次々にいろんな花が咲いている。それを見つけるのは楽しい。近所のモクレンの紫の花も開いた。
モクレン(木蓮)というのは花が蓮に似ているからという。真っ白なハクモクレンとは同じモクレン属とはいえ、こちらは紫木蓮(シモクレン)で違う種類。こちらのほうが日本に入ってきたのは古いらしい。中国南西部(雲南省、四川省)が原産地だが、英語圏に紹介された際に、Japanese magnolia と呼ばれたため、日本が原産国だと誤解されているそうだ。(wikipedia)
・・・・・・・・・・・・・・・・
安田純平さんがシリアで拘束されたのが2015年の6月23日。私が異変を知ったのは、その約1週間後、安田さんと親しいフリージャーナリストの常岡浩介さんからの通報だった。家族や仲間は異変を外部に言わないようにしていたが、7月9日、菅官房長官の会見でたしかフジテレビの記者が当てたことで知られるようになった。この日の私の日記には「安田拘束、表に出る」とある。
そこから間もない8月、「セキュリティコンサルタント」を名乗るスウェーデン人が、安田さんの妻に接触してきた。安田さんを助けられるルートを持っているという。この人物は救出のための交渉にかかる経費の見積もりを送ってよこした。1ヶ月で22万6500㌦(当時のレートで約2700万円)。これを日本政府が払うよう働きかけてくれといったが、安田さんの妻は断った。
番組ではこれ以上触れなかったが、この人物は、外務省に直接話を持ち込んでいる。もちろん外務省は相手にせず、彼はその経緯を外務省の個人名も出して非難がましくツイッターで書いていた。
交渉を仲介してやろうという人物はこの他にもおり、トルコまで行って拘束者グループの交渉人と接触している。
日本政府が拘束者グループと接触・交渉に動いたという形跡はまったくない。とはいえ、これら「民間」の「交渉者」の存在が、拘束者グループに、身代金を取ることができそうだと期待を持たせたのではないかと思う。その結果、安田さんの拘束を長引かせた一つの要因になったのではないか。
安田さんは3年4ヶ月の拘束期間中、多くの施設を移動させられているが、後半に入れられた巨大施設の独房は最悪の環境だった。縦3メートル、幅1.5メートルほどの細長く狭い部屋で、突き当りにはトイレと水道のスペース。窓はなく小さなライトがあるだけの薄暗い部屋。1日2回、鉄製の扉の小さな窓から食べ物が差し入れられる以外は、外界との接触はない。同じ施設の中で、これより狭い部屋に入れられたこともあったという。
ここには安田さん以外にも外国人が拘束されていたが、2018年1月、安田さんの独房の右隣の隣に入れられた男がいた。彼はしばしば”Sean Moore(ショーン・ムーア), Canadian!”と大きな声で周りの囚人に言っていた。ショーンは1ヶ月足らずで出ていった。
安田さんは帰国後、ショーンが解放後取材された記事を知り、フェイスブックでつながることができた。ぜひ会ってみたいとの安田さんの希望を叶えるべく、私たちはショーンを日本に呼んだ。
2人はカメラを前に5時間ほど語り合った。誰も知りえない異常な環境にいた「獄友」同士の対話はとても興味深かった。安田さんは、あの体験は他の人にいくら話しても分かってもらえない、ショーンだけが理解してくれると言った。傍目にも、二人だけの世界でしみじみと語り合っている様が印象的だった。
番組では拘束中の体験談しか紹介できなかったのだが、実は、このカナダ人、ショーン・ムーアは身代金を払わずに解放された可能性が高い。これもまた、安田さんが身代金なしで解放された一つの傍証になると思われる。
ショーン解放の経緯は非常に興味深いのだが、これは次回に。
(つづく)