ウクライナ取材の現場から2

 10月17日(火)は、行政サービスの届きにくい最前線の集落に食料を配る活動を取材した。

 向かったのは反転攻勢の焦点の地域で、砲声が響き、いつ砲弾が落ちるかわからないなか家々を回っていく。この危険な活動をやっているのは大学休学中の20歳の学生マックス(愛称)で、ロシアが侵攻した去年2月24日の2日後、26日に避難民の救援をはじめ、その後、前線に支援を届けるプロジェクトを一人で立ち上げたという。 

マックスは大学でT技術を学んでいたという。最前線で暮らす住民から非常に感謝されていた。

この日配ったのはシリアル、豆の缶詰、食用油の詰め合わせ。ウクライナ経済が低迷しているので資金集めは楽じゃないという。

 村に残っているのはほとんど高齢者だ。なぜもっと安全なところに逃げないんですか?と、日本人なら誰もが疑問に思うことを聞く。「年金生活だから他のところには行けない」、「他の土地に知った人もいないし、どこに行けばいいっていうの」との答え。きのうも少し触れたが、よその土地に行ったら、そこで借りるアパート代など家賃はじめ新たな生活費が必要になる。基本は移住生活は自分で賄わなければならない。福島原発事故の被災者への政府・東電の賠償・補償のようにウクライナ政府が避難者を経済的に補償するわけではないのだ。(福島の補償自体に大きな問題もあるのだが)

砲声がひっきりなしに響くなか、避難できない人が意外に多い。マックスたちの活動は命綱だ。

きょう行った町は前線から3.5kmで、食糧配布中、私たちから100mくらいのところに迫撃砲弾が落ちて、あわてて逃げた。こんな活動を個人で1年半以上続けてることに驚く。

 最前線をめぐ配布は週2回。支援対象は住民と兵士。資金はインスタグラムやティックトックで募っている。マックスに怖くないのかと聞くと「自分の国のことですから」と気負いなく答える。ウクライナが屈しないわけがちょっと見えた一日だった。

オリヒウという前線から20kmの大きな町のシェルター(地下にある住民サービスの拠点)が今年夏にロシア軍の攻撃を受けて多くの人が犠牲になった。地下室まで完全に破壊されている。これはひどい。 オリヒウは今はメディアを入れない地区になっている。

道路のそばに対戦車用地雷が3列設置されていた。これらはウクライナ軍がロシア軍に対する防御としてまいた。まさに最前線。

この道路の左側が地雷原の赤い旗が立っていた。

 実はこのあたりは普段ジャーナリストの立ち入りが禁止されているのだが、マックスたちと行動をともにすることで特別に入ることができた。

つづく