安田純平さんの解放に身代金は支払われたのか?(6)

 おとといはお彼岸。ソメイヨシノ開花宣言があったそうだ。桜の開花をこんなにテレビで騒ぐようになったのはいつからだろうか。ちょっとやりすぎだろう。
 ヒガンザクラなど満開のものもあるが、通りかかった公園の桜はまだツボミがかたい。 

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 きょうは冷え込んだ。東京都心できのうの最高気温23.9度からきょうは9度へと14度も低くなったとか。
 21日から節気は春分。初候は「雀始巣」(すずめ、はじめてすくう)。26日から次候の「桜始開」(さくら、はじめてひらく)。末候「雷乃発声」(かみなり、すなわちこえをはっす)が31日から。
 うちは今、スズメではなく、ヤマバト(デデッポッポーと鳴くやつ)の巣作りで困っている。一組のツガイが、うちのベランダに巣を作ろうとせっせと小枝を運んでくる。そうはさせないとこっちは懸命に小枝を捨てる。ヤマバトには悪いが、あきらめてもらいたい。
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 シリアの武装勢力に拘束中に出産して生還したドイツ人ジャーナリストがいる。彼女、ヤニーナ・フィンダイセン(Janina Findeisen)氏が、解放後初めてメディアのインタビューに応じ、その稀有な体験を語ったというニュースが一昨日、21日に流れた。
https://sz-magazin.sueddeutsche.de/politik/entfuehrung-janina-findeisen-interview-terrorismus-syrien-journalistin-buch-87022?reduced=true(南ドイツ新聞)
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 ヤニーナは2015年10月、反政府武装勢力「ヌスラ戦線」に加わった学生時代の友人ラウラ(仮名、女性)のドキュメンタリーを撮影しようと、トルコの町アンタキヤからシリアに密入国した。当時、彼女は27歳で妊娠7ヶ月だった。ちなみに安田純平さんもその4ケ月前、同じアンタキヤからシリアに入って拘束されている。
 シリア領内に8日間滞在し、ラウラのインタビューを撮り終え、トルコに戻る途中、ヤニーナたちは武装した男たちに車を停められ、目隠しされ連行された。彼女はほぼ1年後の2016年9月、拘束中に出産した男児とともに無事解放された。ドイツに帰ったヤニーナは、自らの拘束事件について長く沈黙を守ってきたが、今になってようやく語り始めたという。来月、ドイツで『戦争の家の私の部屋』というタイトルの手記が出版される予定だ。

 実はこのヤニーナの拘束は単発の事件では終わらなかった。さらに2人のジャーナリストの拘束事件を惹起したのである。
 ヤニーナは当初、ドキュメンタリー制作のため、紛争地取材に慣れた2人のポーランド人ジャーナリスト、マルチン・マモンとトマシュ・グウォヴァツキを雇った。ドイツやポーランドで打合せをした後、トルコのイスタンブールで最後の打合せとなった。ところが、そこでヤニーナが取材プランを急遽変更して2人と決裂、2人はいったんドイツに戻った。

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マルチン(右)とトマシュ(左)

 10月、2人にヤニーナの恋人からヤニーナの異変を告げる電話があった。シリアから戻って来ないという。
 2人のポーランド人ジャーナリストは11月、シリアに入った。二人は以前からシリアで撮りたいテーマがあり、ヤニーナの捜索も兼ねてシリア行きを決めたのだった。
 2人はヤニーナとは別のルートで、トルコのキリスからシリアのアザーズに向かった。案内人は二人で、「ヌスラ戦線」の若い男と「アフラルシャム」(別の武装組織)のチェチェン人。チェチェン人は国境の前で消え、3人がシリアに入った。11月15日の夜だった。
 深夜、「ヌスラ戦線」のチェックポイントに着くとそこから小学校に連れていかれ、3人バラバラに個室に閉じ込められた。「ヌスラ戦線」の若い男は3日後に拘束を解かれたが、二人はそこから12月25日に解放されるまで、ほぼ40日間の拘束生活を余儀なくされたのだった。
 そして興味深いことに、2人のポーランド人ジャーナリスト、マルチンとトマシュは身代金なしで解放された可能性が高い。彼らはなぜ解放されたのか。
(つづく)