お知らせです。
高世仁のニュース・パンフォーカスNo.34「アフガニスタン・リポート③中村医師の実践に見る異文化との共生」を公開しました。ご関心あればお読みください。アフガニスタンでなぜタリバンが支持されるのかも理解できると思います。
啓蟄(けいちつ)もそろそろ終わりだ。初候「蟄虫啓戸(すごもりむし、とをひらく)」、次候「桃始笑(もも、はじめてさく)」がすぎ、今は末候「菜虫化蝶(なむしちょうとなる)」だ。
今年は東京の桜開花宣言が14日に出て、20年、21年と並んで、観測史上最も早かったという。来週は満開だそうだ。一昨日、浜松町の「旧芝離宮」で弁当を食べたが、春爛漫だった。
・・・・・・・
放送法の解釈を変更するよう礒崎陽輔首相補佐官が総務省に働きかけた経緯が記された文書の問題。
総務省が行政文書と認め、高市元総務相による「捏造」発言は事実上否定された。
一連の文書に出てくるやり取りには「民法相手に徹底抗戦するか。TBSとテレ朝よね」(高市氏)と局名や「コメンテーター全員が同じ主張の番組(TBSサンデーモーニング)は偏っているのではないか」(礒崎氏)など具体的な番組名が登場し、驚くほど露骨な介入意図が見える。安倍首相が「現在の放送番組にはおかしいものもあり、現状は正すべき」「サンデーモーニングには問題意識を持っている」などと述べたことも記されている。安倍氏は2001年の「NHK番組改変問題」を起こしており、この放送法解釈変更の震源は安倍氏であろう。
解釈変更は「俺と総理が2人で決める話」「首が飛ぶぞ」(礒崎氏)と脅迫してまで押し切る強引さに、安倍内閣の官邸主導の本質が出ている。
《(文書は)「やりとりの中身が長くて詳細。これは総務省側が相当な危機感を持っていた証拠だ」と事務次官を務めた総務省OBは、こう受け止めた。(略)
OBは(略)組織防衛のためにも詳細なメモを残しておく必要があったのだろうと推察する。総務省にとって放送法の政治的公平をめぐる解釈は「政治案件」のため、「普通は遣わない『厳重取扱注意』との注意書きを見ても、当事者の緊張感が伝わってくる」と語る。》(朝日新聞17日朝刊より)
以下は、政権の放送への介入に関する2014年以降の動き(「赤旗日曜版」(19日付)より)。
2016年当時、急激に進んだ放送法の解釈変更に危機感をもった是枝裕和監督が「放送と公権力の関係についての私見」を書いた。以下、是枝さんのツイート。
https://t.co/zRkH0VtzJD
— 是枝裕和 (@hkoreeda) 2023年3月17日
2016年頃僕はBPOの委員でしたが、政府、自民党の放送法4条に対するスタンスの変化を感じて文章をまとめました。この変化が官邸主導なのか総務大臣か自民党情報戦略室か、当時はわからなかった。今回の総務省の文書を契機に放送と政治の距離についての議論を期待します。
そもそも放送法とは、日本がまだ占領下だった1950年の法律で、ラジオが戦争に協力する道具になっていた過去の反省から、政治が番組の内容に干渉しないようにする趣旨で作られた。
第1条には、法律の目的「放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ること」を掲げる。権力に操られず独立して運営する「自律の保障」に基づいて、表現の自由を確保するように定めているのだが、ここに出てくる放送の「不偏不党」について、是枝さんが触れた個所の一部を紹介する。
《時は1952年5月23日、第13回国会 電気通信委員会。
答弁するのは電気通信大臣、ご存知、佐藤栄作です。安倍首相の大叔父にあたる人ですね。
山田はこう、佐藤を問いただします。
『電波行政というものは(略)飽くまで不偏不党でなければいけない。而、公平でなくちゃいけない。電波というこれは国民の全体の共有物なんですから。(略)なぜこういう本質を持っておるものを郵政省の一局に入れるのか』。
木に竹を接ぐように、水に油を一緒にしたような変更は、「常識では考えられない」と。
佐藤はこう答えています。
『不偏不党という点になりますると、只今政党政治ではありますが、行政の部門につきましては不偏不党であることは、これは当然であります。
又、その意味においては、これは何ら国民から疑惑を受けてないのです。(略)』
ここで佐藤さんは「不偏不党」という言葉を行政に向かって使っています。
これはとても大事です。覚えておいて下さい。
この言葉のベクトルが、安倍首相が放送局に対して使っている「不偏不党の放送をしてもらいたいのは当然だ」という発言と比べてみると、180度逆であることは、恐らくこの部分を読んだだけでも明らかだと思うんです。
さて、どちらが放送法の趣旨に合致していますか?
両立はしない。真逆です。
もちろん正しいのは佐藤さんです。
さすがに法律が出来てまだ2年。この法律がどのような目的で作られたものか、まだその主趣くらいは把握出来ていた。当時の政府にこの約束を守るつもりがあったのかどうかはわかりませんが。
時代が変わっても、放送法の1条や3条が変わっていない以上、安倍首相のような解釈の変更が正当化される根拠は全くないと僕は考えますが、いかがですか。》
つまり、「不偏不党」とは、政治の放送に対する扱いについて言っていることであって、放送に政治が介入することこそ、この原則を踏みにじるものなのだ。
是枝さんは、超多忙のなか、大変な労力を割いた調査を行ってこの文章を書いており、読みながら危機感を共有した。
個別番組であれ、番組全体であれ、政府が政治的公平を判断する立場にないことも詳しく論じている。「政治的公平」とは放送事業者の倫理規定であって、これを根拠に政府が「指導」したりできないし、いわんや「停波」などありえないのだ。
関心ある方は、この是枝さんの論文をぜひお読み下さい。
ついでに19日付「赤旗日曜版」のスクープ、「疑惑の高市大臣 新たにウソ発覚」を紹介する。
統一協会との接点について、2001年の月刊誌(『ビューポイント』)での対談1件のみと説明していた高市氏だが、「赤旗」調べで、初当選後の1994年から01年にかけて少なくとも5回、統一協会系日刊紙「世界日報」に登場していたという。
90年代は、統一協会の「霊感商法」や集団結婚式がメディアで大きく報じられ、訴訟も多数起こされていた。国会でも95年11~12月にはほぼ連日、参院で宗教法人等に関する特別委員会が開かれ、統一協会の問題が取り上げられていたという。
高市氏は「世界日報」の正体を知ったうえで関係を持っていたと考えるのが自然だ。もし知らなかったら、政治家として常識知らずということになる。
テレビはWBCで野球のネタ一色だが、放送法の解釈変更と放送事業者への圧力の問題をしっかり掘り下げないと、自分の首を絞めることになるんだよ。
放送人としての矜持を。