このブログで人生が変わったって?!

 ふとん干す太陽系の子どもたち (東京都 尾根沢利男)

 冬の日のお日さまの恵みをスケール大きく描いて気持ちがいい。「朝日川柳」4日の選より。
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 このかん、「行事」が立て込んでせわしかった。おもしろい出会いもあった。

 12月3日、2月開催の日本初のインディーズウェブ映画祭「Japan Web Fest」の「スピンオフイベント」に招かれた。映画祭の2月にはコロナ禍のため、すべてオンラインで行われたが、今回はリアルで現地・オンラインでのトークセッションや交流会が開かれた。場所は代官山のシアターギルド。

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 これは私がドキュメンタリー部門の審査をやったご縁だ。2月の私のトークセッションも今回、再配信された。

takase.hatenablog.jp


 以下はスピンオフイベントの案内文―

 《2019年の国内映画興行収入は、コロナ禍の影響を受けて 261,180百万円でしたが、2020年は143,285百万円へと45.2%減少しました(一般社団法人日本映画製作者連盟調べ) 。また、芸能・映像業界で働くスタッフやキャストへ行った実態調査では、コロナ禍の影響で81.7%の人が収入がゼロもしくは減少したと回答し、56.2%の人が副業または転職について考えていると回答しています(NPO 法人映画業界で働く女性を守る会調べ 調査期間2020/4/19~4/30 調査人数1,715人)。

 そして、依然として映画業界は非常に厳しい状況が続いております。映画業界全体がこの様な状況ですので、インディーズ分野への影響は甚大です。

 JWF映画祭が対象としているインディペンデントフィルムメイカーは自分達で企画を立ち上げ、資金集めも自ら行いその資金で映画を作成し、上映先や販売先の確保、宣伝費用も全て自己のルートで捻出しています。

 そうなると、人の心を打つような作品であっても劇場公開や配給まで行き着かない作品が数多くあるのが現状です。

 そこで、新たな才能を求めるプロデューサーや、ウェブ作品の活用を模索している企業などとマッチングを行うウェブ映画祭を日本でも根付かせることで、インディーズ分野が活性化する。こういった場所を提供したいと考えるようになりました。そして世界のクリエイターに対しても”日本も市場となる可能性”を広げていきます。

 そして、緊急事態宣言も解除された今、解決策の1つとして「第1回Japan Web Fest映画祭(JWF映画祭)に応募された中で最優秀作品3作品の上映・ゲスト講演・対面での交流会」を、対面とオンラインと合わせて開催いたします
(2021年2月開催の第1回JWF映画祭では募集期間2ヶ月にも関わらず世界35ヵ国・計201作品の応募)。

 対面イベントの会場では、メジャー作品や第一線で活躍しているプロデューサー、ラインプロデューサー、監督や撮影監督などをゲストに迎え、業界トークセッションを行います。

 オンラインでは、最優秀作品3作品の監督が、それぞれロスアンゼルス、香港、オーストラリアから参加し、観客と質疑応答や、各国の現在の映画製作事情を共有します。
また、上記に加えて、第1回JWF映画祭にて限定配信され、好評を得たウェビナー、トークセッションも再配信致します。

 この度のイベントを通じ、インディーズ作品の製作に携わる人達が、映画祭のという仕組みを利用して、より活躍の機会を得て欲しいと願っております。》

 世界各国でウェブ映像の進化が続いている一方、日本は周回遅れというより2周遅れみたいな状況らしい。私はウェブ映像には疎く、エンタメにも縁のなかった人間だが、交流会で会った海外で揉まれてきた才能ある若者たちの姿には希望を感じた。日本の状況を変えようという意欲を感じる。

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オーストラリアの監督と結んでの交流会。制作費の捻出方法など実践的なテーマの質疑も

 まったく未知だった世界を知るのは刺激的だ。これからもいろんなところに鼻を突っ込んでいこう。
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 納税シンポの翌日、11月26日、私がインタビューされるという奇妙な出来事があった。先月中旬、15年以上前に某民放局で一緒に番組制作をしたことがあったSさんから、「お会いしてお話を聞きたい」と突然メールが来たのだ。

 Sさんはテレビ局のAD(アシスタントディレクター)を2年ほど経験した後、この業界は自分に向かないと辞めた。その後いくつかの会社を経て、現在は40歳前ながら上場企業2社の役員を務めつつ、個人で10企業ほどに経営コンサルティングを行っているという。

