄を拘束された。林氏は今年4月下旬から台湾に滞在している。

 集まった金額は6日午後7時10分の時点で310万元(約1060万円)を突破。支援者は1600人を超えている。

 林氏によれば、出店地域は台北市の繁華街、西門町一帯を候補にしており、半年以内に場所を確定させる予定。説明文によると、店では香港、台湾、中国の歴史や社会、政治、経済、芸術、文学関連の書籍を中心に扱うほか、香港や台湾情勢について考える交流の場としての役割なども担いたいとしている。

 資金は11月4日まで受け付ける。目標額を超えた分は、交流イベント実施などの運営資金として活用するという。(繆宗翰/編集:名切千絵)》

 http://mjapan.cna.com.tw/news/asoc/201909060006.aspx

香港「銅鑼湾書店事件」の真相2

 うちのオフィスの隣のビルの空き地にヨウシュヤマゴボウ(洋種山牛蒡)が黒い実をつけている。
 ここはお江戸のど真ん中、御茶ノ水靖国通り沿いの交差点なのだが、しぶとく生えている。むかし子どもがままごと遊びで赤い汁を作るのにこの実が使われた。根も葉も実もヒトには有毒なのだそうだが、実は鳥についばまれ種が運ばれていく。鳥は平気なのか。生き物の生存戦略は不思議に満ちている。

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 アメリカはいま、世界の警察官どころか世界の愚連隊だ。どんどん混乱を拡大するばかりか、世界秩序の担い手をロシア、中国というヤクザに委ねようとしている。
 《トランプ米大統領は23日、トルコがシリア北東部のクルド人勢力に対する攻撃の停止に同意したことを受け、対トルコ制裁を全面解除すると発表した。
ただし連邦議会ではこの直前、国務省のジェフリー・シリア担当特別代表がトルコの侵攻を「悲劇」と形容し、トルコを後ろ盾とする勢力が戦争犯罪に関与した可能性が高いとの見方を示していた。
 トランプ氏はホワイトハウスでの演説で、「人々からは素晴らしい成果だという声が上がっている。我々は良い仕事をして多くの人命を救った」と主張。トルコのエルドアン大統領を称賛し、同氏が近く訪米する予定だと示唆した。
 シリアへの今後の米国の関与については「この長く血で染まった砂での戦いは他の誰かにやらせよう」と述べた。一方で、シリアの石油を守るために一部の米兵の駐留を継続する方針も示した。》(CNN24日)
 トルコのクルド人殺害、虐待を「素晴らしい成果」として称賛し制裁を全面解除するというのだから絶句するしかない。
 記事にある、戦争犯罪に関与したとされる「トルコを後ろ盾とする勢力」とは、トルコから支援を受けてきた「自由シリア軍」を含む反政府武装勢力で、トルコの言いなりになってクルド勢力を攻撃し、非人道的行為に手を染めているのだろう。自由のために戦うとの大義からは遠ざかり、トルコ軍の傘下でクルド人を虐待、虐殺しているとは悲しいかぎりだ。
 それにしてもトランプ大統領北朝鮮やイランに対しても血迷った対応をしそうで、びくびくしている。
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 さて、銅鑼湾書店事件。以下が2015年に中国本土に連行された5人である。
 呂波(書店親会社の出版社マネジャー)2015年10月、広東省深圳市で行方不明に。
 張志平(同出版社マネジャー)2015年10月、に広東省東莞市で行方不明に。
 桂民海(同出版社オーナー)2015年10月、タイの別荘に滞在中、行方不明に。
 林栄基(書店店長)2015年10月、に香港から深圳市に入境後、行方不明に。
 李波(書店経営者)2015年12月30日に香港で行方不明に。
 いったん全員が身柄を解放されたが、桂民海氏は去年1月、上海から北京に向かう列車の中で私服警官に取り押さえられ連行された。今も拘束されているとみられる。

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銅鑼湾書店の内部(2009年)右が林店長

 9月初め、私は台北に店長だった林氏を訪ね事件の真相を聞いた。

Q:どのように身柄を拘束されたのか?
「香港から広東省羅湖に入境するとき、税関で突然、理由も告げられず、逮捕状も示されずに拘束された。寧波に連行され監禁された。移動中は手錠をはめられ、目隠しをされた上に布を頭にかぶせられた。」


