ガザでは砲爆撃で死傷する人の他、食糧不足で体力が衰え、病気になったり亡くなる人たちのことも心配だ。能登半島地震で避難した人が「関連死」で亡くなっているが、それがガザの逃げ惑う人々に起きている。
パレスチナ自治区ガザで人道支援を続ける国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)は2月1日、イスラエルへの奇襲に職員が関与した疑いが浮上して以降、各国がUNRWAへの資金拠出を停止した影響で、「このままであれば、2月末までに活動を停止せざるを得ない可能性が高い」との見方を示した。ロイター通信が1日、広報担当者に確認したと報じた。【朝日新聞記事より)
1日の時点で、最大の支援国である米国や、英国、日本など16カ国が資金の拠出を停止しているという。
そもそも何万人もいるなかのわずかな数の職員の行為で組織全体を罰することは許されないし、米国にすぐに右ならえして供出を止めた日本政府が情けない。
これに対して、現地の支援をしている日本国際ボランティアセンターJVCなどの日本のNGOや研究者らが「日本政府によるUNRWAへの資金拠出一時停止の撤回を求める」との要請文を上川外相に提出した。
《(前略)UNRWAはパレスチナ難民支援の中核を担ってきた組織ですが、今回の空爆により、少なくとも152人の職員が亡くなり、145のUNRWAが運営する避難所が攻撃されました。そして現在も155の避難所を運営し、生きるために必要な支援を人々に届けています。UNRWAは、ガザの人々にとって最後の命の砦であり、資金提供を停止することは、すでに危機的状況に置かれたガザの人々の命を奪うことに等しい行為です。
攻撃への関与に関する調査の実施については支持する一方、3万人の職員のうち一部の個人の関与を理由に、ガザの人々全体に対する人道支援継続を危機に陥れることは、国際法違反の集団的懲罰に該当する可能性があります。
私たちは、ガザの一般市民がこれ以上犠牲にならないよう、恒久的な停戦を訴え続けてきました。しかし、4ヶ月が経つ現在も毎日数百人が命を奪われ、そして生存している人々にとっても環境は日に日に過酷になっています。これ以上ガザ地区の一般市民が追い詰められることがあってはなりません。一刻も早くUNRWAへの拠出金の一時停止を撤回してください。
2024年1月31日(以下略)》
すぐに撤回を!
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もう2週間も前に紹介した、坂本龍一の「ダウンタウン理論」についてのつづき。
なお、これは松本人志の性加害問題と直接の関係はない。
坂本:多少なりとも規範があった時代には、ダウンタウンの芸も新鮮だし、面白かった。子どもがいきなり人を刺したら、異常な事件だと思える社会では、いきなり人をどつくダウンタウンは面白かった。
でも、いまはダウンタウンのやってることが、社会のスタンダードになっちゃった。初対面の人をどつくとか、いじめてなにが悪いって開き直るのが、当たり前になった。
結局、子どもたちはみんなダウンタウンをやっている。だって、いまのいじめとか少年犯罪のパターンって、ほんとダウンタウンそのままじゃない?松本人志はあのすごい才能で、そういう社会を啓示したんだよ。
(略)
坂本:「いじめてなにがが悪い」から「人を殺してなにが悪い」に行き着くのは早い。そういう社会になったら、もうダウンタウンの存在意義はないわけだけど。
でも、さっき言ったように、権威に反発して、ルールがないことはいいことだと戦後最初に言ってたのは、僕らの世代なんだよね。いわゆる全共闘世代。いま僕らの世代が親になり、教師になって、そういう子どもを育ててしまってる。
天童:ダウンタウン的なものって、かつては社会のメインストリートにはなり得なかったですよね。でも、それがいまの子どもたちには流行になり、目標でさえあるのかもしれない。この先を考えると、ダウンタウンよりもうひとつ外れていた、言わば外れの外れにあった人たち—明るく「アホなこと言うな」とすら言えないような人たちが、メインストリートに出てくることもあるかもしれない。それが僕が希望を持てるような、自分や他者の痛みを、おだやかに受け入れていくアンチダウンタウンなのか、あるいは、いまはまだ異常だと思われている「人を殺してなにが悪い」っていう人たちなのかはわからない。
坂本:それについては、僕は、ダウンタウン前ダウンタウン後というのと同時に、オウム前オウム後の変容もすごく感じるの。オウム真理教はああなってしまったから、もうオウムに入ることはできない。けれど、オウム的な感性をもってる層は非常に厚くて、インターネットの世界を中心に増殖し続けている。
天童:ああ、その層は多いと思いますね。
坂本:そういう子どもは単に神秘的なものに関心があるとかいうことじゃなくて、日常的に突出したことをするわけでもない。バスジャックもしないし、松本のように人をどつきもしないし、オウムにも入らない。でも、現実に適応できなくて、自分を見つめることもできなくて、なにかに導かれたがっているような分厚い層の広がりがあるような気がする。
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これは坂本龍一の「世代論」でもあるが、「権威に反発して、ルールがないことはいいことだと戦後最初に言ってたのは、僕らの世代なんだよね。いわゆる全共闘世代。いま僕らの世代が親になり、教師になって、そういう子どもを育ててしまっている」と語っていることから、自分たちの世代が、社会を、権威をぶち壊していいんだという風潮で染め上げてしまったことを自覚している。
以前、本ブログで、日本人の「権威嫌い」が世界で突出していることを紹介した。
再録すると、「世界価値観調査」(WVS)という、世界人口の90%の国々・地域を網羅した価値観に関する国際調査で、近い将来、あなたの社会で「権威や権力がより尊重される(Greater respect for authority)」ようになるとすると、それをどう思うかを質問した。これに「良いこと」「気にしない」「悪いこと」「わからない」の選択肢から選ぶのだ。
日本は「良い」が1.8%しかなく、「悪い」が80.6%と、調査対象国・地域79のなかで権威に対してとびぬけた拒否反応を見せている。
つまり日本人にとっては、権威や権力というものは、それがどんなものであれすべて「悪」なのだ。もっと言うと、上下関係はダメ、フラットな関係のなかで、自分のことだけを考え、「人生の目的は私が幸せになること、以上、終わり!」で生きている。
これは私がしつこく言っている、日本人のコスモロジー崩壊の一側面である。
折に触れて書いていきたい。