安田純平さんの解放に身代金は支払われたのか?(7)

 近所の畑でスイセンが咲き始めた。

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 コブシは満開だ。

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 寄り添うと答えるだけの官邸と言わず寄り添う陛下の想い (三鷹市 山縣駿介)

 今朝の朝日歌壇の佳作だ。皇室は本来はあまり政治的な話題に出てこないほうが望ましいのだろうが、こう言いたくなる気持ちはよくわかる。官邸に完全に欠落している沖縄に対する誠実さを、今上天皇と皇后が身を持って示している。少なくともそう見える。
 天皇は沖縄について懸命に学び、琉球語で「琉歌」(8・8・8・6の音節の短詩)を詠めるほどになった。以下は「摩文仁」(まぶに=沖縄戦終局の地)と題する「琉歌」。
 ふさかいゆる木草(きくさ)めぐる戦跡(いくさあと)くり返し返し思ひかけて
 「ふさかいゆる」というのは、ふさふさと繁っているさまを意味する古い表現だそうだ。https://takase.hatenablog.jp/entry/20180331

 天皇の沖縄に対する想いは並大抵のものではなかったようだ。
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 2016年4月、私はブログでポーランドのジャーナリスト、マルチン・マモン氏について書いている。マルチンは2015年11月、友人のトマシュ・グウォヴァツキ氏とともにシリアで反政府武装勢力「ヌスラ戦線」に拘束され、約40日後のクリスマスに解放されていた。https://takase.hatenablog.jp/entry/20160408


 彼らの存在を教えてくれたのは、ジャーナリストの常岡浩介さん。当時、常岡さんは身代金を払わずに安田純平さんを解放する方法を模索しており、このポーランド人のケースが参考になるはずと考えていた。

    私は安田さんとは2012年、シリア取材をテレビ番組にプロデュースして以来のお付き合いで、今回もシリアに入る前トルコにいた安田さんと連絡を取っていた。安田さんを何とか身代金なしで救出したいという思いは共有していたので、マルチンたちの事例を一緒にリサーチしたいと申し出た。
 マルチンは2005年に、チェチェンを取材した"Dirty War"(汚い戦争)という作品を作っている。常岡さんもチェチェン人部隊に命がけで従軍取材した経験があり、SNSで連絡をとるとマルチンも常岡さんに親近感をもったようで、何でも質問に答えるという。
 5月下旬、何とか日程を調整して常岡さんとポーランドに向かった。マルチンたちが住むのは古都クラクフ。実に美しい街だった。

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マルチン(右)、トマシュ(左)と

 マルチンとトマシュは、ドイツ人ジャーナリスト、ヤニーナとのいきさつから拘束、解放まで詳しく語ってくれたのだが、二人の拘束と解放の経緯だけ要約すると―

 マルチンたちは武装勢力の司令官から招待される形でシリアに入ったという。招待したのは、ハムザ・シシャーニというチェチェン人。
 シリアには、中東だけでなく、インドネシアや中国(ウイグル)など世界中からムスリム義勇兵が入っており、ISやヌスラ戦線など各派に分かれて戦闘に参加していた。中でもチェチェン人部隊は命知らずの勇猛果敢な戦いぶりでどの派からも重宝がられていたという。
 ハムザ・シシャーニは、アハラールシャムという反政府武装組織に属していた。ちなみに、安田純平さんもアハラールシャムの幹部が身柄を保証するとの約束で越境している。数ある反政府組織の中でも、当時はヌスラ戦線とならんで大きな勢力を持っていた。

    マルチンとトマシュは、国境を超えたあと、ヌスラ戦線のチェックポイントで止められ拘束された。ヌスラ戦線の人質ビジネスをやるグループに情報がもれていて待ち受けていたようだとマルチンは言う。

