シリアへの米国の攻撃をどう見るか

のどけさの先に果てある命かな  (神奈川県松田町 山本けんえい)
 6日の朝日俳壇の佳作で、選者の長谷川櫂氏が「のどかそうに人生を送っていても、最後は死。そうだといって、のどかさが失せるわけでもない」と評している。こういう句に魅かれるのは、私もやはり歳かな。
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 一昨日のツイッターから。
 伊勢崎賢治氏―‏東京外語大教授で、かつて紛争地の武装解除プロジェクトを指揮した―がこんなツイート。
@isezakikenji
5月5日
《かつてのイラク、今のシリアへの米の攻撃を対北朝鮮のために支持し、国防を最果ての地の民の犠牲によって贖うことをよしとする保守の卑怯。自らの過失を裁けないのに立場の弱い国に裁判権を放棄させる駐留を護憲のために批判しないリベラルの破廉恥。卑怯と破廉恥が両翼を占める日本。》

 これに対して、軍事ジャーナリストの黒井文太郎氏―よくテレビのコメンテーターとして登場する―が反論。

黒井文太郎 (@BUNKUROI)
2018/05/05 16:16
@isezakikenji 《シリアについては認識が間違ってます。今年3月まで7年間での「民」の犠牲者は、事例が判明しているだけで10万6000人。うち米中心の有志連合による殺戮は3000人、アサド・露・イランによる殺戮は9万人。アサド・ロシアの攻撃は抵抗者を殲滅する目的。有志連合の攻撃はIS殲滅で、これで救われた命も多い》
(内戦の死者の総数は50万人ともいわれるが、ここで挙げられている数字は経緯の判明した民間人の犠牲者のみ)

 黒井氏、さらに追加で。

@BUNKUROI
返信先: @BUNKUROIさん、@isezakikenjiさん
《今回の米の攻撃は規模が小さくてあまり意味がありませんが、仮にもっと本格的であれば、むしろアサド・露・イランによる「民」の殺戮を抑止します》

 ここはシリア問題のポイントになる論点だと思うので紹介しておきたい。
 黒井さんの認識に賛成する。「米国のイラク攻撃が間違っていたからシリアもだめ」というのではなく、現地で起きている事実から出発したい。