保坂世田谷区長の「NO!で政治は変えられない」

 岡山県で猛暑のなか、まる3日間撮影して、昨日無事に帰ってきました。久しぶりの取材は緊張しながら楽しむことができました。
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 先月24日に書いた、再建された国立(くにたち)市指定有形文化財の旧国立駅舎。
https://takase.hatenablog.jp/entry/20200724

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中は市民の憩いの場になっている

 駅は大正15年(1926年)の竣工。これを手始めに、国立(くにたち)というまったく新しい町がつくられる。

 《国立駅舎は箱根土地株式会社(現プリンスホテル)が建築し、当時の鉄道省に寄付した請願駅でした。箱根土地株式会社と東京商科大学(現一橋大学)が理想の学園都市を目指し、国立大学町の開発を行いました。》(駅舎説明板)

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雑木林を伐り拓いて造られた駅だった

 学園都市、国立を設計し、町づくりの直接の責任者になったのは箱根土地の堤康次郎の妻の妹の夫の中島陟(のぼる)で、その息子の中島渉(わたる)によればその顛末は―
 「もともと父は大学を出て宮内庁に勤務していたのを堤に引き抜かれたのです。国立大学町を白紙の状態からやらすと言われて、そのために外国へ留学しているわけですね。帰国後、他の社員と共に開発に取りかかったわけですが、基本設計ではドイツの町ではこうなっている、必ず駅前には広場があって、彫像があって、噴水や池があってという感じで。道路も伯父の堤はあれだけの幅には一度反対して、後藤新平に作成した設計図を見せたら後藤さんは広い方が良い、(略)と。そういう風にして、設計図は合格したと聞いています」

 「国立の場合はそれが開発された当時のまま、今でも出つかずに残っているんですね。小平の学園町も実際は百万坪だったのです。それが戦時中、蚕糸研究所や陸軍の経理学校に定価の三分の一で大面積を買い取られましたから。ですから小平は学園町の元の姿はなくなりましたね。堤が最初に手がけて成功した目白の文化村も環状八号線で分断され、すっかり変わってしまって、オリジナルな形で八〇年前の姿が残っているのは、国立だけです」(『「くにたち大学町」の誕生』P20-21)

 国立という町をつくるのに留学するとはすごい意気込みだ。その中島は都市計画を、堤を飛び越えて後藤新平に相談している。

 後藤新平とは―
 「計画の規模の大きさから「大風呂敷」とあだ名された、植民地経営者であり、都市計画家である。台湾総督府民政長官、満鉄総裁を歴任し、日本の大陸進出を支え、鉄道院総裁として国内の鉄道を整備した。関東大震災後に内務大臣兼帝都復興院総裁として東京の帝都復興計画を立案し、それを成し遂げた」(wikipedia)という人物であり1920-23年には東京市長だった。

 当時、都市計画がいろいろあったなかで、当時の姿を残しているのは国立だけということのようだ。

 この国立を手本にしてできた町が中国にあるという。
 「日本が蓄積してきた都市計画の理念と社会資本整備の技術を一気に投入し建設した」とされる旧満州の中心都市、新京(長春)だ。植民地の都市づくりが国立を範にしたって?・・本当なのか?
(つづく)
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 先日、いつでもどこでも何度でもPCR検査を受けられるようにするという「世田谷モデル」を紹介した。
 これを推進する保坂展人市長にいたく感銘をうけ、どんな人なのか知りたくなった。著名人だが、私自身はよく知らなかったのだ。

 保坂氏はいま64歳。中学時代から学生運動(中学で「学生運動」といえるのかな?)にまい進した早熟な子どもだったようだ。関心ある人はネットで「麹町中学校内申書事件」を検索されたい。
 長じて教育ジャーナリストとなり、政界に進出して衆議院議員を3期つとめ、社会民主党副幹事長も経験している。野党時代は舌鋒鋭く与党の不正を追及する論客だった。

 2011年から世田谷区長を3期つとめ、ユニークな区政運営を行っている。

 首長として行政手腕を発揮し、区の財政の黒字化を成し遂げた。そしてツイッターフォロワ集会、無作為抽出による区民参加のワークショップ、区民の車座集会など、選挙以外に政治参加する回路を作ってきた。

 保坂区長は当選して初めての登庁の際に、区の職員にこう話したという。

 《行政は継続です。これまでの仕事の95%は継承して、5%は大胆に変えます

dot.asahi.com


 政治信条は「NO!で政治は変えられない」。
 2期目の区長選では「安倍NO!」をNGワードにして封印した。
 《重要なのは、自治体行政は公平でなければならず、「安倍YES!」の人も「安倍NO!」の人も平等に大切にされる現場だということです》。
 そして「世田谷YES!」のキャッチフレーズを掲げ、具体的で地道な政策を積み重ねながら住民自治の仕組みをつくってきた。

 「彼がめざすのは「抜本的改革」や「社会改造」ではない。歴史的経緯を尊重した漸進的改革である。この地道な取り組みが「公設民営フリースクール」の運動や「電力の産直」という政策につながっている」と高く評価するのは「リベラル保守」を自称する中島岳志氏だ。

 中島氏は「疑惑追及と行政手腕の両方を使いこなせる保坂区長に、リベラル陣営の旗頭になってもらいたい」とエールを送る。(「保坂展人と『世田谷モデル』週刊金曜日8月7日・14日合併号)

 保坂展人氏という政治家のあり方には、考えさせられるものがある。

 これからも活動をフォローしていきたい。