     2人はその後6ヵ所を転々と移動させられた。はじめはスパイ容疑の尋問があり、それが終わると、アブーハフスというヌスラ戦線の諜報活動担当幹部が拘束場所まで会いに来た 。ポーランド政府から身代金を取るために協力しろと要求され2人は同意した。その直後から待遇がよくなったという。
 拘束から1ヶ月近く経った頃、「シャリア法廷(イスラム法裁判所)の判決がまもなく出るが、判決は君たちに有利なものとなるだろう」と告げられ、その2、3日後、2人は目隠しされて車に乗せられ、トルコの国境近くで降ろされた。そこには招待したチェチェン人司令官とIHH(諜報機関と関係があるとされるトルコのNGO)スタッフ、ロシア語を話す覆面をした男がおり、翌日12月25日、トルコのアンタキヤへと送られたという。
 実は、2人を招待したハムザ・シシャーニはヌスラ戦線のシャリア法廷に、「2人は自分の客人であって、捕虜とするのは違法だ」と訴えていた。ポーランド政府との身代金交渉が始まる前に、その法廷の判決で2人の解放が決まったのだった。

    ヌスラ戦線のシャリア法廷であっても、ヌスラ戦線に不利な判決を出している。これはどういうことなのか。

    多くの反政府勢力が割拠する場所で、平時であれば政府や地方自治体が担うはずの公共サービスなどはどうなっていたのだろうか。シャリア法廷は住民の公共性に対する最低限の信頼を託された存在だったのではないか。

    この判決は、シャリア法廷がもつ公共性が、党派性をしのいだということではないかと推測する。

 マルチンたちの体験は、IS以外の反政府武装勢力がさまざまな理由で身代金なしに人質を解放してきた一つの実例として参考になった。

    常岡さんは、このあと、ヌスラ戦線のシャリア法廷への提訴を模索したのだが、いくつかの事情でかなわなかった。マルチンたちの解放の経緯をもっと早く知っていれば、と悔やまれる。

     2人が解放されたあと2016年の4月、つまり常岡さんと私がポーランドを訪ねた前月、ハムザ・シシャーニは何者かに暗殺されていた。マルチンは、誘拐事件を失敗させたと彼を恨んだヌスラ戦線の報復だと信じている。

 

    このように、シリアでIS以外の武装勢力に拉致、拘束されたジャーナリストを含む外国人で、身代金なしで解放されたと推測されるケースもある。

     安田純平さんが解放された詳しい経緯はまだ解明されていないが、今後新たな情報が出てくることを期待する。

(終)

 

安田純平さんの解放に身代金は支払われたのか?(6)

 おとといはお彼岸。ソメイヨシノ開花宣言があったそうだ。桜の開花をこんなにテレビで騒ぐようになったのはいつからだろうか。ちょっとやりすぎだろう。
 ヒガンザクラなど満開のものもあるが、通りかかった公園の桜はまだツボミがかたい。 

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 きょうは冷え込んだ。東京都心できのうの最高気温23.9度からきょうは9度へと14度も低くなったとか。
 21日から節気は春分。初候は「雀始巣」(すずめ、はじめてすくう)。26日から次候の「桜始開」(さくら、はじめてひらく)。末候「雷乃発声」(かみなり、すなわちこえをはっす)が31日から。
 うちは今、スズメではなく、ヤマバト(デデッポッポーと鳴くやつ)の巣作りで困っている。一組のツガイが、うちのベランダに巣を作ろうとせっせと小枝を運んでくる。そうはさせないとこっちは懸命に小枝を捨てる。ヤマバトには悪いが、あきらめてもらいたい。
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 シリアの武装勢力に拘束中に出産して生還したドイツ人ジャーナリストがいる。彼女、ヤニーナ・フィンダイセン(Janina Findeisen)氏が、解放後初めてメディアのインタビューに応じ、その稀有な体験を語ったというニュースが一昨日、21日に流れた。
https://sz-magazin.sueddeutsche.de/politik/entfuehrung-janina-findeisen-interview-terrorismus-syrien-journalistin-buch-87022?reduced=true(南ドイツ新聞)
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 ヤニーナは2015年10月、反政府武装勢力「ヌスラ戦線」に加わった学生時代の友人ラウラ(仮名、女性)のドキュメンタリーを撮影しようと、トルコの町アンタキヤからシリアに密入国した。当時、彼女は27歳で妊娠7ヶ月だった。ちなみに安田純平さんもその4ケ月前、同じアンタキヤからシリアに入って拘束されている。
 シリア領内に8日間滞在し、ラウラのインタビューを撮り終え、トルコに戻る途中、ヤニーナたちは武装した男たちに車を停められ、目隠しされ連行された。彼女はほぼ1年後の2016年9月、拘束中に出産した男児とともに無事解放された。ドイツに帰ったヤニーナは、自らの拘束事件について長く沈黙を守ってきたが、今になってようやく語り始めたという。来月、ドイツで『戦争の家の私の部屋』というタイトルの手記が出版される予定だ。