Q:刑務所のような施設に監禁されたのか?
「刑務所ではない。ある建物の5階の部屋に監禁された。部屋から出ることはできない。同じ階に同じような部屋が20並んでいた。窓から見える建物は自分がいる建物と同じで、6棟の建物が見えた。」


Q:そこで何をされたのか?
「一日目に家族と弁護士への連絡を放棄するという文書に署名させられた。あの状況ではサインするしかなかった。サインが終わったら、尋問が始まった。毎日3、4回、時には寝る時間もなく尋問された。聞かれたのは私の出身、家庭の背景、書店を開いた経緯、本の作者は誰かなど。また、書店の他の関係者との人間関係、なぜ書店(の所有権)を桂民海に譲ったのかなども聞かれた。さまざまなことを繰り返し聞かれた。尋問の時は尋問者と記録係の2人がきて、彼らと対面して椅子に座らされる。尋問が終わるまで椅子から離れてはならない。」


Q:監禁された部屋の環境は?
「部屋は7m四方の大きさで、机、椅子、ベッドがある。窓には鉄柵がはめてあり柵の間には鉄網が張ってある。室内には常時2人の監視員がいた。監視員は6組いて、2時間ずつ交代で24時間、私の睡眠中も見張っていた。夜中もずっと電灯がついていた。天井には監視カメラが3台設置されていた。」
「入り口にはスピーカーがあって、『しゃべるな』とか『そんなことはするな』とか注意される。」
「トイレは半透明の仕切りがあったが、シャワーには仕切りはなく、監視されながら体を洗った。私を人間として扱っていなかった。」

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林さん手書きの監禁された部屋の見取り図

Q:どんな日課だったのか?
「朝は7時半起床。顔を洗って8時に朝食。12時に昼食。夕食は6時で、毎回、ドアの外に食事が置かれて私が取りに行く。私が体調を崩すと向こうも困るので果物なども出た。夜尋問がないときは9時に就寝で、毎日同じ日課が続いた。」
「部屋にはエアコンがあって寒暖も調整されていた。私の健康には注意していたようだ。」


Q:なぜ、書店の関係者を拘束したと思うか?
「私の場合は中国の政権を転覆させるための書籍を売った、反革命だと糾弾されて、懺悔する文書を書かされた。『禁書』について尋問されたが、それを誰が書いたか、そのもとの情報をどうやって入手したかに関心があったようだ」


Q:懺悔させられるのか?
「罪を認めますという文書と懺悔する文書を書かないといけない。書き終わるとわざわざ北京から2人の人間が来て点検する。私は表現が悪いと怒られた。もし協力的でないならずっと監禁すると言われ、すごくプレッシャーになった。これが一番悲しかった。」


Q:どうやって懺悔文を書いたか?
「はじめは罪を認める文の書き方を知らなかったし、自分が何の罪を犯したのか知らなかった。禁書に関する法律に違反したと言われた。香港から本を郵送しても法律違反には当たらないが、大陸に入れば違反になるという。」
「罪を認めて書けと言われ、言うとおりに書いたが、向こうは満足しなかった。200~300字書いたが足りないと言われ、500字か600字書いた。2回目も、3回目もだめだと言われ、どこがどうダメなのかを聞いても教えてくれなかった。4回目の時、時間の関係でどう書くかを具体的に言われその通りに書いた。罪を認める文書を書いた後、その後に悔い改めの文書を書かされた。」
「その後、書いた文書を読み上げ、その様子を撮影された。動画撮影のときには部屋を出され、別の所に連れていかれた。」


Q:何が辛かったか?
「狭い部屋に24時間ずっと監視されて監禁される。監視員と話すことさえ禁止された。尋問では『一生、お前をここに閉じ込めておくぞ』などと脅されたりもした。自分の状況を外の人は誰も知らない。この恐怖と孤独がいつ終わるかわからない。」


Q:刑務所より大変か?
「あそこと比べれば、刑務所のほうがずっといい。刑務所ならまだ戸外に出られるし、人と喋れる。私はできなかった。監視員に話しかけても返事してくれない。とても孤独だった。監視員でもいいから交流が欲しかった。長く孤独な思いをしているから人と話したくなる。」


