自己肯定感が低い日本の若者2

 猛暑がつづく。

 これまで午後にやっていた自転車での街歩きを午前に変更。

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 神社の木陰で一休み。

 願掛け風鈴の「どうか仕事に戻れますように」の字に見入ってしまった。下に横書きで小さく「笑顔が戻りますように」とも書かれてある。(オリンピックの成功を願う風鈴は、もちろん皆無)

 汗だくで戻ってくるとシャワーを浴び、外出する用のない日は、甚平に着替えてずっと家の中に閉じこもっている。

 ところで、横田めぐみさんは東京オリンピックの年の10月5日に生まれている。開会式はいつだったか調べたら、10月10日。思い出した、「体育の日」って、東京オリンピックの開会の日にちなんで決まったんだった。めぐみさんはその開会式直前に生まれていたわけだ。
 あのときは、熱中症の危険のない、秋のいい季節にオリンピックがやれたんだな。

 10月10日の開会式当日は、前日の雨があがって、秋晴れになったそうだ。
 テレビ実況を担当したNHK北出清五郎アナウンサーは冒頭で、「世界中の青空を全部東京に持ってきてしまったような、素晴らしい秋日和でございます」(名セリフだな)と。また、入場行進曲「オリンピック・マーチ」の作曲は古関裕而だったとのこと。
 以上、大昔の東京五輪トリビアでした。

 

 あの人もこの人も消え開会式大阪府 清水康寛)

 きょうの朝刊の「朝日川柳」。
 もう騒動は終わりかと思っていたら、なんと前日に、開会式中止も選択肢になるほどの超ド級の話がもちあがった。

 《東京オリンピック(五輪)の大会組織委員会は22日、東京五輪開閉会式のディレクターを務める小林賢太郎氏(48)を解任したと発表した。組織委によると、小林氏は演出全体の調整役を務めていた。

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小林賢太郎氏(朝日新聞より)

 小林氏はお笑いコンビ「ラーメンズ」として活動し、現在は舞台作品などの企画・脚本を手がけている。ラーメンズ時代のコントで「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」というセリフを用いた動画がインターネット上で拡散し、批判が集まっていた。》(朝日新聞

 私は小林賢太郎のファンなので、とても残念だが、ホロコーストに触れる話となれば、外交関係さえ左右しかねない。解任せざるをえないだろう。

 悪質度からいえば小山田圭吾のケースの方がはるかに上なのだが、米国のユダヤ人人権団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」が動いたとなれば、もう万事窮す。

www.wiesenthal.com


 ユダヤホロコーストについては、明確に国際的合意がある。とくに欧米ではナチズムの賛美、ホロコーストの否定は刑事罰の対象になる場合があり、ドイツで小林賢太郎の問題になったネタを言ったとしたら、逮捕されるだろう。

 ヒトラーより多くを殺したスターリン毛沢東を称えても許されるのは均衡を欠くと思うが、これが現実だ。この問題については、また別に書こう。

 「復興五輪」、「コンパクトな大会」、「コロナに打ち勝った証」うんぬんの開催の意義はすべてきれいに吹っ飛ばしたうえに、世界から日本人の品性が疑われる醜態をこれでもかと見せつけてくれる組織委と日本政府。とにかく大きな災厄なく終わることを日本のために祈る。
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 先日の日本の若者の自己肯定感が低いという話のつづき。

 自己肯定感の低さは、自殺や自傷行為のように自分を傷つける可能性が高くなるだけでなく、他者への攻撃に向かう引き金になることもあるという。

 精神科医香山リカ氏が、20歳未満の若者の犯罪についてこう語る。
《私も精神科医という立場で少年犯罪にかかわったことがありますが、一様に言えるのは自分を自分で認める、自己肯定感がとても低いことです。「おれなんか誰からも必要とされていない」とか、「自分なんてどうなってもいい」とか、自分で自分に見切りをつけているのが多かったですね。だから何をやってもいいんだとか、どうせ終わるんだったら最後にアッと思わせることをやってやろうと捨て鉢になっている人が多かったですね。私が知っている範囲では、甘やかされているからというのではなく、自分で自分を粗末にしてしまっているんです。そこで問題なのは、本当に粗末に扱われているかと言ったらそうでもないんです。普通に家庭があって、友だちがいるという環境なのに、なぜか勝手に自分で自分のことをちっぽけでつまらない存在だと思い込んでしまっているんです。事前にもし、「そんなことはない」「あなたを必要としている人がいる」と言ってあげて、自分は意味があってこの世にいるんだとわかって安心できれば自暴自虐になってしまわないんでしょうが、そういう人が多いですね。》(『チルドレンな日本』七つ森書館2006年P173-174、ただし、スポーツ大会で日本チームを応援することが不健全だとする香山氏の考えには全く賛成できない)

 ここで語られている「自分は意味があってこの世にいるんだとわかって安心」するということはきわめて重要だと思うが、これはまたいずれ論じることにして、ここでは、自分というアイデンティティについて考えてみたい。

 先日紹介した内閣府の調査結果を分析した研究者によれば、「自国人であることに誇りを持っている」と「将来について希望をもつ」傾向があるという。そしてその傾向は日本の若者にもっともはっきりとみられたという。

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自分の国に誇りを持つことができると「希望」を持つようになる傾向がある。鈴木賢志『日本の若者はなぜ希望を持てないのか』(草思社)P165

 人は家庭、地域、会社、国などさまざまな場での意識が織り合わされて総合的なアイデンティティがつくられる。これらの多くの場での自分を「良き一員である」と肯定できれば「自分はこのままでいいのだ」と高い自己肯定感が得られるはずだ。

 国民国家から成り立っているこの世界において、「祖国」との関わりや愛着の深さは、自分のアイデンティティにとって大きな位置を占めると思われる。

 国際調査で判明した、自分の国のために戦うという回答の圧倒的な少なさ、権威への極端な忌避感など、日本という国への帰属意識を含む国家意識の特異性が、日本人の自己肯定感の低さに関係しているのではないか。

takase.hatenablog.jp

 この仮説をもとにこれから考えていきたいと今は思っている。(何らかの仮説を設定しないと勉強する方向付けができないので)

 今後ときどき、このテーマで書いていきます。