冬は、赤い実の木が目立つ。
近所の駐車場の入り口がやけに赤いなと思って近づくと、真っ赤な実がいっぱいなっていた。この派手な木、たぶんトキワサンザシだ。西アジア原産だそうだ。
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何日か前の朝日川柳に、
値上げは権利 節電は義務
というのがあった。東電の「上から目線」。
東電の西澤社長が「料金値上げは、事業者の権利でもあり義務でもある」と言い、これを米倉経団連会長が「原発を再稼働をしないとコスト高は防げない」と援護射撃。再稼動しないとどんどん高くなるよと、国民を脅迫している。
東電は、社員へのボーナス、福利厚生、各種の手当も存続させながら、こんな「権利」を主張するのだ。
年末、東電に関する疑問が一つ解けた。
3月15日に、東電が事故原発から全面撤退したいと政府に申し入れをしたかどうかである。http://d.hatena.ne.jp/takase22/20110908
友人のテレ朝の記者、吉野実さんが、取材した結果をこう語っている。
「100%ホントです。
14日に3号機が爆発したあと、15日未明、東電の清水社長(当時)が海江田経産相に、作業員全員を退避させたいと申し入れました。海江田氏は激怒して拒否。
そこで清水社長は、枝野官房長官に電話しました。枝野氏は驚いて、福島第一原発の吉田所長にホットラインで連絡。このとき吉田所長は『そんなことはありません。まだ、がんばれます』と答えています。
枝野氏は、東電は、こんな大事なときに、内部で意思統一できていないのかとあきれはてました。
これを知った菅首相は激怒して、東電に自ら乗り込んだのです。
これで政府は東電に決定的な不信感を持ち、以後、海江田氏は東電に常駐することになりました」
東電はいまもこの申し出を否定しているが、吉野さんの取材力を信頼しているので、実際にあったと確信できた。
菅首相は、15日朝、政府と東電で「事故対策統合本部」を発足させることを発表、海江田経産相が副本部長となった。一方、清水社長は、16日から数日間、「体調を崩して」対策本部を離れている。
菅首相の東電乗り込みは、直後、こう報じられた。
《菅首相は15日早朝、東京・内幸町の東電本店に乗り込み、会議に急きょ出席。その場で同社の幹部や社員らに対し、福島第一原発事故への東電の対応について不満をぶつけた。
首相は、「(原発対応は)あなたたちしかいないでしょう。(原発からの)撤退などあり得ない。覚悟を決めてください。撤退したときは東電は100%潰れる」とまくし立てた。首相の叱責する声は、会議室の外まで響き渡った》(読売3月15日)
これについて東京新聞の9月の検証記事は;
《東京電力福島第一原発事故で、本紙は、菅直人前首相が三月十五日未明に東電本店に乗り込んだ際の訓示の記録全文を入手した。現場からの撤退を打診した東電側に「放棄したら、すべての原発、核廃棄物が崩壊する」と警告し、「命を懸けてください」と迫っていた。菅氏は本紙のインタビューで「東京に人がいなくなる」ほどの強い危機感があったと明かしていたが、訓示の内容からもあらためて裏付けられた。 (宮尾幹成)
第一原発では当時、1、3号機が水素爆発を起こし、2号機も空だき状態の危機が続いていた。政府関係者の記録によると、菅氏は「(撤退すれば)チェルノブイリ(原発の事故)の二〜三倍のもの(放射性物質の放出)が十基、二十基と合わさる。日本の国が成立しなくなる」と危機感をあらわにした。
その上で、「命を懸けてください。逃げても逃げ切れない」と、勝俣恒久会長や清水正孝社長(当時)ら東電側に覚悟を要求。「六十歳以上が現地に行けばいい。自分はその覚悟でやる。撤退はあり得ない」と訴えた。
菅氏は海江田万里経済産業相(当時)から「東電が撤退意向を示している」と報告を受け激怒。清水社長を官邸に呼び政府と東電の統合本部設置を通告し直後に東電を訪れた》
あのとき撤退していたら、この記事のとおり、1〜6号機がすべてメルトダウンし、完全に日本は「潰れて」いた。
こんな顛末を「不幸中の幸い」などと表現すべきではないだろうが、菅首相の物議をかもした東電乗り込みで、結果として日本は最悪の事態を免れたことになる。
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大晦日のきょうは、午後から、家族一緒に映画館で『ニューイヤーズ・イブ』を観る。
雑煮用の鶏肉などを買って帰り、年越しソバをすすりながら「紅白」観ながらこのブログを書いている。
来年はどんな年になるのだろう。
何か起きてもさわやかに生きたい。
みなさん、よいお年を!