 バリバリの若手経済人の彼がなぜ私に会いたいのか理由を聞いたら、テレビ業界を辞めて何をしようかと考えていた頃、私のこのブログに出会って感化されたのだという。

 え?? ほろ酔いで寝る前にたらたら書いているこのブログに、「世渡りの知恵」めいたことを書いた覚えはないのだが・・。そこで、どんな内容に感化されたの?と問うと。

 「忙しい業務明け、久しぶりにご自宅に帰った高世さんに、娘さんが「お父さんお仕事楽しい?」のような発言をし、それに対し高世さんが、娘が楽しいことを仕事とする考えや理解をしている点について」書いていた。これが一つ。

 また二つ目は、やらなければならないが、やりたくない、危ないから避けたいなどと思うことを「どうやったらやりたいことにできるか?どうやったらやり続けることができるか、色々と試している。」という趣旨の文章を書いていた、そうだ。
(15年も前で、私はあまり覚えていないが・・)

 Sさんが私のブログから学んだのは―
 「好きな事を仕事にするとかしないとかいう話以前に、そもそも好きなことや人より秀でた能力ひとつない自分には、もう好きだの何だの言う必要すらない。」

 そして、「多くの人は自分よりも客観的に恵まれない環境下で、好きでも向いてもいない仕事をしていて、自分はその人たちが負って下さっている負担の結果として日々回っている社会の恩恵を受け、ぬくぬくと生きている。だから本当にできないこと以外のことにはできるだけ取り組み、自分にできる社会還元はしていこう。」と覚悟を決めて必死でがんばった結果、今の自分がいるという。

 「高世さんの言葉」が「私の社会的成功要因の9割です」とも。

 ここまで言われると、恥じ入ってしまう。そんな立派な人間じゃないのに。

 Sさんが今回私と話したいと思ったのは、自身が人生の転機にあるからだという。

 今年子どもが生まれたが、「現在の課題感として『自分は大人として、良い社会を子供に提供できているだろうか?』があり、もっと良い社会を作っていくことに貢献したいし、そのためには自分がもっとレベルアップしないとできないと」「ここ3年は暗闇を手探りして」いて、「今後の課題解決アプローチの糸口が模索できたらと」私にアプローチしたとのこと。 

 26日のインタビューは2時間半、世界情勢から日本の停滞、気候変動、コスモロジーや私の趣味にまでおよび、とても楽しく話せた。
 インタビューは、Sさん個人のためだけでなく、子どもをどう育てていくかの参考にしたいそうだ。

 お役に立てたか自信がないが、このブログには実にいろんな読者がいることを実感し、ちょっと「責任」を感じた次第。といっても、友人に伝えたいことを語りかけるような感じは変えないでいこう。
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 コロナ感染者の減少で、飲み会が多くなった。

 先に書いた3日のJWFイベントの後は参加した知り合いと渋谷の「のんべい横丁」で一杯。1日には大学時代の友人8人が新宿「思い出横丁」(しょんべん横丁)に集まって飲んだ。ここ2年近く、2人、3人で飲むことはあっても8人はさすがに初めてだった。

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思い出横丁。客は戻ってきたが、まだ少ない

 酒を飲む機会が増えると、失敗もやってしまう。
 先月末、近くに住む報道写真家のHさんに誘われて焼鳥屋に。Hさん、同年齢とは思えぬハイスピードでぐいぐい飲んでいくので、私も負けじと杯を重ねる。そこを出て二次会へ・・。どうやって帰ったか覚えていない。
 翌日、連れ合いに飲みすぎだと叱られた。二日酔いの頭でPCを使おうとしたらスイッチが入らない。見ると水浸しだ。私が酔っ払って何か液体をこぼしたとしか考えられない。すぐに秋葉原のPC修理店へ行くと、中でショートして完全に壊れているという。締め切りが近い原稿もあるので、その場で新たなPCを購入。壊れたPCのデータ取り出し費を含め大出費となった。

 それに懲りずに、おとといは深夜酔って電車を乗り過ごしタクシーで帰宅。ちょっと酒を慎もう。

 年甲斐もなく、バカなことばかりやっている。Sさん、このブログ読んでいたら、ごめんなさい。