ウクライナの飢餓を暴いたジャーナリスト

 沖縄の新型コロナ感染がひどいことになっている。

 14日も新たに106人の感染確認が発表された。1日に発表された感染者数としては9日の158人に次ぐ2番目。感染者総数は1500人を超え、人口比では圧倒的に全国で最多だ

f:id:takase22:20200815020824j:plain

玉城知事(14日)

 沖縄では医療機関のひっ迫により、重症者に病院資源を集中させるため、「濃厚接触者」に対し症状のあるなしにかかわらずPCR検査を行うというこれまでの方針を変更。濃厚接触で無症状の場合、医療介護従事者、基礎疾患のある人、65歳以上の高齢者のみに検査を限り、その他の無症状者には検査を行わず、自宅で2週間の健康観察を各自に依頼するという。非常事態である。

 8月中に沖縄を訪問する観光客は、去年比6割減でも30万人になるという。また米軍基地からもひきつづき感染者が出ている。沖縄は、無責任なGoToトラベルキャンペーンと米軍基地の二重の脅威に晒されてこんな事態になっている。政府はすぐに沖縄を救援する手立てを採るべきだ。

 玉城知事は、東京都が本土の竹芝桟橋(港区)と小笠原諸島小笠原村)を結ぶフェリーの乗船者にPCR検査を試験的に実施していることに触れ、「唾液などの検体を採取し、(航空機での)移動の時間を利用して検査結果を出せば、(感染者を)絞り込むことができる」と指摘。県条例を整備しても県外では適用できないため、国が法律でそうした仕組みを整備すべきだと主張した。
 また、旅行への出発2日前までにPCR検査を受け、新幹線や航空機に乗る際の「陰性証明」とする案も提示。「観光立国を進めていくのであれば、今後は国が法的に整備が十分でないところにしっかり取り組んでいただきたい」と述べた。(14日、毎日新聞

 当然だ。もろもろ遅すぎるが、これ以上の無為無策は許されない。

 いまだに「日本モデル」などと持ち上げて、検査が少ないのを正当化する識者、「専門家」それを報じるテレビ番組、雑誌、新聞が少なくないが、コロナ禍は世界同時進行なので、他国と簡単に比べことができる。いかに日本が立ち遅れ、世界標準から遠いかを知ってもらいたい。

 例えば、スポーツ界を見てみよう。
 米バスケットボールのNBAでは選手に毎晩の検査を義務付けている。(毎週ではなく毎晩)
 米野球のメジャーリーグMLBでは隔日。サッカーではプレミアリーグ、独ブンデスリーガが周2回の検査(監督やコーチを含む)が義務付けられている。

news.yahoo.co.jp

 日本では、サッカーJリーグ、バスケットボールBリーグ2週に1回プロ野球にいたっては月1回と頻度が少ない。

 回数を多くすれば偽陰性による「もれ」を防ぐことができる。一定割合で偽陰性が出ることを検査を増やさない口実にするのではなく、逆に検査の頻度を多くすることで克服すべきだろう。

 明日からふたたび、日本はPCR検査がなぜ少ないのかを考えていく。(つづく)
・・・・・・・・・・・・・・・
 きょう封切の映画『赤い闇~スターリンの冷たい大地』(英題名:Mr.Jones)を観てきた。すばらしかった。

f:id:takase22:20200815015241j:plain

f:id:takase22:20200815015313j:plain

 世界恐慌下の1930年代、スターリン体制のソ連で決死の潜入取材を行ったイギリス人ジャーナリストの実話に基づくドラマだ。

 《1933年、かつてヒトラーにも取材したことがあるイギリス人記者ガレス・ジョーンズは、世界恐慌の中でソ連だけが好景気であることに疑念を抱いていた。その謎を探るため単身モスクワへ向かった彼は、当局の監視を避けながら全ての鍵を握るウクライナを目指す。極寒のウクライナにたどり着いたジョーンズは、過酷な生活を強いられ飢えに苦しむ人々を目撃する》(広報より)

f:id:takase22:20200815015348j:plain

ガレス・ジョーンズ Gareth Jones

 ジョーンズと対照的な人物として、名門ニューヨークタイムズ』紙のデュランティという記者が登場する。これも実在の記者で、一連のソ連報道で32年のピュリッツアー賞を受賞している、。彼は一貫してスターリンに好意的で、ジョーンズが、人肉食が横行し農民は樹皮をかじりながら餓死していると報じたのに対し、それは「作り話だ」と批判、農民たちは「腹を空かせてはいるが、飢え死にしているわけではない」との記事を書いた。

 興味深いのは、当時、ソ連に関わった活動家やジャーナリストの多くは、社会主義への大きな期待と台頭するナチズムへとの闘争という観点から、ソ連を応援しスターリンの言動を正当化しようとしたことだ。そのためには、多少の犠牲も仕方がない。いわゆる「大の虫を生かして小の虫を殺す」である。

 記者は監視下に置かれ、情報はコントロールされ、許可なくモスクワから出ることは禁じられる。拘束、追放、場合によっては危害を加えられるリスクもある。社会主義体制に迎合した記事を書くのは、ジャーナリストらの自己保身の動機もあったろう。

 日本のメディアが過去、中国、北朝鮮を含む社会主義国をどう報じてきたか―北朝鮮の「地上の楽園」宣伝をそのまま垂れ流したり、中国の文革を礼讃する記事を載せたり―を彷彿とさせる。

 「真実は一つだ」「記者は崇高な仕事だ。誰の肩も持つことなく、真実のみを追いかける」と言うジョーンズに、モスクワ滞在の長い敏腕女性記者が「あんた、ナイーブ(ウブ)なのね」とせせら笑うシーンが印象的だ。

 奇跡的にウクライナに潜入したジョーンズだったが、拘束され英国に送還される。同時にソ連は突然6人の英国人を逮捕し英国との交渉のカードとする。ジョーンズは「飢餓はない」と語るよう脅迫されたが、志を曲げずに真実を伝える。

 かつてのジョーンズの雇い主だった元英国首相のロイド・ジョージは、「英国の経済が破綻寸前のときに勝手が過ぎる。君は一線を越えた」と怒鳴る。経済を中心にした国家的利害もまた、ソ連に近づく動機付けになるのである。

 ここは天安門事件のあと、日本、アメリカが早々と国際的制裁を解除して中国にすり寄った過去を想起させられた。

 このように、私には、これまでの社会主義国との向き合い方を他人事でなく考えさせられる映画である。

 ジョーンズの飢餓報道はしかし、主流にはならず、33年11月にはデュランティ記者の尽力もあって米ソは国交樹立している

 ジョーンズは日本にも縁があった。
 彼は34年、東洋に目をむけはじめ、5~6週間日本に滞在。満州国について調べ、あのゾルゲ事件」のソ連のスパイだったリヒャルト・ゾルゲのアパートにも滞在したという。翌35年8月12日、内モンゴルで暗殺された。30歳の誕生日の前日だった。下手人はソ連のスパイだったといわれる。

 映画の最後に「デュランティ記者のピュリッツアー賞はまだ取り消されていない」というテロップが流れる。
 ジョーンズは未だに勝利していないのである。
(つづく)