もう月末が近い。節気は白露をすぎて秋分だ。夜さかんに鳴いている虫たちも72候によると、そろそろ消えることになる。
23日から初候の「雷乃収声」(かみなり、すなわちこえをおさむ)。夏の入道雲が消えて秋空に。28日からは次候「蟄虫坏戸」(むし、かくれてとをふさぐ)。虫たちも巣ごもりで土にもぐっていく。10月3日からは末候「水始涸」(みず、はじめてかるる)。収穫期で田んぼから水が抜かれていく。
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小池百合子東京都知事の動きは、もう「淫ら」と表現したい。「原発ゼロ」を打ち出して小泉元首相との連携をほのめかすわ、10月の首相指名について「(公明党代表の)山口那津男さんがいいと思う」などとリップサービスするわ・・勝つためにここまで節操なく振舞えるとは、バケモノだな。
原発ゼロを掲げて小泉・細川ラインを取り込むことに成功すれば、保守・中道の浮動票を大きく惹きつけることが見込まれ、かなりのインパクトを与えるだろう。すでに民進党衆院議員の動揺が激しい。若手のホープと言われた玉木雄一郎・前幹事長代理は「共産党以外の野党は全部選挙の前に解党をして、一つの政党にまとまった方がいい」などと発言。民進党がガタガタになっている印象だ。こんな方向で政界再編しても、この国の劣化は止まらないぞ。
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写真家・小松由佳さんのヨルダン撮影行を描いたNNNドキュメント「サーメル〜子連れ写真家とシリア難民」は、おかげさまで好評をいただいております。見過ごした方は以下でご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=-V0roF6VxA4
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放送作家の高橋秀樹君は、高校の後輩で、いま「同窓会だより」の編集を任されているという。私にも何か仕事に関する話を書くようにと言われ、じゃあ、と「ジャーナリストはなぜ危険地に行くのか」という文章を1850字で書いた。それが以下。ちょっとかっこつけて恥ずかしいが。
本来、ジャーナリストは、場合によっては危険を冒すのは当然のこととされる職業である。それは火事の現場に飛び込んでいく消防士にたとえられる。
昔、ベトナム戦争が世界の注目を集めていたころ、この仕事観はみなが共有しており、フジテレビや日経新聞、共同通信などの記者、カメラマンも命を落としている。ところが、近年、危険地には、大手メディアが自社スタッフを派遣せず、その不在をフリーランスが補うという構図ができ、結果、不慮の事故にあうのも後者が多くなっている。また、日本政府は「旅券返納命令」まで出して、ジャーナリストが危険地に行かぬよう規制を強めており、戦場や紛争地を取材する日本人ジャーナリストが減ってきている。
危険地取材が少なくなるとどうなるのか。イラク戦争開戦からしばらくして、政府の要請で日本の大手メディアが撤退したことがある。取材者の激減した陸自のサマワ基地で、13回22発もの迫撃弾、ロケット弾の攻撃を受けていたという事実が判明したのは、自衛隊撤収後2年もたってからだった。イラク戦争における自衛隊の活動実態が、ながく、多くの国民の目から遠ざけられたままになってきたのだ。
南スーダンに派遣された陸自のPKO部隊が、安保法に規定された「駆け付け警護」の任務をはじめて付与されたが、そのさい、そもそも自衛隊を派遣してよいのかが問題になった。稲田防衛大臣は、政府軍と反政府軍がぶつかって大量の犠牲者が出ているのを「戦闘ではなく衝突」と強弁していたが、現地部隊から「戦闘」があると送られた報告を隠蔽していた疑惑が表に出た。稲田大臣の辞任で話題になった日報問題である。
こうした情報の空白あるいは「隠蔽」は、自衛隊の海外展開が今後増えていく趨勢のもと、国策を大きく誤らせることにつながる。情報の入りにくい危険地を取材するジャーナリストをもつことは、真の意味での国益と言えるのではないか。
さらに、国籍を問わず、ジャーナリストには、危険地報道における人道上の責任もある。多くの紛争地では、住民がジャーナリストを見つけると寄ってきて、「この惨状を世界に伝えてくれ」と訴えてくる。現地政府の機能は崩壊しており、援助団体もなかなか入ってこれない。食べ物もなく疲弊しきった住民の唯一の頼みは国際社会だ。自分たちの声を国際社会に伝えるすべを持たない彼らは、ジャーナリストに取材してほしいと願う。状況がひどいからこそジャーナリストが求められているのだ。
東日本大震災で起きた原発事故で、大手メディアは自社の社員スタッフを事故原発近くから引き上げ、取材するのはフリーランスと海外メディアのみという異様な光景が現れた。メディア不信がこれまでになく高まっているが、その一因に、ジャーナリズムの基本を忘れた安易な危険回避の姿勢があるのではないかと思っている。