北朝鮮と「仲良く」すべきか


 うちの出窓には、父の遺骨(左の丸い器)、父の遺影、かみさんの両親のスナップ、ご先祖の命日を記した過去帳などを置き、仏壇の代りにしている。朝、仏壇代わりのこの出窓に水と線香を供えて手を合わせる。
 考えてみれば、ご先祖がいてはじめて今の自分がある。自分からさかのぼれば、父と母で2人、祖父母で4人、曾祖父の代で8人、4代目で16人。10代目のご先祖は1024人で、9代目までを加えれば、ここまでで、ご先祖の総数はおよそ2000人。このままさかのぼって20代目のご先祖の人数はなんと104万8576人にもなる。19代目までを加えて、総数およそ200万人。1世代25年として20代はざっと500年。500年前といえば室町時代の後半、銀閣寺が造られたころから戦国時代にかけてである。
 この200万人の一人でも、子どもなんかどうでもいいと死なせてしまっていたら、私はいないわけだ。数えきれない「愛」の連鎖の末に私の生がある。大きな「愛」につつまれている。きょう生かされていることに感謝したい。こんなふうに思うと、ご先祖に手を合わせるのはごく自然な感じがする。
 なおうちでは、線香だけはこだわりの品、水車線香を使っている。昔ながらの水車で挽いた杉の葉だけを原料にしている。自然な香りがお薦めです。現在では、福岡県八女市(馬場水車場の杉の葉線香)と茨城県石岡市(駒村清明堂の水車杉線香)の二カ所でしか作っていない。この伝統が途絶えぬよう、線香をお使いの方はぜひ注文して応援してください。楽天などからも注文できるが、例えばhttp://www.100percent.co.jp/natural/view/688でも扱っている。
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 4日夜は久しぶりに番組用にカメラを回した。撮影を終えて帰宅したのが1時過ぎ。缶チューハイをあけて、テレビをつけたら「ブエナビスタ・ソシアルクラブ」のドキュメンタリー(1999年製作)が放送されていた。

 70歳、80歳代のおじいさんたちがゆったりと暮らしながら、実に楽しそうに楽器を奏で歌う。ボーカルのイブライム・フェレールが、俺には音楽とラム酒があればいいのさ、みたいなことを言ってえへへと笑う。いいですねえ。
 その数日前はチェ・ゲバラについての番組を見たばかりだったが、同じ社会主義といっても、キューバ北朝鮮ではまったくの別物だな。

 南北首脳会談のあと、ある新聞の読者の投稿欄にこんなのがあった。
 「日本と北朝鮮の国交を早く正常化させて、自由に往来交流できるようにしましょう。そのよい流れの中でこそ、拉致問題も解決できるのではないでしょうか。」
 善意なのだと思うが、国交ができれば自由に往来できるようになるわけではない。自由に往来できないのは国交がないからではなく、移動の自由さえない北朝鮮の体制のせいである。隣の県に行くのにも特別な許可が必要で、まして国外に出るなど普通の人には許されない。だから、友好国である中国にさえ、命がけで国境の川を渡っていくしかないのである。北朝鮮問題とは「全体主義体制」の問題なのである。
 北朝鮮と交渉するのは、「仲良くする」ためではなく、(現体制の延命に手を貸さないようにして)できるかぎりの譲歩を引き出すためである。今の体制のままの北朝鮮と「仲良くする」わけにはいかない。
 日本国憲法にのっとっていえば、前文にこうある。
 「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」
 ちょっと大上段に言うならば、平和的生存権とは、「専制と隷従、圧迫と偏狭」「恐怖と欠乏」から免れることを含むはずである。今の北朝鮮と仲良くして、「専制と隷従、圧迫と偏狭」「恐怖と欠乏」を見過ごすことは犯罪的であり、後世への恥となるだろう。