東京は花曇りの一日だった。自宅から近い野川沿いには桜並木があり、家族連れが花見を楽しんでいた。
春分のきょう、2023年3月21日は、ジャラーリー暦(ペルシャ暦)で1402年1月1日。アフガニスタンやイランではノウルーズという新年のお祝いをする。私たちの暦では、新年の1月1日は太陽の動きと全く関係ない。それに比べると、彼らの暦の方が、太陽暦らしい。この日から昼が夜をしのいでいく。よい一年になりますように。
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イラク戦争20年で現地からのリポートを見ると、戦争が残した負の遺産に心ふたがれる。ISに襲われて今も行方不明のヤジディ教徒たち、また劣化ウラン弾の影響かと不安におびえるがん患者などなど知るのがつらくなる。
劣化ウラン弾は、貫通力を増すために砲弾の芯に使用済みのウランを組み込んだもので、イラクで2000トン使われたという。(IAEAによる)
戦争そのものが悪ではあるが、とくにイラク開戦には理がなさすぎた。
1991年にクウェートに侵攻したイラクを多国籍軍が排除した湾岸戦争や、01年の同時多発テロ後のアフガニスタン侵攻では、国連安保理が侵略やテロの脅威を認定し、決議で武力行使を認めた。しかし、イラク侵攻では安保理決議はなく、アナン国連事務総長は「国連憲章に照らして違法だ」と批判していた。
米英などの「有志連合」の攻撃でフセイン政権は一月ほどで倒れたが、ここから同国民同士が血を流す宗派対立で統一国家の維持もままならない無秩序状態を生じ、さらにはIS(イスラム国)の出現を結果した。今なおアメリカとイランによる国内政治への介入が続き、復興も道半ばだ。
フセイン政権が大量破壊兵器を開発しているとのイラク戦争の〝大義“は事実無根だった。アメリカは大量破壊兵器の開発はなかったとの政府の調査結果を発表。
イギリスはイラ参戦について三つの独立委員会が調査。その一つ、チルコット委員会は16年7月、7年にわたる調査結果として、当時のブレア政権がフセイン大統領の脅威を過剰に表現し、準備不足の英軍部隊を戦地に送り出し、戦後の計画は「まったく不十分だった」という見解を発表。これを受け、ブレア元首相は、「開戦当時の情報分析は、結果的に誤っていた」と認め、「とてつもない悲しみと無念と謝罪の気持ちを表したい」と語った。
https://www.bbc.com/japanese/36732246
米ブラウン大によると、アフガニスタン、イラクの戦争で戦費は退役軍人への治療費などを含め8兆ドルに上るという。米兵7千人以上が死亡し、敵兵や市民も会せて90万人の命が失われた。(朝日新聞21日付)
アフガニスタンとイラクへの侵攻は、超大国アメリカの国力と威信を著しく低下させ、欧米が国際社会でイニシアチブをとることを困難にしている。ロシアのウクライナ侵攻を「違法」だと訴えても、同様に汚れた過去をもつ欧米の対ロ制裁に加わらない国は少なくない。アメリカとEUの世界秩序形成力が大きく減じた中で、日本の構想力が問われるはずなのだが、今の岸田政権には期待できそうにない。その岸田首相、キーウに着いたとのニュースが先ほど流れていた。たぶん、どこかからせっつかれたのだろう。
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放送法に関して書いてきたが、ここで条文をちゃんと読んでみよう。関連部分を以下にあげる。
第一条 この法律は、次に掲げる原則に従って、放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とする。
一 放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすことを保障すること。
二 放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること。
三 放送に携わる者の職責を明らかにすることによって、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること。
第三条 放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。
第四条 放送事業者は、国内放送及び内外放送の放送番組の編集に当たっては、次の各号の定めるところによらなければならない。
一 公安及び善良な風俗を害しないこと。
二 政治的に公平であること。
三 報道は事実をまげないですること。
四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。
2 放送事業者は、テレビジョン放送による国内放送等の放送番組の編集に当たっては、静止し、又は移動する事物の瞬間的影像を視覚障害者に対して説明するための音声その他の音響を聴くことができる放送番組及び音声その他の音響を聴覚障害者に対して説明するための文字又は図形を見ることができる放送番組をできる限り多く設けるようにしなければならない。
第六条 放送事業者は、放送番組の適正を図るため、放送番組審議機関を置くものとする。
まず第一条で、「不偏不党」や「自律」が「表現の自由」を確保するためだと書いてある。素直に解釈すれば「不偏不党」は放送に対する要請ではなく、逆に行政の「偏向」「介入」を許さない趣旨だ。だから、第三条がこれに続いて記されているのだ。
第四条の「政治的に公平であること」などは編集にあたっての放送事業者の努力目標であることは、2の聴覚障害者向けの編集に努めるようにという文言を見ても明らかだろう。これを守らないから「停波」などにつながるという話はまったくの筋違いだ。
第六条があることからも、放送法はあくまでも放送事業者の自律を重視していると解することができる。
実は政治の放送への介入、さらには放送事業者側の忖度は、過去の話ではなく、まさに現在進行中の問題である。
私の周辺でもいろいろな「事件」が起きている。
友人のジャーナリスト、常岡浩介さんもTBSの「ひるおび」に呼ばれて行ったところ、生放送直前に政府批判をしないようにと言われ、断ったら「お帰りください」と言われたので帰ってきたと言っていた。
また統一協会批判で一時テレビに出ずっぱりだったジャーナリストの有田芳生さんは1995年ごろ、警察が統一協会の摘発に意欲を示したが「政治の力」のため実現しなかったことを暴露したら、出演依頼がパッタリ途絶えたという。
11日のTBS「報道特集」のスタジオでは以下のやりとりがあった。
膳場貴子キャスター:
安倍政権に限らず政治の側が介入しようということはこれまでもあった。でも、今回の行政文書から明らかになったのは、これまで政治権力と放送事業者との緊張関係の中で実績を積み上げながら運用してきた法律が、今回は政府内のごく少人数の内輪の議論で解釈を変更しようとしていたということです。国会での議論があったわけでもありません。民主主義という観点からも見過せない問題があると思います。しかもこの件が官邸主導の成功体験としてその後の政治に影響を与えたと聞きますと、ますます見過ごせないと思うんですが、曺さんどうですか。
曺琴袖編集長:
実は今週火曜日、3月7日は森友問題で自殺された赤木俊夫さんの5回目の命日だった。この行政文書の問題が報じられた時私は真っ先に赤木さんのことを考えました。赤木さんという人は公務員としてもあれだけの矜持、公僕としての誇りを持ちながら、圧力を受け、公文書の改ざんに加担してしまったわけです。森友問題の少し前から、メディアの萎縮が進み、今ときに私たちの番組さえも大きなプレッシャーを受けながら報道することが増えてきました。そういう時私は赤木俊夫さんの生きざまを胸に、自分に言い聞かせています。メディアの矜持というのは、国家権力、政府組織の広報をすることではなく、ときに彼らの都合の悪いこと、報じられたくないことも伝え、国民の知る権利に寄与することではないかと思っています。放送法は政治が放送事業者に介入する根拠のためにあるのではなく、私たち、そうしたメディアの矜持をもつ放送事業者を守るためにあるということを忘れないでいただきたいなと思います。
緊張した表情から、大きな危機感を持っていることが伝わってきた。
私たちも志ある放送人を応援しよう。