大城立裕「辺野古遠望」より

 編集作業が一区切りついたので、きのう夕方、映画『名付けようのない踊り』を観に行った。

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田中泯さん。「田中泯の踊り」などない、ただ「踊り」があるだけだ、という

 2017年8月から19年11月まで、ポルトガル、パリ、東京、福島、広島、愛媛などを巡りながら撮影された、田中泯の「場踊り」と呼ばれる即興のダンスを撮影した映画だ。この間、田中泯は72歳から74歳になり、3か国、33か所で踊りを披露したという。

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 田中泯の踊りをじっくり見たのは初めてで、おもしろかった。上映後、1時間半近く観客との質疑があり、踊っている最中の内面の話がとくに興味深かった。「トランス」状態にあると見えるかもしれないが、実際は、頭が爆発しそうになるほど様々なことを考えながら踊っているのだという。
 踊りと言語の関係、世界各地の「トランス」踊りの手法など、哲学や文化人類学の深い素養もうかがわせ、この人、タダモノではない。もっと彼を知りたくなった。その前に、自分も踊りたくなった。
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 ウクライナをめぐる情勢はますます緊迫度を増している。

 バイデン大統領ら米国首脳は、プーチンが「ウクライナ侵攻を決断した」と断定。これは諜報活動で得られた機密情報を公開するもので、きわめて異例だ。

 一方、ロシア軍は、ベラルーシとの合同演習が終わってもそのまま留まると発表。親ロシア派が統治するウクライナ東部では、ウクライナ側からの武力攻撃があるとして、住民70万人をロシアに避難させる措置を始めた。ロシアが、「ロシア人保護」を理由に軍を動かす口実はそろいつつある。

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TBSサンデーモーニングより

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安っぽい演出に見えるTBS

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TBSより

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さらに輸血用の血清なども国境に運ばれているという(TBS)

 ロシアは侵攻する気はなく、欧米からの譲歩を引き出すために、ぎりぎりまで緊張を高めているだけだという解釈もあるが、緊張が高まれば戦争につながりかねない。

 実際、ウクライナ東部ではウクライナ軍と親ロシア派部隊との武力衝突が急増しているという。小さな衝突が引き金になって戦闘が拡大していかないか、心配だ。

 また、この対峙状態が長期化する可能性もあり、そうなれば新たな「冷戦」がはじまって、世界の構図も変わってくるだろう。
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 先月23日に投開票された名護市の市長選挙で、辺野古新基地建設に反対する岸本洋平氏が敗れ、建設の是非に踏み込まない現職の渡具知武豊氏が勝った。 

 この理由を知りたいと思っていた。沖縄滞在中に読んだ『琉球新報』に、沖縄出身のある評論家が、この選挙結果を本土のメディアは名護市民の「あきらめ」だと解説しているが、そうではなく「我慢」なのだと語っていた。そしてそれは、大城立裕の「辺野古遠望」を読めばわかるとも。

 大城立裕氏は、沖縄初の芥川賞作家で、「辺野古遠望」は2018年8月刊の『あなた』(新潮社)に収められている。大城氏は20年10月に亡くなるから、これが最後の単行本かもしれない。

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新潮社2018年刊『あなた』

 『あなた』は「辺野古遠望」をふくめ6つの短編から成る。大城氏や親族の名前もそのままで、すべて実話のようだ。読み始めると、沖縄の人と風土が匂い立ってくるような、淡々とした文章に惹かれて一気に読了した。

 「辺野古遠望」は、昔、兄と、沖縄本島東海岸を北の大宜味村に向けてドライブして道に迷い、あたりに人家の見えない田舎でガソリンが切れて一晩車の中で過ごしたことがあって、その「文化果つるところ」が辺野古だったと書きだされる。最後がとても印象的だったので、紹介したい。

 普天間基地を県外へ移すか辺野古へ移すかで県と国が対立。翁長(おなが)知事が、前の知事の辺野古の埋め立て許可を取り消した。国がその取り消しの撤回を求めて裁判に訴えると、高裁で県が敗訴。判決理由は「県外に移し先が見つからない以上」という、政府の言いなりだった。県が上告しても最高裁で棄却された・・

との説明があった後、こう続く。

 

 歴史がこんな形で進むとは、私にも意外であった。

 かつてー日本復帰の少し前のことであったが、こんなことを書いた。

琉球の日本への同化の機会が、歴史上三回あったが、いずれも挫折した。第一の機会は十七世紀の薩摩の侵入。三百年の植民地支配のうちに文化の面でかなりの同化があった。ただ、政治支配の過酷さが真の同化を許さなかった。第二の機会は琉球処分とよばれる日本への併合で、その後に生じたのは差別とそれへの反応としての劣等感、僻みであった。第三の機会は沖縄の戦争で、学徒隊の悲痛な努力に見られるように、同化をめざして命がけでたたかったが、講和条約では同化を拒否されるように裏切られた。第四の機会が祖国復帰であるが、それが成功するかどうかは、これからの宿題である・・・」

 祖国復帰―施政権返還の運動が燃えていたころ、私は右の宿題をかかげて、日本復帰にはいろいろのデメリットもあるかもしれないが、と治外法権の撤廃だけに復帰の意義を賭けた。ところが今日なお治外法権は揺るぎがない。それと同趣旨のように、辺野古の押し付けがある。

 百四十三年前に琉球処分官の辞令を受けての、松田道之の涙ぐましいほどの努力を、私はいまの官房長官などの態度にかさねて思うことがある。日本の廃藩置県の直後、琉球の併合を遂げるべく五年間に三回来て、そのうち明治八年のときなど二て、ほとんど毎日のようにせっせと、王府の為政者たちに手紙を書いた。植民地獲得のエネルギーとはかくなるものかと、言うところだ。国内軍事植民地をつくるための琉球処分であったと見れば、その伝統が今に生きていて、官房長官辺野古問題に触れるたびに、松田道之を真似るように「辺野古移設しかない」と粛々と述べているに過ぎないのだ。自民党の前の幹事長は、「琉球処分と言われようが、どう言われようが」と、堂々と開きなおって言っていた。

 彼らは沖縄を処分して構わない異民族としか見ていない。

 彼らの動機の基本は日米安保条約におけるアメリカの権益にたいする遠慮であって、その傘の下でみずからの安全を享受している。これこそ恥も外聞もかなぐり捨てて、アメリカに遠慮しているということだ。琉球処分は植民地獲得のためであったが、こんどは「植民地」の何だと言えばよいのだろう。

 それとまったく同じ姿勢で、裁判所が判決をくだした。

「これでは司法の責任放棄である。他の府県に移設をどう打診したかの証明を裁判所が求めるべきではないか」翁長知事が唖然とした、と報じられているが、尤もである。

 どうせ沖縄は日本ではない、とヤマトの国民の多くが考えていると見られる体験が私にもある。

 四十六年前の祖国復帰の直後のことであったが、木曽に遊んで馬籠の民宿に泊まった。宿屋の人のよさそうな女将さんに沖縄と名乗ったら、「日本語が話せるのかね」と言われた。新聞を読んでいたら、「新聞が読めるのかね」ときた。善意の異邦人扱いである。

 悪意の例を最近見た。ある雑誌が「沖縄の嘘」という特集をしていて、沖縄の主張を皮肉る体の記事だけを、数人の物書きに書かせていた。県外移設を好まない他府県人に歓迎されそうな記事である。沖縄の犠牲を当然とみなしている、みずからの不人情と責任感欠如に頬かむりしている。

 いや、ヤマトのほとんど全国民がその考えに与していると言ってよい。

(つづく)