香港:デモ隊の暴力をどう見るか2

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 ここ数日、さすがに寒くなってきた。これから大事な時期で倒れるわけにはいかないので、インフルエンザワクチンをうった。
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 今回の香港の区議選で感心したのは、連日、街頭で警官隊とぶつかっていた抗議者たちが投票を控えて「戦闘」をやめ、政府が混乱を口実にして選挙を延期する企てを阻止して投票の実施につなげたことだ。抗議運動にリーダーがいないなか、こういう整然とした動きがとれるというのは驚きである。
 倉田徹さん(立教大教授)は、香港のデモ隊は単なる暴徒ではなく、冷静に効果を計算し、香港人の支持を得ているという。倉田さんの分析は、「暴力=悪」と反射的に考える人が多い日本人が香港の運動を理解するのに有益だと思うので、ちょっと長いが引用する。
 《暴力行為を辞さない「前線」のデモ参加者と、休日に平和的なデモ行進を行う多数の市民は、かなり性質の異なる集団である。しかし、彼らの間には、「共通の目標を持つデモ参加者同士は攻撃し合わない」という強い意志が当初から存在している。ネット上では、デモの支持者同士は「兄弟」や「手足」と呼び合う。自身の一部に近い、かけがえのない仲間という意味である。負傷者・逮捕者などの犠牲者には「義士」の「称号」も与えられる。平和主義者も、暴力行為を非難したり、逮捕者を冷笑したりすることはしない。
 こうした「仲間」の集団はかなりの規模に上る・デモが暴力性と平和性を持ちあわせることで、多くの参加者から共感を得やすい状況を作っているからである。暴力行為と平和的な行動は同時並行的に進められているが、双方が常に行なわれているわけではない。デモ支持者たちはネット上の掲示板などでしきりに議論と分析を重ね、行動の「効果」を分析し、次の行動を考える。暴力が嫌われそうな予兆があると「前線」は退いて、時には行き過ぎを謝罪もし、平和デモが主流となる。そして平和デモに応じない政府への怒りが市民に蓄積されると、政府への圧力を強めるために暴力行為が行われる。つまり、デモ参加者の行為は、相当程度「民意」を汲み取って構築され、実際に民意を勝ち得ている。8月16日の香港紙「民報」に掲載された調査では、デモ参加者の暴力が過度であるとする者は39.5%であったのに対し、警察の暴力が過度であるとする者は67.7%に上った。経済に悪影響が出た場合、最大の責任は香港政府にあるとする者が56.8%、デモ参加者にあるとする者はわずか8.5%である。
 政府の対応方針は一貫して、暴力行為に罰を与え、一般市民をデモから遠ざけることだが、暴力的なデモをさらに強力な警察力で鎮圧し、平和的なデモを無視する現在の対応策は、両者を離間させるよりもむしろ団結させている。政府の支持率は大規模デモの開始以降も下がり続けている。
 九月に入ると、ネット上で「香港の革命歌」が作られ、各地に集まってこれを歌う集会が多くの人を集めている。政府はすでに「香港人」という巨大な「仲間」を敵に回してしまったのである。》(倉田「香港デモ 暴力の論理」『外交』Vol.57、P16-17)

 デモ隊の「前線」、いわゆる「勇武派」への広範な支持は私も感じていた。デモ隊が目抜き通りの車道をブロックして交通を混乱させ、それを鎮圧しに警官隊が駆けつけると、多くの沿道の野次馬たちはそれにブーイングを浴びせやじり倒すのだった。
 暴力をふるうデモ隊は単なる「暴徒」ではなく、むしろ仲間意識をもって支持されている面があることはたしかである。
 
    一方、市民の間の亀裂が大きくなっている点も見ておく必要がある。区議選の当選者数では民主派が圧倒したが、実際の民主派と親中派の割合はざっと6対4。香港世論は二分されている。

 《24日の香港区議会(地方議会)選挙は、雌雄を争った民主派と親中派の得票率がそれぞれ56.7%と41.7%となり、直接選挙枠の議席配分率が85.2%(452議席)と13.1%(59議席)だったのに比べ僅差にとどまった。区議選は各選挙区の得票数が最も多い候補が一つの議席を独占する小選挙区制だったことが、民主派を圧勝に導いた。》

 そして民主派、親中派といっても、それぞれ一枚岩ではない。民主派には、とりあえず北京がうるさく介入してこないなら現状維持で十分だという人から、香港が独立国家になるべしという人までいる。
 親中派について、香港中文大学院生の石井大智さんがこう書いている。
 《日本のメディアで一般的に「親中派」と言われる人々は、香港では「建制派」と呼ばれる。(略)建制派とは簡単に言えば階層社会である香港で社会の支配階級に当たるとされている人々のことを指す。
 建制派はもともと2つのグループに分かれていた。「イギリス統治時代の香港政庁に近い経済界の支配者」と「もともと中国共産党に近い左派だった人」という2つのグループである。前者は植民地時代から香港の統治機関に近しい立場を取ることで経済的利益を得ようとする人々、後者は中国共産党と強い結びつきを持ち続けてきた人々である。
 香港がイギリス領だった頃、両者は正反対の存在であった。だが、香港が中国に返還されたことで、香港政府への協力は北京の中国政府への協力と矛盾しなくなった。そして両者のグループは次第に一体化していき、社会の支配階級として香港政府の決定に強い影響を与え続けてきたのだ。(略)こうした経緯を知ると、建制派と言っても一枚岩ではなく、単なる中国政府の操り人形でもないことが理解できるはずだ。
 「英領時代の香港政庁に近い経済界の支配者」によるグループは経済的利益がある限り中央政府と結びつくだろうが、いざ彼らのビジネスを阻害するようになれば中央政府を支持しないようになるだろう。一方、「もともと中共に近い左派」であるビジネスエリートたちは中国政府を支持しているように見える。しかし、それでも中国政府からすれば「香港人」であり、中国本土の共産党員と同じレベルで中国共産党の支配に組み込まれているとは言えない。
 実際、今回の逃亡犯条例改正案についても、懸念を示した建制派とされる議員・関係者は多くいた。だからこそ香港政府は逃亡犯条例の審議を諦めざるを得なかったのである。
 建制派は、結果として中国政府に寄り添った意思決定を行うことが多い。経済政策においては、建制派の意見と中国政府の意見の隔たりは少ないからだ。大陸から観光客が多くやってくれば彼らが経済的に潤うのは間違いない。また、香港が人民元のオフショア(中国本土外)の拠点となれば香港の金融センターとしての地位を強化することも彼らを経済的に潤わせることになるだろう。しかしそれは必ずしも建制派が中国共産党イデオロギーに賛同することを示しているわけではない。逃亡犯条例改正案のような、香港の現状に対する著しい挑戦については中国政府の意向にかかわらず彼らも反対するのである。》(石井大智「香港デモは区議選挙でどう変わる」日経ビジネス
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00030/112100065/?P=1

 建制派の一部は区議選で大敗を喫したことで、香港政府を批判し始めているという。区議選後の動向を見るにあたっては、建制派の動きにも注目しなければ。