安田純平さんが帰国便の機内で語ったところによると、犯行グループによる虐待は私が想像したよりすさまじかったようだ。知れば知るほどゾッとする。
《「16年からは、ほぼ毎日、『解放する』と言われた。その代わり、『これをやったら帰さない』という不可能なことを要求された。高さ1・5メートル、幅1メートルの場所で、24時間、身動きしても、何一つ音を立ててもいけないと言われた。それを8カ月やらされた」
部屋の外で監視され、要求された行為ができないと、自身の独房の前に他の収容者が呼ばれて殴りつけられ、その様子を見せつけられたという。
「頭を洗ってはいけないというルールが設定され、服も洗えない。指を動かして関節が鳴ってもダメ。歯磨きもダメ。頭も体も洗っていないから、かゆくてかくと音が鳴る。鼻息も、指が鳴っても、寝ている間に体が動いてもダメ」
安田さんは、犯行グループのメンバーが「ゲーム」としてこうした要求を出していたと考えている。
「毎日、今日こそ帰りたいから頑張って身動きしないようにしようとしても、うたた寝してダメだったりした。24時間体が動くことがないよう、(食事に伴う身動きを避ける目的で)20日間、絶食した。骨と皮みたいな感じになって、吐き気がすごくなった。これ以上続けたら死ぬという状態になり、他の施設に移った」》
安田さんが7月31日公開された動画で、涙目で「私の名前はウマル。韓国人です」言ったことが大きな話題になった。なぜなのか、安田さんがこう言っている。
《「自分の本名や日本人であることは言うなと要求されていた」。
「他の囚人(監禁被害者)が、釈放された後に『あそこにニュースで出ている人質の日本人がいる』と言われたら、私の監禁場所が世間にばれて(犯行グループが)攻撃されるかもしれない」と説明。そのため、「『韓国人だと言え』と言われた」といい、従ったという。》(朝日)
私の謎解きはこうだった。
《「助けてください」と言わされているが、それは私の真意ではない、日本のみなさんはこの映像を相手にしないように、というのが安田さんのメッセージだったのではないか》
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20180810
完全に「はずれ」!だったことが判明したのだが、拘束中の「地獄」の中でも、命乞いや身代金の支払いなどはしないようにと妻に伝えていたことがこの間の報道ではっきりした。
複数のテレビ番組で、拘束間もない頃に書かれた安田さんのローマ字のメモを紹介していた。これは、交渉代理人を自称する人物Nが、安田さんの妻に、二人しか知らない質問をさせ、それに純平さんが答えたもの。本人が生存していることを示し、交渉ルートが本物であることを証明する、こうした生存証明は誘拐事件ではよくある。
好きな焼酎の銘柄の質問には、Asahi(朝日)という実在のメーカーに続いて, Harochaakan(はろちゃあかん),Danko6446(断固無視しろ)と書いてある。「身代金は払うな、断固無視しろ」というのだ。
「韓国人です」の謎解き自体ははずれたが、拘束中の安田さんの厳しすぎる「自己責任」感については「当たり」だったわけだ。
帰国したあとも、「助けてほしくないなら、ほっておけばよかったのに」「勝手に危ないところに行ったのだから、保釈金を負担すべき」など安田さんへのバッシングが止まない。
バッシングを見越して、安田さんを温かく迎えてほしいと思い、共同通信のオピニオン欄に書いた一文が25日夜に配信された。翌26日の地方紙などの朝刊に掲載されたようで、山形新聞も載せてくれた。私なりのバッシングする風潮に対する小さな闘いである。
《敬意持ち、出迎えを 紛争地の実相伝える》
フリージャーナリストの安田純平氏(44)が帰国した。戦争のリアリティー(実相)が遠ざかり、平和のありがたみも希薄化する日本の現状に危機感を抱き、アルバイトをしながら戦時下のイラクやシリアで取材を続けてきた。功名心にはやったり、大言壮語したりする人ではない。敬意を持ち、温かく迎えたい。
私はテレビ制作会社の代表として、フリージャ―ナリストの取材の成果を番組にして、テレビ局に売り込んだりしている。安田氏はそうした記者の一人だった。
力量は傑出している。新聞記者出身だけに取材手法をわきまえ、事実確認もしっかりしている。文章もうまいし、映像取材にも非凡な才能を見せた。
何より彼は、志の高い人だ。第2次大戦が73年前に終わり、戦争の記憶が風化する中、戦場の悲惨さ、戦地で苦しむ人々の声を届けるために紛争地に足を運んだ。
2004年4月、戦時下のイラクで武装集団に拉致された。ボランティアの高遠菜穂子さんら3人が拉致された後だった。
今回のシリアでの拘束はイラクに次いで2回目ということになる。
15年6月、トルコで取材していた安田氏から「シリアに入る方法を探っている」という連絡を受けた。その後、彼は国境を越えて拘束された。反省や教訓はもちろんあるだろう。
だが、完璧を目指しても不測の事態が起こるのが戦地だ。身代金を得るため、記者の誘拐をビジネスにしている組織もある。協力者のコーディネーターらが金で寝返ることだってあり得る。
特にフリーの場合、安全面の弱さを抱える。米国の大マスコミなら、現地事情に精通した人物を助手として高額で雇ったり、防弾車を用意したりできるが、そんなことは望みようもない。
では、フリージャーナリストは危険な場所には行ってはならないということだろうか。答えは「否」である。尊敬する友人のフリージャーナリストが私にこう語ったことがある。
「母国を逃れた難民を取材した。自国の政府に相手にされず、国連などの支援も及んでいなかった。キャンプに足を踏み入れると、大歓迎された。『よく来てくれた』『私たちのことを外の世界に伝えてほしい』。口々に訴えられた」
2回目の拘束ということで、安田氏はバッシングされやすい状況にある。フリージャーナリストの後藤健二さんが15年1月、過激派組織「イスラム国」(IS)に殺害された後、当時の高村正彦自民党副総裁は「政府の警告にもかかわらず、テロリストの支配地域に入った。真の勇気ではなく蛮勇」と批判した。
お上の意向に反し、シリア入りした後藤氏への反感が見て取れる。しかし、オバマ米大統領は同時期「後藤氏は報道を通じ、勇敢にシリアの人々の苦しみを世界に伝えようとした」との声明を発表した。情報が民主主義を支えていることへの敬意が感じられる。
人はそれぞれ伝えたい言葉を持っている。弱い立場にある人はなおさらだ。日本の大手マスコミが危険な取材に慎重を期す中、紛争地の人々の声に耳を傾け、伝えるのはフリージャーナリストの仕事だ。安田氏は紛れもなくその1人である。