国際報道写真展を観にいく

 今週あたま、山形の友人から桜桃(さくらんぼ)が届いた。ありがたい。故郷からの初夏の便りである。
 暦はもう夏至。陽射しが強い。
 21日から初候「乃東枯」(なつかれくさ、かるる)、27日からが次候「菖蒲華」(あやめ、はなさく)。末候の「半夏生」(はんげ、しょうず)が7月2日からだ。

 なつかれくさとはウツボグサのことで、この時期花が咲いて枯れ、それを干したのが夏枯草(かごそう)という生薬になるそうだ。そういえばこの花、よく見ているような気がする。
 それから末候の「半夏」とはカラスビシャクという植物で、これが生えると田植えを終える目安だという。

 夏至が1年で一番日が長いのは知っていたが、どのくらい違うかというと、冬至と比べて5時間も昼が長いのだそうだ。恵比寿の東京都写真美術館を7時半ごろ出たら、まだ空は明るくて、きれいに赤く染まった雲が浮かんでいた。
 写真美術館に行ったのは、開催中の「国際報道写真展2018」を観るため。125の国と地域から4,548人のフォトグラファーが参加し、約7万点の応募があったなかから、22カ国42人の受賞作が展示されている。
 2018年の大賞は、ベネズエラでのデモを描いたロナルド・シュミット(ベネズエラ、AFP通信)の作品。題材にはロヒンギャの難民、イラクのモスル奪還作戦、南米の麻薬密売の抗争、米国の銃乱射事件など、世界は多種多様な苦しみ、悲しみでいっぱいだとあらためて思う。
 印象に残ったのは、ナイジェリアで過激派組織ボコハラムに村が襲われ、誘拐された少女の写真。

 ボコハラムは少女たちを自爆テロ要員にした。《「人を殺すならば、自分が死んだ方がいい」。その一心で、アイシャ(14)は「標的」とされた兵士たちに近づくと、素早くガウンをまくった。現れたのは、爆弾がついたベルト。兵士たちは銃の引き金を引くかわりにベルトを取り外し、アイシャは生き延びた。おそらく家族でただ一人。》
 報復の危険があるなか、アイシャは勇敢にも被写体になることを承諾した。撮影したオーストラリア人の写真家アダム・ファーガソン(39)は《「あれだけの体験をしながらまっすぐカメラの前に立つ、並外れた気丈さと勇気に圧倒された」。写真とは、撮る人のまなざしを通して物語を伝える方法だと思う。だからこそ、「被害者という既視感のある姿ではなく、肖像写真でその力強さと美しさを表し、彼女をたたえたかった」。》
 顔を出さずに、こういう表現ができるのか・・・。
 どの写真にも、取材者の志を感じる。残念なのは、世界各国の写真家が競作するなかで、日本人の作品が一つも入賞していないことだ。日本のジャーナリストにも、ぜひがんばってほしいものだが。
 フリーランス安田純平さんが、シリアで行方不明になって明日23日でまる3年である。