大城立裕「辺野古遠望」より2

 2をニャンと呼んで、いつごろから始まったのか、今日は「猫の日」だそうで、西暦では2022年2月22日と2が六つも並ぶ。

 きょうは私の誕生日でもある。若いころ(大学時代)、「にゃんこ先生」と呼ばれていたのだが、それは私がペンネームに使っていたからで、猫の日とは関係ない。

「あめでとう」とのメッセージをいただくが、69歳ってマジかよ、と信じられない。誕生日がくると、残りの日々が少なくなっていくのを意識して、もっと「大事に」生きようと思うのだが、それってどうしたらいいのか?

 考えながら生きるってことじゃないかな、たぶん。
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 番組の編集が最終盤になってくると、かつてはすぐに徹夜になったものだが、今は「働き方改革」とやらで、そこは改善されているようだ。それでもきのうは作業が大詰めで、終電がなくなり、タクシーで家に帰ったのが今朝の3時。

 誕生日が朝帰りとは、これからの一年、おもしろくなりそうだ。

 編集スタジオで椅子に掛けてばかりいて体がなまっているので、昼前、自転車で花見にでかけた。自転車で40分、京王百草園(もぐさえん)は早咲きの梅が満開だ。

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天気がいいと富士山も見えるそうだが、今日は少しガスっていた。スカイツリーはなんとか見えたが

 良い一年になりますように。
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 前回の続きで、大城立裕さんの「辺野古遠望」の終わりの部分。

 

 私が年来考えてきたのが、生きているうちに沖縄の問題は片付くだろうか、ということである。思いついたときにはいくらか期待感もあったが、このごろではほとんど絶望している。

 わが家の庭に福木(ふくぎ)が三本植わっている。六十年前に、旧木造住宅を建てたとき、まだ元気だった父が田舎から実をもってきて植えたものだ。父には生まれ育った家の大きな福木の誇りがあったに違いない。あれは何百年ものであったか知らないが、少年時代の私には抱けなかった。成長の遅い木で、いまある木は大人が丸抱えできるほどである。その黒々とした葉の厚みにふさわしい生命力に守られてきたという感じがいまあって、父は冥途で納得しているに違いないが、私が死んだ後に、残る家族とともに、そのまま沖縄の未来を見守ってくれることになるのか。

 福木だけではない。ほかにもクロトン、黒木、千年木など、さまざまな植栽があって、台風にも結構耐えているが、これらも私より長生きするのだろうと思う。

 辺野古の海がいつまで健康な青さをたたえているであろうか。あの道に迷った森もそのうち滑走路に吞み込まれるのだろうか、など将来を見届けることなく、私は人生を終えることになろうが、これらの植栽が伸びながら辺野古の運命を聞くのだろう。その上で、沖縄のもろもろの未来を聞くことにもなるのだろう。悔しいといえば悔しいが、どうせ人類は誕生いらい、ひとりとして生涯のうちに目的を達成した人はいまいと思えば、これも人並みのことかと思う。

 それにしても、「祖国復帰」に燃えていたころは、まだ希望らしいものがあったな・・・・と書きながら、思い出したことに、いや、あのころでもあまり歴史に信頼できないという感じは持っていたなと思う。

―これだけを書いた上で、今日は眠るか。明日の朝を迎えられるかどうか分からないが・・・・・

 

 沖縄の人々が、福木のようにじっと雨風を耐えて生き「もろもろの未来を聞く」さまを想像する。余韻の残る文章だ。