 実はこのヤニーナの拘束は単発の事件では終わらなかった。さらに2人のジャーナリストの拘束事件を惹起したのである。
 ヤニーナは当初、ドキュメンタリー制作のため、紛争地取材に慣れた2人のポーランド人ジャーナリスト、マルチン・マモンとトマシュ・グウォヴァツキを雇った。ドイツやポーランドで打合せをした後、トルコのイスタンブールで最後の打合せとなった。ところが、そこでヤニーナが取材プランを急遽変更して2人と決裂、2人はいったんドイツに戻った。

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マルチン(右)とトマシュ(左)

 10月、2人にヤニーナの恋人からヤニーナの異変を告げる電話があった。シリアから戻って来ないという。
 2人のポーランド人ジャーナリストは11月、シリアに入った。二人は以前からシリアで撮りたいテーマがあり、ヤニーナの捜索も兼ねてシリア行きを決めたのだった。
 2人はヤニーナとは別のルートで、トルコのキリスからシリアのアザーズに向かった。案内人は二人で、「ヌスラ戦線」の若い男と「アフラルシャム」(別の武装組織)のチェチェン人。チェチェン人は国境の前で消え、3人がシリアに入った。11月15日の夜だった。
 深夜、「ヌスラ戦線」のチェックポイントに着くとそこから小学校に連れていかれ、3人バラバラに個室に閉じ込められた。「ヌスラ戦線」の若い男は3日後に拘束を解かれたが、二人はそこから12月25日に解放されるまで、ほぼ40日間の拘束生活を余儀なくされたのだった。
 そして興味深いことに、2人のポーランド人ジャーナリスト、マルチンとトマシュは身代金なしで解放された可能性が高い。彼らはなぜ解放されたのか。
(つづく)

安田純平さんの解放に身代金は支払われたのか?(5)

 17日放送の「ザ・ノンフィクション」の放送中から、ツイッターやFBには口汚い悪罵が書き込まれた。同時に好意的な評も意外に多かった。

安田純平さんの #ザ・ノンフィクション を観た。3年4ヶ月もの拘束…彼は毎日日記を過酷な状況の中ひたすら書いたジャーナリスト魂だ!どんな事が起きていたのかがつぶさに分かる安田氏の事を前提事実がはっきりしないままコメンテーターや国際政治学者が好き勝手に言う恐ろしさ!デマが如何に怖いか》
《自業自得と言う人が居るのも理解は出来る気がする。自分や自分の直ぐ側に居る人の事で精一杯だものね。それはそれで仕方が無い。でもやっぱり安田さんのように、世界全体をいつも意識して、遠くで起きている事を知らせようとしてくれる人も大事ですよね。》
《ザ・ノンフィクションで安田純平さんの特集を見たけど、誹謗中傷する人達の気持ちが分からない…。確かに危険な渡航だけど、地獄のような現地を世界中に伝えるのを必要な仕事と考えれば、あんな言葉は出てこないよ…。生きて帰って来て良かったと何故言えないのだろう…。》
 メディアの報じ方、SNSでの中傷への批判が目立つ。テレビ局の知り合いから、「ニュース制作にあたって自らを律しなくてはと考えさせられた」との感想が寄せられたのはうれしかった。
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 安田純平さんと巨大施設で「獄友」だったカナダ人、ショーン・ムーア氏。
 彼が主張するようにカナダ政府は全く身代金を払っていないとすれば、なぜ武装勢力はあなたがたを解放したと思うかとショーンに聞いた。彼は「彼らは自分たちの良いイメージを外に、特にカナダ政府にアピールしたかったのだろう」と答えた。

