小池百合子と拉致問題

 もう夏至、蒸し暑い日が続く。
 21日から初候「乃東枯」(なつかれくさ、かるる)。夏枯草(かごそう)=うつぼ草が黒ずんでくるころ。
 26日から次候「菖蒲華」(あやめ、はなさく)。梅雨はアヤメ、カキツバタハナショウブがきれいに咲く。
 7月1日からが末候「半夏生」(はんげ、しょうず)。半夏(からすびしゃく)が生えると田植えを終えるのが目安とされたという。

 西国分寺駅の北にある姿見の池を通りかかると、ちょうど半夏生が咲いている。水辺の花菖蒲も咲き、自粛前のように散策する人が戻ってきた。

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 都知事選、現状では小池百合子圧勝だという。

 この人は4年前、都知事選に圧勝し、さらに野党第一党の党首をたらしこんで、党を粉砕してしまった。中身のない政治屋なのに、人をだますのがなぜ、こんなに上手なんだ。

 彼女は拉致問題のイベントに一時よく顔を出しており、何度かごく近くで同席した。
 気になったのはまず、年配の被害者家族に、まるで幼稚園の先生が子どもをたしなめるようなタメ口で話しかけること。いつも「上から目線」を感じさせた。
 写真撮影となると、いつの間にか中央のポジションにおさまっている。拉致問題を「利用」している様子がありありで、私は彼女を信用できない政治家だと思った。

 『女帝 小池百合子』を買ってきた。

 拉致問題に関わる箇所は、一部の人たちには常識に属することなのだが、彼女の立ち回り方を典型的に示しているので紹介しよう。以下、『女帝』から。

 超党派で結成された、「北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する銀連盟(拉致議連)」は、2002年4月に改組され、自由党の小池も副会長のうちの一人になっていた。

 小泉が訪朝した9月17日、東京の外務省飯倉公館には被害者家族と、この拉致議連の議員たちが待機していた。そこへ「5名生存、8名死亡」という残酷な情報がもたらされる。沈痛な空気が流れる中で記者会見が開かれたが、被害者家族が並ぶ中央に、なぜか小池の姿があった。「いつもテレビに映り込もうとする」と拉致議連の中でも問題になっていたという。ある議員は、こう振り返る。

「自分の人気取りのために拉致問題を利用しようとする議員が多かった。拉致問題への国民の関心が高く、北朝鮮への憤怒が渦巻いていたので拉致議連に入れば選挙に有利だと、そんなふうに考える議員もいた。拉致被害者のご家族との写真を宣伝に使ったり」

 死亡という知らせを聞かされ、記者会見で横田めぐみさんの父、滋さんはマイクを握ったものの、涙に言葉が詰まってしまった。妻の早紀江さんは気丈にも自分の思いを、夫の分まで訴えた。夫妻の真後ろに立つ黄緑色のジャケットを着た小池の姿は、嫌でも目立った。小池が被害者家族の肩に手を回しつつ、涙を拭う姿が映し出された。

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どのアングルでも写ってしまう、涙をぬぐう(ふりの?)小池百合子

 だが、テレビが報じたのはここまでだった。

 会見が終わると取材陣も政治家も慌ただしく引き揚げてしまい、部屋には被害者家族と関係者だけが残され、大きな悲しみに包まれていた。するとそこへ、いったんは退出した小池が足音を立てて、慌ただしく駆け込んできた。彼女は大声を上げた。

 「私のバッグ。私のバッグがないのよっ」

 部屋の片隅にそれを見つけると、横田夫妻もいる部屋で彼女は叫んだ。

 「あったー、私のバッグ。拉致されたかと思った」

 この発言を会場で耳にした拉致被害者家族の蓮池透さんは、「あれ以来、彼女のことは信用していない」と2018年8月22日、自身のツイッターで明かしている。(P226~227)

 
 この記述のとおりである。

 私は02年9月17日の会見の場にいたので、覚えている。取材している我々まで涙をこらえられない、悲しみと怒りが濃密に充満した空間だった。そこで、被害者家族の保護者でもあるかのように寄り添う彼女の姿に、強烈な違和感をもった。

 こういう人が圧勝するようでは、トランプを選んだアメリカを笑えない。なんとか一矢報いなければ。
 都民のみなさん、棄権せずに投票しましょう。