なぜ政府は2人の拉致被害者を見捨てるのか?(8)

 きのうは、結果として大失敗に終わった安倍氏の対プーチンすり寄り外交(憲法改正で領土割譲の禁止条項まで入れられた)を揶揄したが、(残念ながら)国益優先で動かざるを得ない今の世界では、国際社会とは一線を画す独自外交自体はやるべきだと思っている。

 例えばの話、もし、首相が、4島返還などより拉致被害者救済がはるかに大事で喫緊の国益とみなし、自らの政治生命をかけると決意するならば、である。今のようなアメリカへの依存・追随はやめ、「悪いけど核・ミサイルは置いといて、日本は拉致優先でやらせてもらいます」と、制裁一辺倒路線から転換して平壌詣でをする・・・なんていうことも選択肢としてありうると思う。となれば、金正恩の誕生日に祝福の電話をかけて、世界の顰蹙をかったり、それこそ泥まみれになる覚悟で。(なお、この場合でも、制裁は交渉の手段として利用すべきだと思う)

 大前提として本人の「胆力」、先を見据えた「戦略」、知恵ある「側近」、綿密な「準備」が必要で、今の日本のリーダーにはすべてが欠けているから成功の見込みはないが。安倍氏の対ロ外交が失敗したように。
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 きのうは「救う会」(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会)の異様な内紛の顛末を紹介したが、「不満分子」一掃の粛清を指示した当の佐藤勝巳会長自身、このあと会を追われることになる

 クーデターもどきの暗闘で、あらたな「救う会」会長に就いたのは、佐藤勝巳氏に「現代コリア」時代から付き従っていた西岡力。子飼いの腹心に裏切られるというドラマのような展開である。

 佐藤勝巳氏は晩年、精神が錯乱したのかと思われる、全く根拠のない誹謗だらけの回想記を出版。これにはさすがに温厚な横田滋さんが怒って書面で抗議している。

http://news.onekoreanews.net/wys2/file_attach/2014/07/15/1405423018-42.pdf


 晩節を汚すとはこういうことをいうのだな、と感慨深い。

 さて、「救う会」のHPを見ていくと、「外交不要論」など世間の常識からは理解しがたい主張、発言が出てくるが、その一つが横田滋さん早紀江さん夫妻のウンギョンさんとの面会への反対あるいは無視、冷たい態度である。

 小泉訪朝の直後の2002年10月下旬、ウンギョンさんがめぐみさんの娘である、つまり横田夫妻の孫であることがDNA鑑定で確認された

2002年10月、15歳だったウンギョンさん(当時はヘギョンとされていた)朝日新聞より


 夫妻は会見で面会への期待を述べた。

《滋さんは記者会見し「99.999%、親子関係が存在するという鑑定結果が出た。これからは、めぐみの娘と呼ばせていただきます」と述べ、「ディズニーランドや京都、めぐみが小さいころに住んでいた品川や広島にも連れて行ってあげたい」と期待を膨らませた。(略)

 早紀江さんも「めぐみを捜して25年、いまだ姿は見えないが、同じ年代の元気そうな女の子がすくすく育っているということに、何ともいえない感動を覚えています」と述べ、「音楽が好きだと聞いているので、お母さんが好きだった曲を聞かせてあげたい」と話した。》
朝日新聞20年6月28日記事「「会いたい」提案は反対された 滋さんが抱く孫への思い」より)

www.asahi.com

 

ウンギョンさんが孫と確定したときの会見(朝日新聞より)

 

 その面会にストップをかけたのが「救う会」である。


 面会を阻止する理由は、夫妻がウンギョンさんに逢えば、「お母さん(めぐみさん)は亡くなりました」と言われて死亡を信じてしまい、拉致問題が「おしまい」になってしまうから。

 「救う会」と意見をともにする(ともにせざるをえない)「家族会」が強く反対するなか、夫妻は面会を断念する。(当時は「家族会」の「青年将校」と言われた蓮池透さんなどが激しい反対論をぶった)

 詳細ははしょるが、夫妻は面会をずっと我慢してきたけれど、孫と判明して11年もたった2013年秋、ついに行動にでる。安倍首相と岸田外相に「孫と逢いたい」と手紙を書いたのだ。むなしく時間だけが経ち、今を逃せばもう二度と会えないかもしれない。切羽詰まっての直訴だった。もちろん「救う会」「家族会」には内緒である。