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「解放証明書」を前に解放の経緯を語るショーン・ムーア氏

 実はショーンを解放したのは「シリア救済政府」だった。「政府」を名乗ってはいても、これは安田さんやショーンが拘束されていたシリアのイドリブ地方で強い勢力をもつ武装勢力「タハリール アル・シャーム」(HTS)(旧ヌスラ戦線)が作った「政府」で、国際社会では承認されていない。ショーンはそこの「首相」からカナダ政府宛の解放証明書を手渡されている。
 おそらくは彼らHTSがショーンたちを拘束したのだろうが、その解放証明書には拘束者が誰かには触れずにこう記されている。

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(「首相」のサインまである「解放証明書」日付は2018年2月5日 )

 「救済政府の任務は、貴国の国民の安全をフォローすることであり、必要物と配慮を保証し、法的な措置をとった。彼らに、不法越境以外の法律違反は認められなかった。我々はまた、人道的問題において協力しこの問題を解決し、平和的な市民が祖国に戻り、最高の尊敬を受けることが必要であることを強調した」
 当初ショーンにかけられていた「スパイ」や「児童誘拐」の容疑への言及はなく、罪状は不法にシリアに入ってきたという軽微なものなので、人道的にカナダに帰れるようにしますというのだ。
ショーンは「カナダ政府は2017年の11月、シリアの反政府側の地域に9億ドルという巨額の人道支援を約束していた。その約束を守ってもらうには、カナダ人を大事に扱い、悪い奴らから救出したといういいイメージを発信したかったのだろう」と言う。
解放にあたっては、トルコ国境近くの「救国政府」の施設で記者会見も開かれ、ショーンは「救済政府」が用意したコメントを読み上げさせられたという。たしかに「救済政府」=HTSは、この解放劇を重要な宣伝の機会にしようとしたようだ。
https://m.youtube.com/watch?v=yubZdMlWpfE(会見の一部の動画、3分以降にショーンが登場する)

 IS(「イスラム国」)なら残虐な行為を宣伝するが、ショーンを拘束したと思われる旧「ヌスラ戦線」は、人道的な対応を世界に向けてアピールしたがっているようだ。「ヌスラ戦線」は2017年1月以降、「タハリール アル・シャーム」(HTS)と名称を変え、アルカイダとの絶縁宣言もしている。国際的孤立から脱するために化粧直しをしたのだろう。
 安田純平さんがなぜ獄中で日記を書くことが許されたのかは、誰しもいだく疑問だろうが、安田さん自身は日記についてこう記している。
「拘束者から『解放されたら、紳士的な対応を受けたとメディアを通じて伝えろ』と言われて記録を許された日記」(前掲雑誌)。安田さんの拘束者(ショーンの拘束者と同じとは限らない)もまた、「紳士的な対応」を外部にアピールしたがっていたようだ。

 身代金なしでシリアの武装勢力から解放されたケースはさらにあった。
(つづく)

安田純平さんの解放に身代金は支払われたのか?(4)

 先週、山手線に乗ったら、全車両が「ハイアール」の宣伝で埋め尽くされていた。この中国の家電メーカー、うちの母親などたぶん名前も知らないと思う。今や白物家電世界一。こんな時代になったのだなあ・・

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 安田純平さんは、カナダ人ショーン・ムーア氏について、こう書いている。
 《私は他の囚人と話すことを禁じられていたが、他の囚人たちは雑談しても咎められることはなかった。そのため、近くの独房にいたムーア氏が周囲の囚人や看守と話している声は聞こえていた。帰国後、先に解放されていたムーア氏をフェイスブックで見つけることができ、当時、独房から聞こえた彼の発言内容を伝えると、「それは俺だ! あの苦しみを分かち合える人がいたなんて!」と喜んでくれた。
 ムーア氏も、拘束されたことについて、インターネット上で一部の人々から非難を浴びているという。まるで別の惑星にでもいたかのような異常な体験を共有し、語り合える人がいるということは、私にとっても心強いことだ。》(月刊文藝春秋1月号)https://bunshun.jp/articles/-/10066

