極端に権力を嫌う日本人

 きょう、私の年中行事であるホタル狩りに行ってきた。

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横沢入。ヒグラシ、鳥、カエルなどの鳴き声が聞こえる夕暮れ時

 場所はあきる野市の横沢入(よこさわいり)という里山で、私はもう25年くらい通っている。ただ、こんなに遅い時期にホタルを見に行くのははじめてだ。用事が立て込んだり、行こうと思ったら雨に降られたりで時期を逸してしまった。

 さすがに、ホタル狩りのポイントには誰もいない。7時半、とっぷり日が暮れて、やはりホタルはもう無理かなと思ったころ、ポツ、ポツと小さな光の点が現れた。おお、まだいてくれたか。
 コンビニで買っていった缶チューハイを飲みながら、もの思いにふける。あたりはさまざまなカエルの鳴き声の競演である。

 ホタル狩りは私にとっては初詣よりも大きな「節目」で、今年も行けてよかった。毎回、来年もホタル狩りに来れますようにと祈りながら帰路につく。
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 1カ月前、このブログで、万が一のとき自国のために戦うかとの質問に、日本人は「はい」と答えた人がわずか13.2%と世界でダントツの最下位であることを紹介した。
 

takase.hatenablog.jp


 調査対象77か国のうち、世界全体では「はい」が64.4%で、最高がベトナムの96.4%。平和国家のイメージがある北欧、ノルウェーでも「はい」が87.6%、スウェーデンで80.5%とかなり高く、ほとんどの国で国民の過半数が「戦う」と答えている。

 「世界価値観調査」(WVS)という、世界人口の90%の国々・地域を網羅した価値観に関する国際調査だが、この調査は日本人がいかに特殊な価値観を持っているかを浮き彫りにして、私自身、ちょっとショックを受けている。

 質問項目の一つにこんなのもある。
 近い将来、私たちの生活に起きる可能性のあるさまざまな変化のうち、「権威や権力がより尊重される(Greater respect for authority)」ことをどう思うか。この質問に、「良いこと」「気にしない」「悪いこと」「わからない」の選択肢から選ぶ。

 日本は「良い」が1.8%しかなく、「悪い」が80.6%と、調査対象国・地域79のなかでとびぬけた拒否反応を見せている。

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横棒の黒(左)が「良い」、順に右に「気にしない」、「悪い」、「分からない」。一番下が日本。いかに「異常」かがわかる。なお日本の上が韓国。このグラフは、調査対象79ヵ国の結果をもとに友人の三谷真介さんが作成したもの。

 日本に次いで「良い」が少ない韓国でも「気にしない」を含めれば過半数になる。日本は「気にしない」を入れても18.5%にしかならない。世界で突出している。

 社会におけるauthority(権威・権力)といえば、まずは国家の権威・権力を意味する。
 新型コロナの感染拡大のなか、ロックダウンや違反者への制裁などの強力な措置をとらず(とれず)、国民への自粛のお願いだけをひたすら繰り返す日本は、権威主義とは真逆のように思えるが、それでも日本人のほとんどは、国家の権威・権力がより強くなることを認めたくないのだ。

 私も日本で生まれ育ってきたので、自国のために戦うかの問いも含め、この「空気」を共有していて、よく理解できる。私たちは「権力」というと、もう反射的に「悪」と思ってしまうようだ。

 同じ日本人の私が、大所高所からこの「空気」を批判する資格はないが、かといって「これでいいのだ」と開き直ることもはばかられる。というより、このままじゃまずいだろ、という思いが強い。

 自分が「あたりまえ」と思っていることが、他の文化圏と比較されてはじめて「あたりまえ」ではないことに気づかされる。国際比較から学ばされることは多い。

 この調査についてはこんど出る「髙世仁のニュース・パンフォーカス」No.17で書いてみたので、近くお知らせします。