「李鶴来さん追悼写真展」を見て

 25日、「納税」のシンポジウムに出る前に、九段下によって「李鶴来(イハンネ)さん追悼写真展」を見てきた。
 李さんは、BC級戦犯として裁かれた朝鮮半島出身元軍属で、前日の「朝日新聞」に載った北野隆一編集委員の記事を読んで行こうと思い立ったのだ。

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会場は九段生涯学習

BC級戦犯として裁かれた朝鮮半島出身元軍属の救済を求め続けた李鶴来(イハンネ)さんを悼む支援者らが寄稿した『李鶴来さん追悼文集~不条理を問い続けた生涯を偲(しの)ぶ』が10月に発刊された。これを記念して22日から、千代田区内で追悼写真展が開かれている。
 戦時中に日本軍属だった李さんは、戦後の連合国による軍事裁判で日本人BC級戦犯として死刑判決を受けたが、減刑されて仮釈放された。その後サンフランシスコ講和条約で日本が独立を回復した際に日本国籍を喪失させられ、恩給など援護制度の対象外とされた。日本政府に対して裁判や立法による救済を求め続けたが実現しないまま今年3月、96歳で亡くなった。
 李さんは処刑を免れたが、同胞のBC級戦犯の多くが処刑された。「私の人生は刑死した23人の友人の無念の思いを晴らすこと」と語り、外国籍元戦犯の名誉回復や救済を求める運動に生涯を捧げた。追悼文集には支援者や弁護士、国会議員やジャーナリストら100人以上が寄稿した。「日本人」として裁かれながら日本の援護制度から排除された「不条理」を問い続けた李さんの姿を、それぞれの思い出とともにつづった。
 追悼写真展は25日まで千代田区立九段生涯学習館で。李さんの生涯と、李さんが結成した団体「同進会」の歴史を写真とパネルでたどる。1950年代に鳩山一郎石橋湛山岸信介各歴代首相に提出した要望書も展示されている。(編集委員・北野隆一)》

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李鶴来さん(会場の展示より)

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山本宗補さんの写真が正面に展示してあった


 サハリンの残留朝鮮人と残留日本人、フィリピンの日系人日本兵として戦った台湾先住民など、いわゆる戦後処理に取り残された人々を取材してきたが、朝鮮人BC級戦犯については知らないことも多く、李さんたちの活動に感銘を受けた。生前にお会いしたかった。
 李さんは17歳のときに日本軍軍属である捕虜監視員の募集に応じ、タイとビルマを結ぶ戦略鉄道「泰緬鉄道」の建設現場にために使役されたオーストラリア人、イギリス人、オランダ人など連合軍捕虜を監視する任務についた。
熱帯での過酷な労働、劣悪な生活環境、乏しい食料事情のもと、建設に投入された5万5千人の捕虜のうち1万3千人が亡くなったとされる。戦後、捕虜虐待が問題になり、オーストラリア裁判で死刑判決。のちに20年に減刑された。「日本人」として罪を負わされたのに、援護と補償は「外国人」だからと認められないのは納得できないと、1955年、同じ境遇の韓国・朝鮮人元BC級戦犯者と「同進会」を結成し、日本政府の謝罪と補償を求めて闘い続けた。

戦争犯罪で有罪になった5.700人のうち、朝鮮人は148人(死刑は23人)。このうち実に129人が捕虜監視員の軍属だった。
展示されてあった『京城日報』(京城はソウルのこと)には「大東亜戦に直接協力」「米英人俘虜の監視に半島青年数千名採用」の見出しがある。捕虜監視員を朝鮮半島で大募集したのだ。

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京城日報」

《採用せられた者の任務は単に米英人俘虜を監視するのみでなく、傲慢不遜の彼等に真に日本国民の優秀性を認識せしめて衷心より日本帝国に対する尊敬の念を抱かしむるよう指導するに在るのであってその使命は重く・・》と記事にある。
 朝鮮人青年に、英米人なんてダメな奴らで日本国民がすばらしいということを見せつけようとした。人権尊重とは正反対の「生きて虜囚の辱めを受けず」の軍人精神を叩き込まれて李さんたち朝鮮の若者たちは南方に派遣された。

 李さんが所属したタイの俘虜収容所の第4分所では1万1千人の捕虜を日本の下士官17人と朝鮮人捕虜監視員130人で管理したという。日常的に捕虜が接するのは監視員なので、朝鮮人軍属が追及の矢面に立たされたのだ。

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スガモ・プリズンにて戦犯とされた朝鮮人たちと。左から2番目が李さん(1952年)

 

 李さんは、「都合のいいときは『日本人』、都合の悪いときは『朝鮮人』と使い分けるのは許されない」とつねづね語っていたそうだ。日本人としてとても恥ずかしく、罪悪感をもつ。

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会場は盛況だった。NHKやTBSのドキュメンタリー番組も流された

 裁判では李さんたちの主張は認められなかったが、1999年12月20日最高裁判決は、李さんたちの上告を棄却したうえで、こう述べている。

 《上告人は、いずれも我が国の統治下にあった朝鮮の出身者であり、昭和17年ころ、半ば強制的に捕虜監視員に募集させられ、・・・有無期及び極刑に処せられ、深刻かつ甚大な犠牲ないし損害を被った。
 上告人らが被った犠牲ないし被害の深刻さにかんがみると、これに対する補償を可能とする立法措置が講じられていないことについて不満を抱く上告人らの心情は理解し得ないではないが、このような犠牲ないし損害について立法を待たずに戦争遂行主体であった国に対して国家補償を請求できるという条理はいまだに存在しない。
 立法府の裁量的判断にゆだねられたものと解するのが相当である。》
 
 はやく、李さんたちの無念を晴らす立法措置をしてほしい。

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