 安田さんはそのショーンと今年1月に対面した。声しか聞いたことがなく、会うのは初めてだった。

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 ショーン・ムーア氏(48)はカナダ人で、中東で人道支援を行ってきた有能なボランティア活動家だ。2017年の大晦日レバノンからシリアに入り「タハリール アル・シャーム」(HTS)(旧ヌスラ戦線)と思われる武装勢力に捕まった。
 彼は、カナダの同じ地域に住む女性が、別れた夫から子どもを取り返したいと訴えているのを知った。元夫は旅行してくると言って、息子二人を彼の出身国であるレバノンまで連れ去ってしまったという。ショーンはその女性とレバノンに行き、息子2人とともに密かに陸路シリアを抜けてトルコへ脱出させようとした。その途中で武装勢力に捕まり、何カ所か場所を移動した後、ショーンは女性と二人の子どもと切り離されて、安田さんと同じ収容施設に入れられたのだった。

 ショーンは当初「スパイ」と「児童誘拐」の容疑で、拷問を伴う尋問を受けたが、拘束からおよそ1ヵ月後の2018年2月5日、女性とともに解放された。子ども二人はレバノンの夫のもとに戻されている。
 ショーンによると、拘束者グループはショーンに、カナダ政府や家族、友人に金を送るよう言えと迫ったという。ショーンはSNSでカナダ政府や家族に連絡を取ったが、いずれもお金を出すことはできないとの返事だった。カナダ政府からは、シリアの反政府勢力の支配地では助ける手段はないとはっきり告げられたそうだ。カナダ政府は米国、英国、日本などと同じくテロリストには身代金を払わないという立場だ。(ただし、2015年夏、オバマ大統領は法律を修正し、米国人の人質の家族がテロ組織と交渉することを認めると発表した)
 自分の解放にカナダ政府が身代金を払ったとは考えられないとショーンはいう。「身代金を払わないだけじゃないよ。カナダ政府は、トルコからカナダまでの航空運賃3100㌦を私に請求してきたんだ。私はいつも700㌦の格安チケットで飛んでいたのに、ひどい目にあったよ」と笑っていた。
 ショーンの解放にカナダ政府が身代金を払っていないと推測できる理由の一つに、拘束されてから解放されるまでの時間の短さがある。わずか1ヶ月と数日で解放に至っている。
 これまでジャーナリストがシリアでアルカイダ系とされる組織に拘束されたケースで、解放までの期間が短いものといえば・・(国境なき医師団のベルギー人、デンマーク人など5人のスタッフが2014年1月に誘拐され、3ヶ月後の同年4月に解放された例を除いて)
 2013年9月に誘拐された3人のスペイン人ジャーナリストのケース(1人が5ヶ月後、2人が6ヶ月後に解放)。
 拘束から10ヶ月後に解放されたフランス人ジャーナリストが4人いる。2013年6月6日に誘拐された2人と6月22日に誘拐された2人で、4人は2014年4月19日に解放されている。
 また、安田純平さん拘束の翌月、2015年7月にスペイン人ジャーナリスト3人が拘束され、10か月後の2016年5月に解放されている。
 フランス政府やスペイン政府は身代金を払ったとは決して認めないが、実際は身代金交渉をすることで知られている。
 もしもカナダ政府が身代金交渉に乗り出したとしても、1ヶ月かそこらで条件をまとめることはとても無理だろう。

 では、拘束者たちはなぜショーンを解放したのか?

(つづく)

安田純平さんの解放に身代金は支払われたのか?(3)

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 次々にいろんな花が咲いている。それを見つけるのは楽しい。近所のモクレンの紫の花も開いた。

 モクレン木蓮)というのは花が蓮に似ているからという。真っ白なハクモクレンとは同じモクレン属とはいえ、こちらは紫木蓮(シモクレン)で違う種類。こちらのほうが日本に入ってきたのは古いらしい。中国南西部(雲南省四川省)が原産地だが、英語圏に紹介された際に、Japanese magnolia と呼ばれたため、日本が原産国だと誤解されているそうだ。(wikipedia
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 安田純平さんがシリアで拘束されたのが2015年の6月23日。私が異変を知ったのは、その約1週間後、安田さんと親しいフリージャーナリストの常岡浩介さんからの通報だった。家族や仲間は異変を外部に言わないようにしていたが、7月9日、菅官房長官の会見でたしかフジテレビの記者が当てたことで知られるようになった。この日の私の日記には「安田拘束、表に出る」とある。
 そこから間もない8月、「セキュリティコンサルタント」を名乗るスウェーデン人が、安田さんの妻に接触してきた。安田さんを助けられるルートを持っているという。この人物は救出のための交渉にかかる経費の見積もりを送ってよこした。1ヶ月で22万6500㌦(当時のレートで約2700万円)。これを日本政府が払うよう働きかけてくれといったが、安田さんの妻は断った。  