 日本政府はこれに応え、翌14年3月、モンゴルでついにウンギョンさん一家との面会がかなったことはご承知のとおりだ。

 夫妻は、ウンギョンさんとその夫、そして夫妻のひ孫にあたるウンギョンさんの娘との水入らずの交流ができた。面会から戻って会見に臨む夫妻の表情を見た知人らは、あんなにうれしそうな笑顔を見たことがないと喜んだ。

この笑顔に多くの人が感動した

 では、「救う会」が懸念したように、孫との面会で拉致問題は「おしまい」になったのか?いや、面会の後も夫妻は拉致問題の解決を訴え、老骨に鞭打って各地での講演や会見を続けたのだった。

 しかも、モンゴルでの面会をセッティングするために日朝の外交担当者が接触を繰り返し、それが伏線となって面会の2か月後の5月には「ストックホルム合意」にいたる

 つまり一見拉致問題の解決には直結しない、夫妻と孫との面会という人道上の配慮が、外交的進展をもたらした。「人道」が外交を動かしたのである。

 横田夫妻のウンギョンさんとの面会と「ストックホルム合意」は、安倍内閣の成果として評価されなければならない。(ただ、安倍内閣はこの後、外交交渉路線から逃走してしまうのだが)

 この横田夫妻とウンギョンさん一家との面会について、「救う会」が示した反応は、驚くほど冷たいものだった。面会には反対だったうえ、カヤの外に置かれて腹の中は煮えくり返るようだったのではないか。

面会のあった2014年3月の「救う会」のHP

 

救う会全国協議会ニュース★☆(2014.03.16)
■横田さんご夫妻とウンギョンさんの面会に関する救う会会長コメント
西岡力
 横田滋さん、早紀江さんご夫妻がめぐみさんの娘ウンギョンさんらと面会して
いたことが明らかになった。横田早紀江さんは本日、午前に救う会会長西岡力
面会の様子について説明し、次のように語った。

「私たちは初めからすべての被害者救出のことしか考えておりません。今回の面
会もそのために行きました。そのことを北朝鮮側に言い続けています。面会後も
めぐみの生存への確信はまったく揺らいでいません。今後も全員救出のため戦い
続けます」
 それに対して西岡は「お孫さんにお会いになれたのはうれしくことです。ただ、
未だにめぐみさんを助け出せずにいるため、めぐみさんとウンギョンさんをいっ
しょに帰国させることができないのは残念です。今後も横田さんご夫妻をはじめ
とする家族会と力を合わせ、すべての被害者救出のためにともに戦います」と答
えた。(以上ママ)

 面会をともに喜ぶ雰囲気はなく、早紀江さんを呼び出して取り調べをしているようである。早紀江さんにはどんなにうれしかったかを語らせるのではなく、「戦い続けます」とまるで「救う会」への忠誠を誓わせるかのような発言をさせている。そして、「北朝鮮が人道的なふり」をすることの学習を呼び掛けている。

 やはり、孫との面会は気に入らないのだ。「救う会」に内緒で話を進めたことは言語道断。「家族会」は「救う会」の許可なく行動してはならないのだ。

 孫と判明してから11年もの長きにわたって面会をストップさせておいたことへの反省もない。夫妻がウンギョンさんと会えずに亡くなることがあっても構わないと思っていたのか。

 さて、面会から2年以上がたった16年6月、ある事件が起きた。

 参院議員の有田芳生さんが、横田夫妻のウンギョンさんとの面会時の写真を『週刊文春』に掲載し、夫妻から聞いた面会のエピソードを書いた。

 有田さんと夫妻が綿密に打ち合わせての記事と写真の掲載だった。これが「救う会」には内緒だったことが「救う会」の逆鱗に触れた。

 

 まず横田夫妻は発売前日「声明」(左)を発表した。

 この手書きの文面には写真掲載への「抗議」はない。「一昨年3月にモンゴル、ウランバートルで孫娘のウンギョン一家と対面した時のことは、私たちにとっては、とても嬉しい時間でしたが、もう2年以上の歳月が流れました。
その時の喜びを、ご支援下さった方々にも知って頂きたいと思っておりましたところ、詳細は分かりませんがウンギョン家族との面会の喜びの写真を公表する事に孫も同意してくれた様です。(略)」
と写真掲載をむしろ喜んでいる。

