「飢餓」か「食糧不足」か:ジョーンズ VS デュランティ

 IKKT(クメール伝統織物研究所)の岩本みどりさんが、「伝統の森に来た気分になりたい貴方に」として、村(伝統の森)の中心部までの道行きの動画(約3分)をFBにアップした。
 IKTTとは、このブログではおなじみの、森本喜久男さんがカンボジアの伝統的な絹絣(きむがすり)を復興・活性化するために設立した団体で、養蚕から糸紡ぎ、染め、編みまですべて手作業の工程をそなえた村が「伝統の森」だ。関心のある方はどうぞ。

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 電気もコンビニもないこの村には、年間1500人もが訪問し、リピーターも多い。みどりさん(森本さん没後、村を仕切っている日本人スタッフ)が、「伝統の森」ファンに、コロナ禍のなか、旅行気分だけでもとアップしたのがこの動画だ。

 残念なことに、村の入口の門が映っていないのだが、村に入ったところから森本さんが暮らしていた建物までのドライブショットは、全部、村の敷地である。
 3分近く、ずっと森が続くのが分かると思うが、ここは、誰も見向きもしなかった荒れ地を、森本さんと当時のスタッフらが人力で開墾した土地で、はじめ木はほとんど生えていなかった。一本一本、自分たちで植えてきた「手作りの森」だ。

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2003年、荒れ地を開墾する森本さんとスタッフ。ゼロから作り上げた村だ。

 今後、行く機会があったら、村に宿泊することをお勧めする。私は、満点の星とホタル、そして森の暗闇から聞こえてくる様々な生き物の声に魅了された。いつかまた行きたいなあ。
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 映画「赤い闇」の主人公、ガレス・ジョーンズについてもっと知りたいと思い、ネット検索した。それで前回の情報を補足する。

 ジョーンズは、1930年夏に3週間と1931年夏に1ヵ月、ソ連を取材している。その取材にもとづいていくつかの記事を書くが、このときは匿名で発表したようだ。

 1933年3月、ソ連への3回目の取材行に出かけ、3月7日に当局の目をごまかしてウクライナに潜入する。そこで彼は飢餓のすさまじさを目撃、それは自然災害などではなく人為的なものだと確信した。3月29日にベルリンに戻ってプレスリリースを出すと、多くの欧米の新聞に掲載されたという。

 以下は、プレスリリースのさわり;

 いくつかの村と12ヵ所の集団農場を回った。どこでも人々は泣き叫んでいた。「パンがない。死んでしまう」と。この叫びは、ボルガ地方、シベリア、白ロシア北コーカサスそして中央アジアと、ロシアのあらゆる場所から発せられている。私は黒土地帯(注)へと入っていった。それは、そこがかつてロシアで最も肥沃な農地だったからであり、ジャーナリストが現場に行って自分の目で何が起きているかを見ることが禁じられていたからである。

 そこに向かう列車の中で、一人の共産党員は私に飢餓が起きていることを否定した。私は自分のカバンから取り出して食べていたパンの皮をタンツボに投げ捨てた。すると乗客の農民がそれをそこから取り出して食べた。オレンジの皮をタンツボに投げ入れると、その農民はまたそれをつかみ上げてむさぼり食った。共産党員は黙ってしまった。 

 私はある村に泊まったが、そこはかつて牛が200頭いた村だったのに、いまは6頭しか残っていなかった。農民たちは、牛の餌を食べており、それもあと一ヵ月しか残っていなかった。すでにたくさんの人が餓死したと私に言った。二人の兵士が泥棒を捕えにきた。兵士は私に夜の移動をしないように警告した。飢えて何をしでかすかわからない人々があまりに多いからだという。

 「私たちは死ぬのを待っている。でも、ここにはまだ家畜の餌がある。もっと南部に行ってごらん。そこにはほんとに何もない。たくさんの家が、人が死んで空き家になっている」と言って、彼らは声を上げて泣いた。

注)黒土地帯とは― 肥沃な黒色土が広く分布し、世界的な小麦の産地になっている地帯。ウクライナから西シベリアの南部にかけての地域などをいう。チェルノーゼムと呼ばれる。(大辞林より)

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ウクライナ。当時はソ連邦の共和国だった。チェルノブイリ事故やクリミア半島をめぐるロシアとの対立などで知られるが、世界有数の穀倉地帯である。

 ただし、ジョーンズのリポートの評判は良くなかった。当時の知識層はソ連に同情的だったからだという。

 ジョーンズのプレスリリースの直後の3月31日、「ニューヨークタイムズ」紙は、ピュリッツアー賞受賞記者、ウォルター・デュランティ記者の"Russians Hungry, But Not Starving".(ロシア人は腹を空かせてはいるが、飢えてはいない)の見出しの記事を掲載した

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ウォルター・デュランティ (1884 –1957) 米国で最も高収入の記者(ソ連駐在の米国大使なみだったという)といわれた

 デュランティ記者は、ジョーンズの報告を「壮大なこけおどしのストーリー」だとして否定し、「餓死」ではなく、栄養不良で病気になって死亡する人がいるだけだと、ソ連当局に迎合したのだった。(Wikipediaより)

 「飢餓」ではなく(単なる)「食糧不足」だとするレトリックで、実態を覆い隠し、現状を正当化したのである。

 ジョーンズは、4月13日の「フィナンシャル・タイムズ」紙の記事で、飢餓の原因として、個人農の強制的集団化、600~700万人の「クラーク」という最良の働き手の排除、穀物と家畜の強制徴発、増加する食糧輸出を挙げている。

 これこそ的確な指摘である。

 ロシア革命以降、共産主義(運動)が、ロシア、ウクライナはじめ中国や東欧、カンボジアなど多くの国々で、1億人におよぶ人々の命を奪うことになるが、その根幹は農業の集団化にあると思う。

 4000万人が犠牲になったとされる中国の「大躍進」は、ジョーンズが取材したソ連の32‐33年の「ホロドモール」と呼ばれる大惨事の繰り返しと言ってもよい。
(つづく)