Q:私物は?
「全部取り上げられた。服も没収されて囚人服を着せられた。灰色の綿の服とズボンだ。 長期間監禁されるかもしれないと思い、日にちを数えようと、監禁3日目くらいから囚人服のほころびた繊維を抜いて毎日1つの結び目を作った。最終的に結び目は142だった。ほぼ5ヶ月あの部屋にいたことになる。」

(つづく)

香港「銅鑼湾書店事件」の真相

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 近所の道ばたにやさしく咲く白い花。白蝶草(ハクチョウソウ)というらしい。長いおしべが特徴的で、たしかに蝶が飛んでいる姿にも見える。花言葉は「可憐な少女」。
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 ラグビーで熱狂したあとは天皇即位の礼。テレビからはわが国の政治・社会問題はすっかり消えてしまった。

 と言いながらもテレビはちらちら見ていたのだが、結婚前後から出産後までの雅子さんの美しいこと!笑顔がまさに輝いている。外務省での経歴を生かして自分なりの皇室外交に挑戦しようと意欲をもっていた雅子さんだったが、宮内庁幹部の「いじめ」(「それまでの雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動き」=当時の皇太子浩宮の発言)によって神経を病むという痛ましい事態になってしまった。だんだん表情が明るくなっているようでよかった。
 今度の天皇・皇后も(タイの王室と違って)上皇夫妻を受け継ぎ良識をもっているようで安心だが、問題は皇室行政が時代に追いついていないことだ。
 天皇制の存廃は今の日本の喫緊の課題ではなく、私は当面認める立場だが、いずれはなくなる制度であることは間違いない。日本国民の意識の発達水準によるが、たぶんあと100年くらいは存続するだろうから、できるだけ世の安寧に寄与する方向で「運営」してもらいたい。
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 香港のデモはもう4ヶ月を超えていまだに勢いが衰えていない。この原動力には中国化への強い恐怖がある。
 今月5日、前夜デモ隊に破壊されて入り口が焼けただれてしまった地下鉄の銅鑼湾(コーズウェイベイ)駅を取材した。駅の隣に高層マンションがあり、そこに住む日本人女性に話を聞くことができた。煙がベランダまで来て、逃げるために荷物をまとめたという。香港人の夫と2人の小さな子ども(小学生と幼稚園児)と暮らす彼女は、このままだと海外に移住することも考えざるを得ないと語る。暴力的なデモはやめてほしいと訴える彼女だが、デモをする若者たちの気持ちはよく理解できるという。
 「中国のように、フェイスブックも使えない、自由のない社会になるのは怖いです」。
 その恐怖を衝撃的な形で香港人に見せつけたのが、今から4年前に起きた「銅鑼湾書店事件」だった。

 香港の民主活動家、周庭さんがこう語っている。
 《2015年の時に中国共産党を評論する、批判する本を売っている本屋さん銅鑼湾書店の人たちが、香港含めていろんな場所から中国大陸に捕まえられました。それはすごくおかしいですね。
 もともと中国の警察や中国共産党の人が香港や違う国で直接人を捕まる権力を持っていないので、だからそのことに関してもやっぱり香港市民はもちろん怒っていましたし、そして恐怖感がすごくありましたね、2015年の時に。いつか私たち中国が好きじゃないことやれば、いつか中国に誘拐されるんじゃないかなとか、こういう恐怖感があの時すごいありました。》https://takase.hatenablog.jp/entry/20190912

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雑居ビルの2階にあった書店は閉店しているが大きな看板が残っている

 「銅鑼湾書店」は香港島の「そごう」デパートの裏手にあり、中国共産党を批判したり幹部のスキャンダルを暴露する「禁書」を扱うことで知られていた。2015年、書店の経営者や株主など関係者5人が次々と失踪。後に全員が中国当局に拘束されていることが判明し、国際的なニュースとして報じられることになる。
 5人のうち1人は香港から、1人はタイのリゾートから忽然と姿を消している。特に香港から中国本土に「連行」されたと見られるケースは、「一国二制度」の乱暴な蹂躙とみなされ大問題になった。
 「逃亡犯条例」が改正されれば同様の事件が常態化するのではないか。その恐怖が香港人を改正案反対へと向かわせる大きな原動力の一つとなったのである。
 5人は全員がいったん身柄を解放されたが、うち1人は去年1月、上海から北京に向かう列車の中で再び拘束され、今も中国本土にいるとみられる。
 店長だった林栄基氏(63)は、休暇で香港から広東省に入ろうとしたところ逮捕状もなく突如、中国当局に身柄を拘束され、5ヶ月にわたり、異様な監禁状態の中で厳しい尋問を受けた。「逃亡犯条例」の改正案が立法会で審議中の今年4月25日、林栄基氏は香港から台湾へと逃れた。改正案が成立すれば、自分の身柄が中国当局に引き渡されると恐れ、香港を脱出したのである。