最初の声明。ここには抗議のニュアンスはまったくない

 ところが、である。
 次に別の声明が出た。

皆様へ
 この度の週刊文春に掲載の孫たちとの写真は、横田家から提出してお願いをし
たものではありません。
 有田氏が持参なさり、「掲載する写真はこれです」と出されたものです。
 私達は、孫との対面時、孫から写真を外に出さないでほしいと約束していまし
たので、横田家からは、何処へも、一枚も出しておりませんし、今後も出しませ
んので、よろしく御理解頂きます様お願い致します。
 全て、掲載や、文章、等全て、私共から依頼した事でなく、有田氏から寄せら
れた事をご理解頂きます様お願い致します。

6月8日 横田 滋 早紀江

 さらに2日後、また新たな「コメント」が横田夫妻から出された。

 この度の「週刊文春」に掲載されました孫ウンギョン達との対面の写真は、横
田家から提出してお願いしたものではありません。
 有田先生ご自身が持参なさり、「掲載する写真はこれです」と出されたもので
す。
 私達は、孫との対面時、孫から「出さないでほしい」と約束していましたので、
横田家からは何処へも、一枚も出しておりません。
 有田先生のお話では、あちらの方は了解していますとの事でしたので、当時か
ら、悲劇の中にもこの様な嬉しい日もある事を支援して下さった方々に公表した
いと思っていましたので、「写真を掲載して頂く事は異存ありません」とお伝え
しました。
 それは被害者家族の誰にも孫があり、この様に当り前の喜びを早く味わって頂
きたい、それには、この掲載によって国民の皆様に再度拉致問題の深刻さを思い
起こして頂きたい、孫と会えて良かったで終わる問題でなく、多くの罪無く囚わ
れている子供達を一刻も早く祖国に全員とり戻す事を真剣に政府にお願いし戦っ
て頂きたいと願うのみです。
 昨年9月の会見などでも繰り返しお話ししましたが、もう一度ここで誤解なき
ようにお伝えしたいことがあります。
 北朝鮮からウンギョンさんを日本に呼ぶという話が繰り返し出ていますが、私
たちにとってはびっくりするだけです。もしそう言われたとしても、そういう事
は致しません。
 私達が立ち上がったのは、子供達が国家犯罪で連れて行かれ、大事な子供達の
命が今なおどこにも見えず、偽遺骨が送られてきたり、いいかげんなカルテをも
らったりしたことを受けて、多くの国民の方に助けて頂いて、めぐみ達は生きて
いる、すべての被害者を救い出したいと思っているからです。
 これは、繰り返し申し上げていることであり、今回、孫の写真を独自ルートで
公開された有田先生と私達の考えは違っているという事をはっきりさせて頂きた
いと思います。

2016年6月10日
横田滋、早紀江

 後半の2回の声明(コメント)では「写真掲載は有田さんが勝手にやったことで、自分たちは関知していない」と事実と異なることを言わされている。夫妻名のコメントが立て続けに出され、有田さんへの抗議の度をより強めたものとなっていった。

 最後のコメントでは「有田先生」という夫妻が使ったことのない言葉が出てくる。誰かが作文して夫妻の名で出させたものだと推測する。

 「これじゃダメ、もっと強く抗議しましょう」。そう迫って夫妻に次の抗議声明を出させる・・・想像するだにおぞましい。歳老いた横田夫妻にこんなことを強いるとは「むごい」としか言いようがない。最後のコメントでは、今後のウンギョンさんとの再会も断りますと夫妻に言わせている。

 「救う会」のメンバーからは、有田芳生北朝鮮の回し者、スパイなどの悪罵が寄せられるようになる。これ以降、拉致被害者家族たちは有田さんに一切接触できなくなった。

 この異様な事態に私は黙っていられなくなり、有田さんにもことわらず独断で、本ブログでここにいたる顛末を連載で書いた。

takase.hatenablog.jp

 

 横田夫妻は、めぐみさんとの家族写真展を全国で開いていることでもわかるように、家族との楽しい写真を多くの人に見てもらって、拉致問題を考えてほしいという立場である。「救う会」の「統制」がなければ、ウンギョンさん一家との面会写真もよろこんで公開するはずだ。

 拉致問題の「仕切り」は「救う会」だけがやる、とくに「家族会」といううちのテリトリーに踏み込んでくるやつは承知しないぞ、とまるでやくざの論理だが、年老いた被害者家族に3回も声明を出させるとは、その脅迫のすさまじさたるや尋常なものではないことが分かる。

 当時の横田夫妻への驚くべき脅迫の実態は、今回は記さないが、いずれ全容が明かされることになろう。

 こうして「救う会」は「家族会」を完全にコントロール下におき、その「虎の威」を自由に利用するにいたっている。
(つづく)