レトロな人形町を楽しむ

takase222014-05-17

きょうもよく晴れて暑くなった。
朝から国会図書館で調べものをして食堂で昼食。午後2時半、「キトラ古墳壁画」展を観に上野の国立博物館へ。
近づくと門の前に人だかりが・・・。掲示板に、入場規制で「館内に入るまでに100分、壁画までにさらに30分かかります」と書いてある。あきらめよう。栄西建仁寺の方もかなり待たされるという。日本人はこんなに歴史が好きだったのか。
博物館前の大噴水そばの広場で地方の物産展をやっていたので、新潟のワンカップ酒を求め、いい気持ちで一休み。
そこに、上野で仕事をしていたかみさんから連絡。仕事が終わったので美術館に付き合えという。で、行ったところが水天宮近くの「ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション」。http://www.yamasa.com/musee/
かみさんは、この銅版画家が好きなのだ。
浜口陽三は、ヤマサ醤油の先々代の社長の息子で、家業を離れて芸術家になったそうだ。一時すたれかけたメゾチントという技法の復興者だそうで、作品は黒を基調にした独特の静かな雰囲気だ。

せっかく来たからと、日本橋人形町界隈を散歩することに。
ここには歴史あるレトロなお店がとても多い。人形町とは、江戸のむかし、歌舞伎小屋の中村座と市川座があり、人形浄瑠璃などの人形つかいが多く住んだことに由来するという。元の吉原が隣にあり、このあたり一帯は随一の盛り場だったそうだ。
人形町には老舗のお店が多い。
まず、「重盛」で人形焼を購入。ついで和菓子の「壽堂」に入ると、時間が数十年遡ったような雰囲気。ほうじ茶を出され、名物の黄金芋を買ってその場で味わった。
創業250年という親子丼の「玉ひで」、大正8年創業の喫茶店「快生軒」、洋食の「芳味亭」など、入ってみたくないるお店ばかり。
明治座を見物し、水天宮にお参りしてから、墨田川そばの浜町公園に行く。提灯でかざった屋形船が川を上ってくる。堤防には散歩やジョギングする人の姿が。風が気持ち良い。
川を見下ろすベンチでは、カップルがワインを飲みながらデートしている。

いい町だな。娘にも見せてやりたいと思い、来ないかと誘うと、仕事を終えて暗くなってからやってきた。
三人で商店街をぶらぶらしながら、和菓子やタイ焼き、甘酒、焼き鳥などをつまんで下町情緒を楽しんだ。娘はここに住みたいと言いだし、不動産屋の前で物件をチェックしていた。
思いがけず、とても楽しい時間を過ごせた土曜の午後だった。
・・・・・
「宇出津事件」を(つづく)と書きっぱなしでほっておいた。(いつものことだが)
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20140502

きょうはその続き。
警視庁のHPでは、
《警視庁と石川県警察では、本件の背後関係を解明するため合同で捜査を進めてきましたが、この度、当時北朝鮮から貿易代表団の一員として来日していた北朝鮮の幹部工作員金世鎬が拐取を指示したものと特定し、逮捕状の発付を得て国際手配の手続を行うとともに、警察庁を通じて、北朝鮮に対し身柄の引き渡しを要求しています》http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/jiken/rati/ratigian.htm#top
金世鎬(キムセホ)とは、李に拉致の指示を出した「吉田」という男だとされている。国際手配したのは小泉訪朝の翌年で、事件から26年も経っていた。
事件当時、もっと何かできなかったのかという声は多い。

警察庁のHPには、《当該在日朝鮮人(李のこと)は、石川県警察によって検挙されました》と書かれてあるが(http://www.npa.go.jp/keibi/gaiji1/abd_j/ushitsu.html)しかし、李は起訴猶予となり、いまも関東地方で健在と聞いている。
このHPには《警察では、乱数表や暗号表など、スパイ活動を裏付ける資料を押収したほか、同人から、拉致の経緯、動機、状況などに関する具体的で詳細な供述を得ており、これらに基づき、必要な捜査を行った結果、北朝鮮による拉致容疑事案と判断しています》とも書かれてある。
これだけの材料があっても、久米裕さん本人の「出国時の意思」が確認できなければ立件できないのか、と首をかしげてしまう。

この事件が立件されていれば、あるいは報道されて社会に拉致が知られれば、北朝鮮もより慎重になって、拉致被害がもっと少なくなっただろうという見方がある。私もそう思う。
宇出津事件は1977年9月19日。
ひょっとしたら、2か月後の11月15日の横田めぐみさん拉致はなかったかもしれない。
(つづく)