アフガン支援の中村哲医師の訃報

 きょう、アフガニスタンで医師の中村哲先生が亡くなった。アフガニスタン東部ナンガルハル州を車で移動中に何者かに銃撃され、中村さんを含め6人が殺害されたという。このニュースにショックを受けている。
 中村哲さんは、農業用水路の建設などにより人々の暮らしを立て直すことに貢献し、尊敬を集めてきた。まったく私心なく、人々の幸せのためにすべてを捧げていた中村さんは日本の、いや世界の宝である。私は心から尊敬しており、このブログでも何度か紹介した。
(2012年、中村さんとお会いしたときのことはhttps://takase.hatenablog.jp/archive/2012/08/04

 ご冥福を祈るとともに、中村さんを長年取材してきた谷津賢二さんが先日FBで引用していた中村さんの著書『天、共に在り』(NHK出版)の終章を紹介して故人を偲びたい。https://www.facebook.com/kenji.yatsu.73

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緑の大地を背景に中村哲先生(谷津さんのFBより)

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用水路建設で1万6500haの農地を回復し、のべ200万人以上の雇用を作った。(写真は谷津さんのFBより)

 人間にとって本当に必要なものは、そう多くはない。少なくとも私は「カネさえあれば何でもできて幸せになる」という迷信、「武力さえあれば身が守られる」という妄信から自由である。何が真実で何が不要なのか、何が人として最低限共有できるものなのか、目を凝らして見つめ、健全な感性と自然との関係を回復することである。
 戦後六十六年、誰もがそうであるように、自分もその時代の精神的気流の中で生きてきた。明治の時代は去りつつあったが、かくしゃくとした風貌は健在で、太平洋戦争の戦火をくぐった人々がまだ社会の中堅にいた。日本の文化や伝統、日本人としての誇り、平和国家として再生する意気込み―もうそれは幾分色あせてはいたが、一つの時代の色調をなしていた。私たちはそれに従って歩めば、大過はないと信じていた。だが、現在を見渡すと今昔の感がある。進歩だの改革だのと言葉が横行するうちに、とんでもなく不自由で窮屈な世界になったとさえ思われる。
 しかし、変わらぬものは変わらない。江戸時代も、縄文の昔もそうであったろう。いたずらに時流に流されて大事なものを見失い、進歩という名の呪文に束縛され、生命を粗末にしてはならない。今大人たちが唱える「改革」や「進歩」の実態は、宙に縄をかけてそれをよじのぼろうとする魔術師に似ている。だまされてはいけない。「王様は裸だ」と叫んだ者は、見栄や先入観、利害関係から自由な子供であった。それを次世代に期待する。
 「天、共に在り」。
 本書を貫くこの縦糸は、我々を根底から支える不動の事実である。やがて、自然から遊離するバベルの塔は倒れる。人も自然の一部である。それは人間内部にもあって生命の営みを律する厳然たる摂理であり、恵みである。科学や経済、医学や農業、あらゆる人の営みが、自然と人、人と人の和解を探る以外、我々が生き延びる道はないであろう。それがまっとうな文明だと信じている。その声は今小さくとも、やがて現在が裁かれ、大きな潮流とならざるを得ないだろう。
 これが、三十年間の現地活動を通して得た平凡な結論とメッセージである。