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 番組ではこれ以上触れなかったが、この人物は、外務省に直接話を持ち込んでいる。もちろん外務省は相手にせず、彼はその経緯を外務省の個人名も出して非難がましくツイッターで書いていた。

 交渉を仲介してやろうという人物はこの他にもおり、トルコまで行って拘束者グループの交渉人と接触している。
 日本政府が拘束者グループと接触・交渉に動いたという形跡はまったくない。とはいえ、これら「民間」の「交渉者」の存在が、拘束者グループに、身代金を取ることができそうだと期待を持たせたのではないかと思う。その結果、安田さんの拘束を長引かせた一つの要因になったのではないか。

 安田さんは3年4ヶ月の拘束期間中、多くの施設を移動させられているが、後半に入れられた巨大施設の独房は最悪の環境だった。縦3メートル、幅1.5メートルほどの細長く狭い部屋で、突き当りにはトイレと水道のスペース。窓はなく小さなライトがあるだけの薄暗い部屋。1日2回、鉄製の扉の小さな窓から食べ物が差し入れられる以外は、外界との接触はない。同じ施設の中で、これより狭い部屋に入れられたこともあったという。 
 ここには安田さん以外にも外国人が拘束されていたが、2018年1月、安田さんの独房の右隣の隣に入れられた男がいた。彼はしばしば”Sean Moore(ショーン・ムーア), Canadian!”と大きな声で周りの囚人に言っていた。ショーンは1ヶ月足らずで出ていった。
 安田さんは帰国後、ショーンが解放後取材された記事を知り、フェイスブックでつながることができた。ぜひ会ってみたいとの安田さんの希望を叶えるべく、私たちはショーンを日本に呼んだ。

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 2人はカメラを前に5時間ほど語り合った。誰も知りえない異常な環境にいた「獄友」同士の対話はとても興味深かった。安田さんは、あの体験は他の人にいくら話しても分かってもらえない、ショーンだけが理解してくれると言った。傍目にも、二人だけの世界でしみじみと語り合っている様が印象的だった。

 番組では拘束中の体験談しか紹介できなかったのだが、実は、このカナダ人、ショーン・ムーアは身代金を払わずに解放された可能性が高い。これもまた、安田さんが身代金なしで解放された一つの傍証になると思われる。
 ショーン解放の経緯は非常に興味深いのだが、これは次回に。
(つづく)

安田純平さんの解放に身代金は支払われたのか?(2)

 先週は編集スタジオで、久しぶりに完徹(完全徹夜)した。
 スタジオには、ディレクターがテロップやボカシの入れ方、画面の色や明るさなどを指示し、それにもとづいてエディター、オペレーターが編集機器を操作していく。近年は公道であっても通行人の顔が映るとボカシを入れることが多い。明らかに行き過ぎだと思うが、そういうご時世らしい。これに時間がかかる。
 次にMA(マルチオーディオという和製英語)と呼ばれる音の編集の段階になると、スタジオを移り、機器を操作するのはミキサーと呼ばれる二人になる。まず、ナレーター(とマネジャー)がやってきて「ナレ録り」。ここにはテレビ局のプロデューサー も立ち会う。今回の番組では外国語(英語)でのやり取りはすべてテロップ処理にしたが、吹き替えの場合は、声優さんを「40歳くらいの男性」「若くて元気な感じの女性」などと発注する。つぎに「音効(音響効果)さん」が来て効果音や音楽をつけ、最後に全体の音のバランスを調整する。編集だけでもこんなふうに多くの人のおかげで番組は作られていく。
 編集作業は昼も夜もない。「27時」「33時」などという言葉が飛び交う。私はテロップやナレーションの確認、テレビ局との連絡などで立ち会って徹夜になった。でもやはり歳なのか、いつの間にウトウトしてしまう。この業界にいる人は長生きできないだろうな。
 放送も無事に終わったので、きょうはお休み。
 よく晴れたので、久しぶりに自転車で母に顔見せにいく。こないだ写真を載っけたハクモクレンのそばの梅も開いた。

