先週は編集スタジオで、久しぶりに完徹(完全徹夜)した。
スタジオには、ディレクターがテロップやボカシの入れ方、画面の色や明るさなどを指示し、それにもとづいてエディター、オペレーターが編集機器を操作していく。近年は公道であっても通行人の顔が映るとボカシを入れることが多い。明らかに行き過ぎだと思うが、そういうご時世らしい。これに時間がかかる。
次にMA(マルチオーディオという和製英語)と呼ばれる音の編集の段階になると、スタジオを移り、機器を操作するのはミキサーと呼ばれる二人になる。まず、ナレーター(とマネジャー)がやってきて「ナレ録り」。ここにはテレビ局のプロデューサー も立ち会う。今回の番組では外国語(英語)でのやり取りはすべてテロップ処理にしたが、吹き替えの場合は、声優さんを「40歳くらいの男性」「若くて元気な感じの女性」などと発注する。つぎに「音効(音響効果)さん」が来て効果音や音楽をつけ、最後に全体の音のバランスを調整する。編集だけでもこんなふうに多くの人のおかげで番組は作られていく。
編集作業は昼も夜もない。「27時」「33時」などという言葉が飛び交う。私はテロップやナレーションの確認、テレビ局との連絡などで立ち会って徹夜になった。でもやはり歳なのか、いつの間にウトウトしてしまう。この業界にいる人は長生きできないだろうな。
放送も無事に終わったので、きょうはお休み。
よく晴れたので、久しぶりに自転車で母に顔見せにいく。こないだ写真を載っけたハクモクレンのそばの梅も開いた。
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さて、安田純平さんの解放に身代金が払われたか、だが、犯人(拘束者)グループははじめ安田さんが「スパイ」ではないかと疑って取り調べたようだ。その疑いが晴れると、こんどは身代金をとる「人質」にされた。
ネットでは、安田さんが戦場で3回、あるいは6回人質になったなどといういわれのない非難があるが、安田さんが「人質」になったのは今回が初めてだ。2004年にイラクで地域の自警団にスパイ容疑で拘束されたが3日で解放されている。この場合は身代金など対価を要求されておらず「人質」ではなかった。私自身も軍隊に数時間から一両日拘束された経験が何度かあるが、紛争地ではジャーナリストが拘束されるのは日常茶飯事であり、拘束=人質ではない。
犯人(拘束者)グループは日本政府にコンタクトをはかったらしい。それを示すのが拘束から半年ほど経ったころに安田さんの妻に届いた犯人の代理人からのメールだ。
「日本政府に複数のルートで連絡したが、いまだ進展なし」と書かれてある。半年たっても日本政府が動いてくれないので、安田さんの妻から政府をつついてくれというのである。日本政府は、(この方針が良いかどうかは別にして)テロリストに身代金を払わないのはもちろん、交渉さえしないという姿勢を貫いたことを示唆している。
このメールには、安田さん直筆のメモが添付されており、そこには英語で安田さんと家族の名前や安田さんの出身校、経歴などとともに夫婦がお互いに相手をあだ名でどう呼んでいたかが記されていた。それは不思議な呼び名だった。
Oku-Houchi (おく ほうち)
Puku-Hottoku(ぷく ほっとく)
オクとは安田さんが妻を、プクは妻が安田さんを呼ぶニックネームで、そこに「放置」「ほっとく」という言葉を入れ込むカケに出たのである。実は、安田さんは以前から、取材に出て万が一のことがあっても自分のことは放置し、ほっとくようにと妻に言っていた。そのメッセージを密かに暗号として紛れ込ませたのだった。
安田さんは拘束中、克明に日記をつけており、それを今回初めて公開してくれたのだが、身代金に関する記述は多い。
(日記はページを惜しんで、極めて小さい字で書かれていた)
2015年12月7日の日記「オレの個人情報を紙に書けという。」「おれのニックネームを『ぷくほっとく』にする」。これがメールで妻に届けられたメモだった。
湯川遥菜さん、後藤健二さんに関するISの身代金要求を無視したことでも分かるように、日本政府が身代金を払わないという方針は明確である。そして安田さん本人も、拘束中から政府が身代金を払わないようにと強く願っていたことが日記に記されている。
「万が一、身代金が払われたら、オレは生きていけるか。」
「とても人前にでるどころか友達にも会えない気がする。」
「他人なら見捨てるべきではないと言うが オレは見捨ててほしい。」
政府が犯人グループからのコンタクトに反応しないなか、安田さんの妻に「自分なら交渉人になれる」と近づいてきた人物があった。
(つづく)