    私は先月、台湾で林氏をインタビューし、概要を『中国で逮捕状なしの拘束・尋問  香港を脱出した男が語る恐怖の真相』という記事に書いた。
https://www.fnn.jp/posts/00048213HDK/201909191900_takasehitoshi_HDK

 彼が語る体験は私の想像以上に恐ろしいものだった。次回から連載でくわしく紹介したい。

シリアの病院を空爆のターゲットにするロシア

 「覆面禁止法」が施行された10月5日に香港入りした取材の報告をFNNプライムに投稿しました。関心のある方はお読みください。

https://www.fnn.jp/posts/00048551HDK/201910171130_takasehitoshi_HDK

《「覆面禁止法」で過激化する香港のデモ 一線を超える警察との暴力の応酬》

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 トルコによるシリアへの越境攻撃は「5日間の作戦停止」が宣言されたが、クルド勢力が国境地帯から撤退することが条件であり、エルドアン大統領はもう作戦再開を警告している。クルド人に多くの死傷者と避難民が出て悲惨な状況になっているがこの責任はトランプ大統領にある。以下は東京新聞の社説。
 《流血と混乱を新たに招いた責任を負うのは、第一にトランプ米大統領である。米軍のシリア撤収はトルコ軍のシリア侵攻の引き金になった。権力者の身勝手な振る舞いがもたらす災いは大きい。

 気まぐれな王様の行状の尻拭いに廷臣たちが追われる-。トランプ政権下で繰り返される宮廷劇だ。ペンス副大統領が十七日、トルコに駆け付け、軍事作戦を停止するようエルドアン大統領を説得した。

 エルドアン氏も五日間の作戦停止に応じたが、これで戦火がやむかどうかは不透明である。

 トランプ氏は六日、エルドアン氏との電話会談後、クルド人勢力が実効支配するシリア北部からの米軍撤収を突然発表した。ホワイトハウスもトルコのクルド人勢力に対する軍事作戦を黙認する声明を出した。

 トルコは国内で独立闘争を繰り広げるクルド人武装組織と、シリアのクルド人勢力がつながっているとみる。米国の黙認を得たエルドアン氏は早速、越境攻撃に踏み切った。一般市民も犠牲になり、難民も発生している。

 軍事行動はシリアでの人道危機をより深刻化させ、情勢も一層混迷させる。トルコは作戦停止を機に事態の収束に転じるべきだ。

 クルド人勢力は過激派組織「イスラム国」(IS)掃討作戦で米国に協力し、戦いの第一線に立って犠牲も払ってきた。それを見捨てたトランプ氏は、米国は信頼の置けない国という印象を国際社会に植え付けてしまった。日本をはじめ西側の同盟国にとっても由々しき事態だ。》(東京新聞19日)
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 シリアでの戦闘に関してニューヨークタイムズが大スクープを報じた。ロシア軍が病院攻撃という非人道的作戦を常時行っていることを証明したのだ。
 ニューヨークタイムズは独自に入手したロシア軍機の膨大な交信記録、飛行記録、爆弾の種類など4つの証拠を突き合わせて、ロシア軍機が病院をターゲットに空爆を行っていることを疑問の余地なく明らかにしている。
 メディアの存在価値をあらためて認識させられるすばらしい調査報道である。

https://www.nytimes.com/video/world/middleeast/100000005697485/russia-bombed-syrian-hospitals.html

 

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ロシア軍機の交信記録からターゲットの場所を特定

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攻撃指令が出た直後、その地点にあった病院が爆撃された

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4回にわたって連続攻撃された病院もあった

 病院を攻撃する目的は、生活インフラを破壊してその地域に人が住めないようにするためだ。

    国連の常任理事国であるロシアが、厚顔にも残酷な国際法違反行為を続けていることは強く糾弾されなければならない。