「人生の目的はしあわせ」でいいのか

 九州北部にまた豪雨。テレビに流れた被害の映像を見て心配になり、九州にいる知り合いに連絡して無事を確認した。

荒れ狂う川の映像(サンデーモーニング16日より)

 気候変動対策は待ったなし、のはずだが、戦争、「経済」が先行して、各国の政策における優先順位が下がっている。とりわけノーテンキなのが、わが日本。

 気候変動に危機感を持つ人が、世界的には増えているのだが、日本では逆に減っているという。「気候変動の影響を自分自身が強く受ける」という危機感を持つ人の割合が、他の国は軒並み大きく増えているのに、日本は2015年の34%から26%に激減している。世界の「空気読めない」のが、我々ということだ。それをいいことに日本政府の政策はお寒い限り。

TBS[サンデーモーニング」(16日OA)より

 きのう、東京・小金井市の市民講座「中村哲医師が命がけで私たちに伝えてくれたこと」の2回目で「中村哲医師の生き方に学ぶ」

暑い中、みなさん熱心に聴いてくれ、感謝。

 

最前列で小4(9歳)の少年がメモを取りながら聴いてくれた。

 

 中村哲医師の生き方に対する関心が、彼の死後、さざ波のように広がっているのを感じる。うれしいのは、若い人たちにも感動を与えていること。中村医師を描いた映画『荒野に希望の灯をともす』(日本電波ニュース社)を観たある女子高校生が「信頼できない大人ばかり見てきたけれど、こんなに信頼できる大人がいたんですね」と言ったという。

 私たち大人は「いやあ、中村先生は偉かったなあ」と他人事で済ませていいのか。今回の講座は、私たち一人ひとりも、もう少し“まっとうに”生きて「信頼される」大人になろうじゃないかという趣旨だった。

 講義では家族関係や生い立ち、キリスト教との出会い、思春期の強迫神経症の悩み、九大在学中の米空母エンタープライズ佐世保寄港や九大構内への米偵察機ファントム墜落への抗議活動など、中村さんの思想形成の跡をたどりながら、内村鑑三宮沢賢治、Vフランクルらからの影響を語った。

 内村鑑三『後世への最大遺物』は、中村さんの愛読書で、アフガニスタンのプロジェクトに手伝いにくる日本人ワーカーの必読文献に指定された。内村は、その最大遺物は、名声や財産や権力、才能がなくても、誰でもできる。「勇ましい高尚なる生涯」だという。

 「勇ましい高尚なる生涯」とは中村さんにぴったりだ。中村さんはこう言っている。

「我々がこだわるのは、世界のほんの一隅でよいから、実事業を以て、巨大な虚構に挑
戦する良心の健在を示すことである。万の偽りも一つの真実に敗れ去る。それが次世代
への本当の遺産となることを信じている
たとえば、用水路は多くの日本人が浄財を提供し、現地の人びとと良心を寄せ合って建設されてきた。その「良心の健在」を、「真実」が勝つことを示すことが、後々までの遺産になっていくという。

 内村鑑三も中村さんも、後世の世の中が少しでもよくなるために貢献するという強い決意を持っていた。視線は常に遠い将来にも注がれていたのだ

 ひるがえって私たちはどうだろうか。

 私は今年70歳になったが、最近、同年配の知人たちが「おれたちは逃げ切れるよね」と言うのをよく聞く。

 これは主に老齢年金のことを指している。「逃げ切り世代」はもう流行語で、先日もある雑誌に「50代は逃げ切り世代か」という見出しを見た。

 いま日本で、年金はじめ社会保障などセーフティネットの持続可能性が危うくなるなか、高齢者たちが、「自分たちだけが良い目を見られればいい。後のことは知らないよ」と言いだす。しかも、それを心の中で密かに思うならまだしも、恥かしげもなく人前で公言する時代になったのだ。「孫への遺産相続対策」というのも雑誌の人気ネタだが、これは孫の世代全体ではなく、その人個人の孫のことしか考えていないわけで、エゴイズムには変わりない。

 これは「死んだら終わり」というコスモロジーがベースにあるからで、自分という個人が死んだら、「あとは野となれ山となれ」なのである。わが亡き後に洪水は来たれ

 これじゃ、地球温暖化問題だって、「おれたちは逃げ切れる」のだから、真剣になるわけがない。先の調査結果はこの傾向が日本で近年ますます強まっていることを示す。

 「死んだらおしまい」ならば、「生きてるうちにせいぜい楽しまなくちゃ」というニヒリズム虚無主義になるのは当然だ。

「人生は楽しむためにある」

「幸せになることこそ人生の目的だ」

「私の人生は自分だけのものだから、自分の好きなように生きればいい」

 こうした「哲学」が今の日本を覆っている。

 自分の死後はるか遠くまでを見据えて生きていた中村哲さんは、正反対の哲学を提示していた。

(つづく)