がんばれ!「リンゴ日報」

 私は「市報」をちゃんと読むことはまれなのだが、前号の第1面に農業体験の募集が載っているのが目にとまった。

 以前から、「自分の食べる野菜くらいは作りたいな」と思っていたところ、失業して時間ができたので、ちょうどいい機会と申し込んだ。
 コロナ禍で、田舎暮らしやアウトドア、農業への関心が高まっているというが、私も世のトレンドに乗っかったわけだ。

 市の募集には「市民農園」と「体験農園」があり、前者は農地だけ借りて各自勝手にやるもの、後者は地主の農家から手取り足取り指導してもらうもので、ド素人の私はもちろん後者である。

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 きょう、炎天下のもと午後2時半から、はじめての作業があった。次回の種まきの準備ということで、2時間ひたすら雑草取り。腰は痛くなるわ、暑さでくらくらするわで、すぐにさぼりたくなったが、私より年上の団塊の世代の参加者ががんばっているのを横目で見て作業を続けた。汗だくで作業を終え爽やかな風にあたると、やはり何かしら達成感があり、さらに、畑に成っているナス、トマト、モロヘイヤ、シソをどっさりいただき満足して帰ってきた。

 これから土をいじることで何か発見があればと思っている。
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 きょうのTBS「報道特集」で香港を特集していた。
 このごろ香港報道が少し減った感があるので、みなさんの関心を喚起するため紹介したい。

 番組VTRでは、先日国会前で行われた香港支援デモに参加した在日香港人の何嘉軒さん(21)が登場する。何さんは、旅行が好きで北海道から九州といろいろ回り、観光を仕事にしたいと日本に留学している。

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デモで「光復香港」(香港を取り戻せ)と訴える何さん

 メディアに本名で出るのは非常に危険だ。国安法は世界のどこであれ適用され、彼が広げた「光復香港」のスローガンがすでに法律にひっかかる。香港に帰ったら逮捕をはじめ様々な不利益をもうむる可能性がある。
 「家族に迷惑をかけたくないから、こっち(日本での)行動は何も言っていない。香港の現地は圧倒的に絶望感がすごいです」という。リスクは覚悟している。今は日本という安全な場所にいるので、発信を続けたいという何さん。この勇気を応援したい。

 香港では今月10日に周庭さんら10人が逮捕されたが、当局の本命のターゲットは民主化を唱える「リンゴ日報」(アップルデイリー)の創業者、黎智英さん(71)だったといわれる。

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 黎さんは12歳のときに大陸中国から脱出し、香港で苦労を重ね「ジョルダーノ」という衣料品ブランドで大成功を収めた立志伝中の人である。89年の天安門事件で政治に目覚め、95年に中国本土の民主化も視野に入れ、メディアに進出した。

 10日には「リンゴ日報」本社に200人が家宅捜索に入り、30箱分の資料を押収し、職員全員の個人情報を調査したという。メディアへの弾圧は、言論封殺の要だ。

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200人態勢で「リンゴ日報」本社を家宅捜索

 香港のテレビ、新聞、出版などの大きな企業には中国資本が入り、当局や中国共産党に批判的な言説は締め出されている。
 黎さんはいう。多くのメデイアのオーナーは中国本土で事業をしているから、好待遇を受けて事業で利益を上げようとする。「ひどい場合は、中国共産党の代弁者にもなります」と。

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「リンゴ日報」紙面には広告がほとんどない。広告を出せば、企業が当局から睨まれるのを恐れるからだ。

 しかし、香港人はこの弾圧にただ沈黙していただけではない。いつもは7万部刷る「リンゴ日報」は弾圧翌日、55万部を印刷したところ、市民が争って購入し当局への抗議の意思を示したという。

 黎さんは、生まれ変わっても同じ道を歩む、これは私の「運命」なのだから、とあくまで闘い続けると決意表明していた。

 今年6月、公共放送RTHKの風刺番組「頭條新聞(Headliner)」が打ち切りに追い込まれた。31年にわたって鋭く政治を風刺する寸劇を放送してきた人気番組だった。それがアップルデイリーが「頭條動新聞」として復活させた。そのキャスター、曾志豪さんが日本の視聴者に語ったメッセージは―

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曾志豪さん

 「今は香港人が国際的な呼びかけをすることはとても危険なことです。私たちはただ日本の皆さんに香港への関心を持ち続けてほしい。自由がある国に暮らす皆で支えあうことが大切です」

 そんな「支えあう」関係を築いていきたいとあらためて思う。