日本人が見た香港デモ2

 放送案内です。
 明日25日(土)のTBS「報道特集」で2回目のイラン特集が放送されます。

 【イランとアメリカ〜対立の原点】
 トランプ政権が核合意から離脱し再び経済制裁を受けるイラン。アメリカとの長年の対立、その原点とは?焦点となるホルムズ海峡の現状は?金平キャスターのイラン報告第二弾。

 ジン・ネットはこの特集取材に協力しています。ご覧ください。
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 先日、青森県の八戸に初めて行く機会があった。でも、街を回れるのはわずか2時間しかない。あの偉人がいた!と思い立って訪れたのが「安藤昌益資料館」。

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資料館は酒蔵の蔵にあった

 革命的な思想家だったが、歴史に埋もれていたのを、ようやく戦後になって外国人が紹介(ノーマン『忘れられた思想家』岩波新書)して知られるようになった。
 昌益は「身分・階級差別を否定して、全ての者が労働(鍬で直に地面を耕し、築いた田畑で額に汗して働くという「直耕」)に携わるべきであるという、徹底した平等思想を唱え」たとされる。(wikipedia)彼についてはあらためて書くが、型破りで画期的な哲学をもっていた。出身は秋田藩で、八戸で医業を開業していた。東北の田舎から、こんなとんでもない思想家が生まれたことがおもしろい。
 資料館は酒蔵「八鶴」が無償で貸している米蔵にあり、係りの女性が丁寧に説明してくれる。飽きないように、ときおりクイズをはさむ。例えば、昌益は造字をたくさん考案していたが、男と女を一緒にした「男女」という字を何と読むか。

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丁寧に解説をしてくれた

 答えは「ヒト」。私はクイズ三問すべてに正解し、「あらーお客さん、全問正解はめったにいませんよ」などと褒められ賞品(本のしおり)をいただいた。

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『自然真営道』の精巧なコピー

 残念なことに、訪れる人は日に2~3人でほとんどが県外からだそうだ。地元の人は関心がないという。資料館の運営に自治体や公的団体からの支援はなく、酒蔵の善意と「安藤昌益資料館を育てる会」のボランティア精神で維持されている。館内には銘酒「八鶴」が置いてあり、利き酒もできる。お酒の売り上げが維持費のほんの一部になっているようだ。八戸に行く機会があれば、ぜひ立ち寄ってみてください。
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 香港の若い人がなぜ闘い続けられるのか、現地滞在19年の日本人、小出雅生さんの見方を紹介している。まずは「前線」で闘う若者を支える市民の層が非常に厚いことが指摘された。つぎに―
《よく日本の人に聞かれるのが、どうしてそこまで闘えるのか、というのがある。特に、今運動をやりすぎて将来が台無しにならないのかという意見もよく聞く。簡単にいえば、仕事はクビになっても再就職できるが、一度、香港が香港でなくなると、取り返しがつかない、といことで優先順位が違うのである。前提条件として、香港では、年功序列にはなっていないし、転職を重ねることで、キャリアを積み、給与も高くなっていくので、転職自体には何の問題もない。それどころか、若い人たちは就職しにくく、また就職しても会社の都合で解雇になることも多いので、仕事のことを気にして抗議活動を控える人は少ないのではないかと思う。ただ、八月後半以降、警察がデモに関して不許可にすることも増え、空港やショッピング・モールなども警察の介入で安全ではなくなってきているので、警察が手薄、あるいは来ないうちに一気に抗議活動をして、退散する人も増えているように思う。特に緊急法を使って覆面禁止を政府が発表してからは、セントラルなどのオフィス街で昼のランチタイムを使ったデモも相当数行われている。》
陸中国から逃げてきた人や先祖が多い香港人は、「組織」に頼ることがない。中国共産党への反発を小出さんはこう記している。
《組織というものが破綻している場面でどう生き抜くか、その経験からだと思うが、香港では国籍さえも商売道具になる。実際に、知り合いには、ミャンマーに生れた華僑がいる。そして、80年代の社会不安の中香港に逃げてきて、商売を始める。さらに、香港の中国返還に伴い、中国籍になり、その後、リーマンショックの直前にカナダに移住し、現在はカナダ国籍である。そのあたりも、「故郷に錦を飾る」日本人的な感覚とはずいぶん違うように思える。(略)
香港は、自由港として栄えてきた。海には国境がない。国の枠を超えて、直接自由につながれることが香港を経済的に成功させてきたのではないかと思う。そして、そこに集まった住民たち。本人、あるいは本人の先祖は国に見捨てられた存在として、国に頼らずに生き抜いてきた。そういう意味で香港人の気質とナショナリズムは非常に相性が悪い。個人主義は基本の香港人にとっては、かの国のナショナリズム権威主義的で古臭い話に思える。それらは過去に乗り越えてきたことで、今さら何をいっているのかという感じなのだ》(『香港危機・・』P256-257)
(つづく)