ジェンキンスさん、増元信子さん逝く

 
朝、代々木公園の中を通った。冬枯れの木々を見ながら楽しく歩く。

 オフィスに戻ると、神田小川町の交差点にクリスマスの飾りがしつらえてある。
 東京は晴だが、裏日本は大雪だという。もう師走、節気は大雪(だいせつ)。12月7日から初候、閉塞成冬(そらさむく、ふゆとなる)、12日からが次候の熊蟄穴(くま、あなにこもる)、17日から末候の鱖魚群(さけのうお、むらがる)となる。遡上する鮭をたらふく食べた熊が穴に籠るのだから、次候と末候は順序が逆じゃないのか?
 きょう年賀状を買った。
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 11日、佐渡曽我ひとみさんの夫、ジェンキンスさんが亡くなった。数奇な人生を送ったが、最後はひとみさん、二人の娘、孫と自由な日本で過ごすことができてよかったと思う。彼の逝去の報に、拉致被害者すべてが一日も早く帰還して安寧な暮らしを送ってほしいとあらためて思う。
 ジェンキンスさん、そして彼をふくむ4人の北朝鮮にいた米兵に関する取材は最も印象深いものの一つだった。在韓米軍から脱走して北朝鮮へと越境したジェンキンスさんたち4人の米兵が、拉致被害者と結婚している事実を公にしたのは、おそらく私たちが世界で最初だった。
 きっかけは1997年秋、北朝鮮に拉致されたシハームさんというレバノン人女性がいて、彼女のもとをその母親が訪問しているという事実をつかんだことだった。母親はハイダールさんといい、イタリアに住んでいた。北朝鮮にいる拉致被害者を家族が訪れたのは、このレバノンの母娘と石川県から拉致された寺越武志さんのケースだけだろう。その母親を取材するなかから断片的な情報をつなぎ合わせて、拉致されたレバノン女性は4人で米兵4人の「花嫁候補」だったという大きな構図が浮かび上がってきた。
(拉致されたレバノン人、シハーム・シュライテフさん)
(『名もなき英雄たち』の中のジェンキンスさん)
 「娘シハームの夫の米国人はパリッシュといい、北朝鮮の映画に出演している」というハイダールさんの証言から、北朝鮮映画を入手して探しはじめた。外国人が登場するといえば『名もなき英雄たち』だ。一人の女性工作員(モデルは実在のリスンシルという大物工作員)が、帝国主義の敵どもと闘うストーリーだ。ところがこれはシリーズ化されて20巻(20時間)もある。一苦労の末、ついに白人の役者の中からシハームさんの夫のパリッシュさんを突き止めた。ハイダールさんが北朝鮮でもらったパリッシュさんの写真と、右頬のおできが一致したのだ。ジェンキンスさんらしき白人も登場していた。米兵たちは北朝鮮では「外国人役」として重宝がられていたのだった。パリッシュさんとシハームさんの間には3人の男の子がさずかり、他の米兵たちと平壌に暮らしていることも分かった。

この写真はハイダールさんが平壌に娘を訪ねたときのもので、私の会社「ジン・ネット」が国際配信した。
 次々と信じがたい事実が掘り起こされ、私にとって興奮に震える日々だった。東京のアメリカ大使館に取材で判明した脱走米兵に関する事実を知らせると、すぐに駐在武官のトップが面会を申し込んできた。米軍は、レバノン女性の拉致との関連については全く知らず、我々の情報に仰天していた。
 ただ当時、私たちは、拉致された日本女性(曽我ひとみさん)と結婚した米兵がいるとは思ってもみなかった。
 ハイダールさんは、一人娘のシハームさんの他に家族はいない。ぜひ娘を私のもとに戻してほしいとレバノン政府やメディア、宗教関係者などに訴えても、もう終わったことだとして相手にされないという。孤立している彼女に少しでも力になりたいので、2005年12月、ジン・ネットがハイダールさんを日本に招待した。まず、ジェンキンスさんと会う機会を作り、私も立ち会った。ハイダールさんはジェンキンスさんに、娘の暮らしぶりや解放される可能性などについて熱心に尋ねていた。日本の拉致被害者家族、有本嘉代子さんや横田早紀江さんはハイダールさんをハグして、あきらめないでと励ましていた。このときは多くのメディアが取材し、レバノン女性拉致事件が知られるようになる。北朝鮮は日本だけでなく世界各国で拉致をしていたという認識が拡がるきっかけになったと思う。
 レバノン女性が拉致されたのは1978年7月。世界各国で、この年の7月と8月に拉致された人、とくに女性は異常に多い。工作機関で特別なプロジェクトがあったのだろう。私たちが取材しただけで、この2ヵ月間に、5カ国で15名もの若い女性が北朝鮮に拉致されている。この中には、浜本富貴恵さん(地村保志さんと結婚)、奥土祐木子さん(蓮池薫さんと結婚)、増元るみ子さん(市川修一さんの恋人)の3人の日本人女性がいる。


 増元るみ子さんのお母さん、信子さんが12日、鹿児島県の病院で亡くなった。享年90。行方知れずの子どもを待ち続け、再会が叶わずに亡くなった方がまた一人増えた。
 これで未帰還の拉致被害者の親で生存しているのは神戸の有本さん夫妻と横田さん夫妻しかいない。有本さん夫妻は89歳と91歳、横田さん夫妻は85歳と81歳。「がんばって」などと声をかけるのもはばかられる年齢だ。
 そんななか、安倍首相が、横田早紀江さんからの手紙を2年も無視していたとの記事が出た。以前から、安倍首相は、拉致問題に熱心だというポーズだけで実際には本気で取り組んでいないと思っていたが、やはり、という内容。拉致問題は、よほど腹をくくらないと前に踏み込めない。今の安倍首相には無理のようだ。ご一読を。http://lite-ra.com/2017/12/post-3645.html