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 さて、安田純平さんの解放に身代金が払われたか、だが、犯人(拘束者)グループははじめ安田さんが「スパイ」ではないかと疑って取り調べたようだ。その疑いが晴れると、こんどは身代金をとる「人質」にされた。
 ネットでは、安田さんが戦場で3回、あるいは6回人質になったなどといういわれのない非難があるが、安田さんが「人質」になったのは今回が初めてだ。2004年にイラクで地域の自警団にスパイ容疑で拘束されたが3日で解放されている。この場合は身代金など対価を要求されておらず「人質」ではなかった。私自身も軍隊に数時間から一両日拘束された経験が何度かあるが、紛争地ではジャーナリストが拘束されるのは日常茶飯事であり、拘束=人質ではない。
 犯人(拘束者)グループは日本政府にコンタクトをはかったらしい。それを示すのが拘束から半年ほど経ったころに安田さんの妻に届いた犯人の代理人からのメールだ。

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 「日本政府に複数のルートで連絡したが、いまだ進展なし」と書かれてある。半年たっても日本政府が動いてくれないので、安田さんの妻から政府をつついてくれというのである。日本政府は、(この方針が良いかどうかは別にして)テロリストに身代金を払わないのはもちろん、交渉さえしないという姿勢を貫いたことを示唆している。
 このメールには、安田さん直筆のメモが添付されており、そこには英語で安田さんと家族の名前や安田さんの出身校、経歴などとともに夫婦がお互いに相手をあだ名でどう呼んでいたかが記されていた。それは不思議な呼び名だった。
 Oku-Houchi (おく ほうち)
 Puku-Hottoku(ぷく ほっとく)

 オクとは安田さんが妻を、プクは妻が安田さんを呼ぶニックネームで、そこに「放置」「ほっとく」という言葉を入れ込むカケに出たのである。実は、安田さんは以前から、取材に出て万が一のことがあっても自分のことは放置し、ほっとくようにと妻に言っていた。そのメッセージを密かに暗号として紛れ込ませたのだった。
 安田さんは拘束中、克明に日記をつけており、それを今回初めて公開してくれたのだが、身代金に関する記述は多い。
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(日記はページを惜しんで、極めて小さい字で書かれていた)

  2015年12月7日の日記「オレの個人情報を紙に書けという。」「おれのニックネームを『ぷくほっとく』にする」。これがメールで妻に届けられたメモだった。
 湯川遥菜さん、後藤健二さんに関するISの身代金要求を無視したことでも分かるように、日本政府が身代金を払わないという方針は明確である。そして安田さん本人も、拘束中から政府が身代金を払わないようにと強く願っていたことが日記に記されている。
 「万が一、身代金が払われたら、オレは生きていけるか。」
 「とても人前にでるどころか友達にも会えない気がする。」
 「他人なら見捨てるべきではないと言うが オレは見捨ててほしい。」

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 政府が犯人グループからのコンタクトに反応しないなか、安田さんの妻に「自分なら交渉人になれる」と近づいてきた人物があった。
(つづく)

安田純平さんの解放に身代金は支払われたのか?

 きょう放送されたザ・ノンフィクション「デマと身代金~安田純平 3年4ヶ月の獄中日記」はいかがでしたか。
 関東ローカルの放送で、見られなかった人も多いので、ここで内容の一部を紹介する。 

 シリアで反政府武装勢力とみられる集団に拘束されていた安田純平さんは、去年10月23日に解放され25日に帰国した。実に3年4ヶ月の長きにわたる拘束生活から生還した安田さんには、ネットなどでデマや「自己責任」に象徴される中傷が浴びせられ、身代金が払われたとの噂が飛び交った。帰国から5ヶ月、安田さんはそれらにどう応えているのか。

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 ネットには、
 「国民に迷惑をかけるジャーナリスト嫌い」
 「自ら危険なシリアに行って、助けてくれってどうなんだろう」
 「安田純平、血色よすぎ」
 「まさか自作自演じゃないよね?」
 さらには「身代金を国に払わせて、あなたはテロリストを支援しに行ってるとしか思えない」と身代金支払いを事実とみなしての非難も寄せられた。

 今でも、安田さんは外出するとき顔を隠すことがある。「殴ってやる」「死ね」などと脅迫まがいの中傷もあり、何が起きるかわからないと家族が心配するからだという。

    まず、身代金支払いについては、日本政府が払った、カタール政府が払ったと二つの説があった。
 しかし、両国とも身代金支払いを否定している。
 菅官房長官は解放翌日10月24日の記者会見で、「身代金、払ったという事実はありません」と日本政府の身代金支払いを否定。さらに「解放にあたって、カタールが身代金を払ったという話が出ていますが」との記者の質問に「そうしたことは、まったくありません」と答えている。
 安田さんも、身代金が払われたという説を否定する。
 理由の一つは、身代金交渉に不可欠の「本人確認」を日本政府がやっていないことだ。
 2015年8月に外務省が夫人に安田さんしか答えられない質問項目―子どものころに飼っていたペットの名前、結婚の証人になった人の名前など―を聞き取っていった。だが、安田さんがこの質問をされたのは、解放翌日の去年10月24日、トルコで日本の大使館員からだった。大使館員は安田さんの目の前に来て、話をする前「確認します」と言って、これらの質問項目を安田さんに尋ねたという。
 身代金交渉をする場合、交渉相手が偽者かもしれない。また、拉致された本人はすでに生きていないかもしれない。だから、交渉相手が現在も生きている人質の身柄を確保していることを確認しなければならない。本人確認はそのために必要になる。
    安田さんは、それらの質問を拘束中に聞かれたことがなかった。本人が生きているかどうかも確認せずに日本政府がお金を払うなんて、ありえないと主張する。これは説得力があると思う。
 次に、カタール政府が身代金を払ったという説だが、その唯一の根拠は、「シリア人権監視団」(The SyrianObservatory for Human Rights)というイギリスに拠点を置くNGOのリポートだった。

     この「シリア人権監視団」は、シリアでの民間人の死傷や人権侵害などの被害状況を発信しており、私もこのブログで何度もこの団体の情報を引用している。
 そのリポートには「信頼できる複数の情報源によると」として、三つの内容が書かれている。まず、安田さんは解放4日前(10月19日)に身柄の拘束を解かれていたこと。次に、カタールとトルコの支援があったこと。そして身代金が払われたことだ。http://www.syriahr.com/en/?p=105174
 さらに、「シリア人権監視団」の代表(ラミ・アブドルラフマン氏)は日本のメディアに答えて、カタール政府が身代金300万ドル(約3億3700万円)を払ったとまで述べている。

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 しかし、安田さんによると「シリア人権監視団」の情報には明らかな誤りがあるという。解放4日前に身柄拘束が解かれていたという点だ。
 安田さんが最後の収容施設から出されたのは10月22日で、解放されてトルコの入管に入ったのが23日、その4日前の19日は安田さんの状況に変化はなく、まだ同じ収容施設にいたというのだ。

    ところが日本のメディアは、安田さんにこのことを確認せずに「シリア人権監視団」の情報にのみ依拠して報じてしまった。(番組で取り上げたのは「カタールが身代金」と見出しを打った読売新聞の記事)
 こう報じたメディアを安田さんは批判する。
 「そんなの帰ってきたら、(私に)聞けばいいじゃないですか。
 そういう取材すらしないで、いちNGOが書いていたっていうだけで(メディアが)書いちゃってるわけですよ。
 (ニュースを)見ている人たちっていうのは、最初の話で止まっているわけです。テレビで、タレントとか国際政治学者とかいう人が、そのままの話でしゃべってるわけですよ。」
 情報のウラを取るという基本的なことがおろそかにされ、その結果、身代金が支払われたということが事実として印象付けられていった。

 これはメディアに携わる我々に突きつけられた言葉である。

(つづく)